二、 定

 定は、自分という反応を鎮めることです。戒の段階では副次的な効果であったことを、正面から目指します。自分という反応を静かに落ち着かせることで、ようやく自分という反応が、つぶさに観察できる状態になります。精緻な観察のためには、観察の対象である自分も、観察する側の自分も、両方が静謐な状態にあることが必要です。

 基本はやはり座禅です。
 中国の禅籍『坐禅儀』には、座り方の具体的なアドバイスが書かれています。(『禅の語録〈16〉信心銘・証道歌・十牛図・坐禅儀』筑摩書房など参照)
 試行錯誤した結果のわたしの工夫を付け加えて説明します。

 まず、なるべく静かで快適な場所を選び、座布団を敷いて座をしつらえます。もう一枚の座布団を二つ折りにするなどして尻を少し高く持ち上げ、結跏または半跏に足を組みます。両膝が座布団につくように尻の下の厚みを調節し、両膝と尻の三点でバランス良く座ります。上体を前後、そして左右に揺らして、振幅を小さくしていき、中央で止めます。頭のてっぺんがまっすぐ上に引っ張られる感覚で上体を高く上に引き上げ、次に段々に力を抜いて、背骨を下から順にひとつずつ下の背骨の真ん中に乗せていくようにします。うまくこれができれば、力むことなくすっと背筋の伸びた姿で楽に座っていることができます。背中が丸くならないように気にする余り、力んで胸を張ったり背中を反らせたりしていると、定には入れません。

 目については、学生時代に通った臨済宗の有名寺院では、「絶対につむってはいけない。一、二メートル先に見るでもなく視線を落としなさい(半眼)」と指導されました。『坐禅儀』も、目を閉じて座るのを「黒山鬼窟」と呼んで戒めています。日本で見る仏像も「薄目」を開けています。一方、四十歳代半ばで何度か参加した南伝仏教上座部系のヴィパッサナ瞑想会では、「どちらでもいいが、つむった方が集中しやすい」と言われました。

 初学の人がすべきことは、臨済禅では、できるだけ息を細く長く深くして、十ずつ何度も繰り返し数え続ける(数息観)ように教えられました。一方、上座部系瞑想会では、呼吸する腹の膨らみ、縮み、あるいは鼻の穴を出入りする空気の流れを、できる限り詳細に感じ取るように、との指導です。臨済禅とは異なり、特に深い息や長い息を心がける必要はなく、自然に息をしてそれをありのまま感じ続けるのです。

 両方をかじった経験からすると、上座部系のやり方の方が、自分が無常にして無我なる縁起の自動的反応であることを実直に観察するという点で、目的へのアプローチがストレートだし、効果が高いと感じました。例えば、経行(きんひん:座禅の間に堂内や庭などをしばらく歩くこと)は、日本の禅でも上座部でも行いますが、禅寺では、血行を回復し足のしびれをとるため、と聞きました。一方の上座部では、「歩く瞑想」として極めてゆっくりと歩きますが、それは筋肉や関節の動きをひとつ残らず感じ取ろうとする愚直な自己観察の修行です。

 実は、定には、止(サマタ)と観(ヴィパッサナー)の二種類があります。止は、自分という反応をできる限りミニマムにすることです。あれこれいろんなことを考えていたのでは、定にはなりません。反応を鎮めて、自分をしんとした静謐な状態にすることが止です。

【脱線⑦ わたしは妄想だけでできている。】

 座禅中にあれこれ考えることを、妄想といいます。ふとした些細なことが縁となって、仕事のことやいろいろな用事、あるいは、後から思い出すこともできない無内容なイメージが思い浮かんで、そこから連想の蔓が伸びていき、延々とつながり出ていくことがしばしばです。妄想ばかりといってもいいでしょう。それに気づくと、「妄想だ、いかんいかん」と気持ちを改め、数息観やお腹の膨らみ、縮みの観察に戻るのですが、ある時、気づきました。

 瞑想中だから、妄想だと思う。だが、これが妄想であるとすれば、普段の日常のあれこれの算段も、すべて妄想ではないか。わたしとは、妄想ばかりでできているのではないか、と。
 妄想ではない「私」があるとすれば、それはアートマンに他なりません。「わたしは妄想ばかりでできている」というのは、無我ということのわたしなりの気づきでした。

 座禅の経験のある方は、誰でも同意されると思いますが、数息観、あるいは自己観察に集中しようとどれほど堅く決意しても、いつの間にか妄想が始まっています。このことは、「わたし」は、しっかりと自分を管理する「我」など持たない、縁によって起こされる反応であることの、なによりの証拠です。

【閑話休題】

 定には、止(サマタ)と観(ヴィパッサナー)の二種類があると書き、止の説明をしました。もう片方の観は、自分を観察することです。顕微鏡で調べるように、細部に肉薄して子細にクローズアップで、かつリアルタイムで自分という反応の起こっている様を観察し続けることです。さきほど触れた、息をする腹の動きや、鼻の穴を通る息の流れや、歩くときの関節や筋肉の感覚などが、初学の段階の観察対象になります。

 止ができていなければ、観は不可能です。観がなくて止だけでは、意味がありません。止と観は、車の両輪に例えられてきました。

 ところが、禅宗では、止に偏重しているのではないか、あるいは、観がなおざりにされているのではないか、と感じます。止だけを徹底していけば、まったく動かず、なにも考えないことが一番よい、ということになってしまいます。意識の志向対象をなくして、意識そのものをなくそうとする。無念無想です。

 禅宗の無念無想については、サムイェーの宗論という歴史上の事件がチベットでありました。チベットに仏教が伝えられたのは意外にも日本よりずいぶん遅い八世紀の後半で、中国からの禅宗とインド大乗仏教の中観派とがほぼ同時に入りました。ところが、同じ仏教を標榜するのに教えの内容があまりにも異なるので混乱が生まれました。そこで、サムイェーというお寺において王様の前で議論して決着をつけることになり、無念無想を主張した中国禅は負けて放逐され、以後、チベットではインド中観派が正統になったという事件です。(『チベット仏教哲学』松本史朗著 大蔵出版)

 中国で生まれた禅宗には、先に触れた老荘思想の影響か、梵我一如化の傾向を感じます。
 仏性(ぶっしょう)という考えは、「一切有情悉有仏性」という表現で示されるように「仏となるべき本性」であり、「わたしの中にある肯定すべき本来の私」、すなわちアートマンとほとんど同意ですが、大乗仏教では広く見られ、禅宗も例外ではありません。
 もっと分かりやすい事例を挙げると、唐の時代の有名な禅僧、臨済義玄は、『臨済録』に「赤肉団(心臓)の上に一無位の真人がいる」「随処に主となれば、立処皆な真なり」という言葉を残しています。一無為の真人とは、アートマンそのものですし、「随処に主となる」というのも、第一原因たる主体であろうとすることでしょうし、自由不羈のアートマンであろうとすることだと思います。釈尊の無常、無我、縁起の考えとは相容れません。(詳細は、『禅思想の批判的研究』松本史朗著 大蔵出版を参照)

 先に苦行について考えた際、肉体の束縛を弱めてアートマンを解放しようとするのが苦行の背景にある考え方、と書きました。無念無想にもアートマンを解放しようとする発想が根底にあると思います。分析的に考えることは、妄想分別と呼ばれて禁止され、「本来の自己」を一挙に体得しようとします(頓悟)。「あれこれとさかしらな作為をすることがアートマンを縛っている。あれこれつまらぬ作為をすべて止めて、なにも考えなければ、内奥にある真の私の無分別知が自由無碍に働き出す」という発想で、これもまたアートマンの存在を前提とした発想のひとつの展開事例だと思います。

 それに対して、釈尊の教えに顕著な傾向は、ものごとを細かく分析し、いくつにも分別することです。四諦、八正道、三学には既に言及しましたが、ほかにも五蘊など、数字がつく用語はいくつもあり、分析して考える姿勢が明確です。

 最晩年の釈尊が、悪魔から「もう死ぬべき時だ」と誘われた時にこう答えた、という説話があります。

「わが修行僧であるわが弟子たちが、・・・みずから知ったことおよび師からおしえられたことをたもって解説し、説明し、知らしめ、確立し、開明し、分析し、闡明し、異論が起こったときには、道理によってそれをよく説き伏せて、教えを反駁し得ないものとして説くようにならないならば、その間は、わたしは亡くなりはしないであろう。」(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳 岩波文庫)

 この言葉も、無念無想の無分別知とは正反対の、言葉によって分析し合理的論理的に説明し伝えるという姿勢をはっきりと示しています。禅宗の不立文字の伝統とは正反対です。

 ところで、無念無想は、短時間であれば実践できます。学生時代、京都市内のお寺に通っていたある時、老師の元へ参禅(与えられた公案に自分なりの答えを述べにいくこと。いわゆる禅問答)に行くため、順番を待っていました。老師が前の人に「もう帰れ」という鈴を振ると、次の人は廊下で鐘を叩いてから、老師の部屋に向かうのです。その日は、日曜日の居士むけ座禅会で、取材が入っていました。廊下で鐘の横に座って鈴の音を待つわたしの真正面でカメラを構えられ、最初は落ち着かなかったけれど、数息観を始めました。すると、突然シャッターが落ちる大きな音がして、わたしは現実に引き戻されました。気がつかないうちに時間が経っていたのです。前の人の参禅がまだ終わっていないので長くても数分のことだったでしょう。後でもらった写真には、我ながらほれぼれする姿で座っている自分がありました。ほんの短い間に、正面にカメラを据えられながらも無念無想になれた自分に驚きました。
 しかし、無念無想の間のことは、なにも憶えていません。自分が無常であり無我であり縁起の反応であることを納得するためには、無念無想は、全身麻酔と同様になんの効果ももたらしません。

 タイのブッダダーサ比丘(Buddhadasa Bhikkhu、タイ語ではプッタタートとも)は、『Handbook for Mankind』という冊子で定についてこんなことを言っています。(英文からの曽我による訳)

「言葉を替えれば、それ(正しい定のあり方)は、働くのに適したものであり、(知るべきものを)まさに知らんとするものである。これが目指すべき定の程度であって、気づき(念)のない、石のように固まって座る深い定ではない。このような深い定で座るなら、なにものをも詳しく観察することはできない。これは(念のない)不注意の状態であり、慧の役には立たない。(それどころか)深い定は、慧の修行に対する主要な障害のひとつである。内省の修行のためには、まずもっと浅い定のレベルにもどらねばならない。そうすれば心が得た力を使うことができる。高度に開発された定も、(完成の境地や目的ではなく)(慧の修行のための)道具に過ぎない。」

​「深い定によってもたらされる幸福感や安らぎあるいは無分別を、完全な苦の滅尽であるとする間違った理解は、釈尊の時代にも多くみられたし、現代においても依然として喧伝されている。」

 ブッダダーサは、〈無念無想では観はできない。観の修行がうまくいくレベルの止を目指すべきだ〉と言っているのです。

 禅宗に対して、上座部では、逆に観(ヴィパッサナー)の方に重点を置いており、上座部は、自分たちの瞑想をヴィパッサナー瞑想と呼んでいます。先ほど書いたとおり、その時その時の自分という反応を、クローズアップ、リアルタイムで子細に観察し続けるのです。

 ヴィパッサナー瞑想会で、行住坐臥すべてをできるかぎりゆっくりと行いながら、常に自分を観察し続けるという修行の中で、おもしろい発見をしました。歩く瞑想で「では、これから歩き始めます」と考え片足を上げようとした際に、もう既に自動的に身体が反応していて、反対の足にすっかり体重がかけられていたのです。また、引き戸の前まで来て「では戸に手をかけます」と思った時、気がつけば垂らした手の片方が既に百八十度捻られていて、指をかける準備ができていました。「立派な私(アートマン)がいて、それがなにもかも段取りをつけ指示しているのではない。わたしの意識を待たずに、自動的に身体の反応は展開しているのだ」と生々しく意識した瞬間でした。

 ヴィパッサナー瞑想は、自分に起こっている微細な動き、変化を愚直にストレートに観察しようとします。その中で、無常、無我、縁起が自分のこととして納得されることを期す、ということだと思います。一週間、十日間の合宿にこれまで数度参加しただけですが、新たな発見があり、興味深い経験ができました。

 ヴィパッサナー瞑想は、細かなところまで体系づけられた指導法があり、指導するグループによって内容は微妙に異なるようです。釈尊が行っていたそのままの瞑想法だと主張されますが、ブッダダーサ比丘は、先に紹介した文章に続いて、「ヴィパッサナー瞑想は、釈尊の時代のものではなく、後の世になって開発されたもので、これがもたらす定は使いこなせないほど過剰であることが多い」と注意していることにも触れておきます。

 ともあれ、止と観の両方がバランスよくあることが大切です。
 凡夫の日常は、煮えたぎる鍋のように激しく沸き立ち逆巻いて、とてもじっくりと観察できるものではありません。止の訓練によって自分という反応を落ち着いた静謐な状態にして、ようやく観察対象にできます。しかし、観察もできない無念無想の瞑想は、釈尊の教えを自分において確認する役には立ちません。

 はっきりと観察対象を立て、腹の上下や息の出入り、歩くときの関節の動きといった自分自身の変化を、どこか一カ所に集中してリアルタイム、クローズアップで感じ続ける。それによって、自分という反応は鎮まり、ますます観察の深度は深まっていきます。
 また、定の練習を重ねていくと、自分の反応を観察する癖がついてきます。そうすると、戒も、立ち上がりの頻度が上がっていきます。