一、 戒

 三学とは、戒・定・慧の三つであり、その第一は、戒です。
 在家の者が守るべき五戒として不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒の五つの戒が有名ですが、出家修行者には、正午を過ぎてからの食事の禁止など、さらにたくさんの戒があります。戒というと具体的な禁止事項の羅列として捉えがちですが、戒の本質は、苦をつくる行いをするな、ということです。

 アンバラッティカ・ラーフラ教誡経にこのような一節があります。(『パーリ仏典中部(マッジマ ニカーヤ)中分五十経篇Ⅰ』片山一良訳 大蔵出版)

「ラーフラよ、もしそなたが身による行為をなしたいと思うならば、そなたはその身の行為についてよく観察すべきです。〈わたしがなしたいと思っているこの身による行為は、自己を害することになりはしないか、他者をも害することになりはしないか、両者ともに害するものになりはしないか、この身の行為は不善のもの、苦を生むもの、苦の果のあるものではないか〉と。ラーフラよ、もしそなたが観察しながら、〈わたしがなしたいと思っているこの身による行為は、自己を害することになる、他者をも害することになる、両者ともに害することになる、この身の行為は不善のもの、苦を生むもの、苦の果のあるものである〉と知るならば、ラーフラよ、そなたはそのような身による行為を、けっしてなすべきではありません。」

 「身による行為」を「語による行為」、「意による行為」に入れ替えて同じ教えが繰り返されます。

 さて、頭の切れる読者は、こう感じたのではないでしょうか。
「執着に対しては、断とうと努力しても断てない、と言ったのに、戒になると、苦をつくらぬように努力せよ、と言う。戒が、はい分かりました、と守れるものなら、執着だって断てるだろう。一貫性がない。都合がよすぎる。戒によって苦をつくらなくできるなら、それでもう目的達成であり、その他の教えは無用ではないか」と。

 もっともな疑問です。しかし、こういうことをいうと真面目な仏教者から叱られるかもしれませんが、わたしは、戒は、完璧にそれらを守ること、まったく苦をつくらないことを目指し、命じるものではない、と考えています。

 先ほどのラーフラへの言葉でも、上に引用した部分の後でこんなふうに教えています。

〈行為の後においてもよく観察して、自己を害した、他者をも害した、両者ともに害した、この行為は不善のもの、苦を生むもの、苦の果のあるものである、と知るならば、師や仲間に告白して、再び同様の失敗をしないようにしなさい。〉

 戒を完璧に守れないことは当然の前提であり、破ってしまった時は反省して、苦をつくることがだんだんと減っていくように自分に癖をつけていきなさい、という教えが戒です。

 そして、戒を守ろうと努力し、苦をつくらないようにしようと努力することによって、気づかないところで準備されることが他にもあります。
 それは、凡夫の自覚です。
 戒を守ろうと努力する。しかし、ついつい破ってしまう。戒を守ろうとしても、いともたやすく繰り返し戒を破ってしまう自分はいかにも情けなく、自分が凡夫であることを痛感せざるを得ません。
 仏とは、無常、無我、縁起を知って、我執も執着も鎮まり、苦をつくらなくなった人でした。同じように、無常、無我、縁起であるのだけれど、そのことを知らず、そのつどそのつど縁に応じて執着のままに自動的な反応として苦をつくり続けるのが凡夫です。苦をつくらなくなろうと願うなら、「自分は繰り返し自動的に苦をつくってしまう凡夫である」という自覚をしっかりと持つことが、まずもって非常に大切です。

 戒を守れない経験は、凡夫の自覚を強めてくれますし、このことが、さらに修行が進んだ段階になって「自分が自分をコントロールできないこと」、「私は自分をきちんと制御する立派な存在ではないこと」、「自分は縁によって自動的に起こされる反応であること」を自覚する契機になります。

 凡夫は執着の反応であり、けんかをしたり、策略を巡らしたり、淫らな妄想にふけったり、さまざまなよからぬことを次々としでかします。わたしという反応は、いつも嵐の海のように激しく波打ち逆巻いています。
 そんな凡夫であっても、完全に戒を守れなくても、その努力を続けることによって、自分という反応はだんだんと平静なものになっていきます。それまでは、損だ得だと走り回り、騒ぎ立て、はしゃぎ、落ち込み、泣き叫んでいた人も、次第に落ち着いてきます。また、そうならないと、次の段階である、定や慧に取り組むことはできません。戒は、次のステップへの準備として自分という反応を整えることでもあります。

 また、戒を守ろうとすれば、自分がどういう反応になっているか、悪い反応になっていないか、いつも気をつけていなければなりません。これは、自己観察の癖をつけるということです。戒は、三学の後の二つのステップである定と慧の予習にもなります。

【脱線④ 他力思想】

 凡夫の自覚ということから、浄土思想を思い起こした読者もおられるでしょう。確かに、他力思想は、凡夫の自覚の徹底であり、「わたしは、自分からはなにひとつよいことはできないのだから、阿弥陀様に救ってもらうより他にない」という考えです。

 歎異抄に、こんな言葉があります。

「さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし」

 この教えが説かれたいきさつは、こうです。親鸞が弟子の唯円にむかって、「極楽往生したければ、人を千人殺しなさい」と命じます。驚いた唯円は、「千人どころか一人だってわたしには殺せません」と答えます。それに対して親鸞は、「そうだろう。悪いことをしようとしてもできない。逆にまた、良いことをしようとしてもできない。悪いふるまいも良いふるまいも、自分の考え(自力)によって行われるのではない。業と縁が組み合わさって作用した結果によって、人はどんなふるまいだってしてしまうのだ。」と教えます。

 業という言葉の本来の意味は「行為」ですが、拡大して、「行為がその結果としてもたらすもの」も含むようになりました。わたしなりに分かりやすく言うと、この文脈では「その人がこれまでに積み重ねてきたさまざまな行為、経験によって形作られたその人らしい反応パターン」ということになります。縁については、なんども書きました。そのときそのときに出会うさまざまな刺激や事物です。

 つまり、親鸞の言葉をわたしの言い方で言い換えると「その人の過去の行為、経験によって形成された反応パターンに、さまざまな刺激が縁となり接することで、その人のそのつどの反応が起こる」ということになります。親鸞の言葉は、凡夫が無常であり無我であり縁起の反応であることを、端的に言い表していると思います。

 この問答の背景には、「本願誇り」の問題があります。本願誇りとは、「弥陀は悪人を救うのだから、どんどん悪事をして悪人になった方が救われる」という考えです。しかし、この考えは、自分の力で悪をなすことによって、弥陀の救いを引き出そうとしているのですから、自力の考えです。それに対して、親鸞は、「業と縁の組み合わせによって、どういう振る舞いをするかは決まる。良いことをしよう、悪いことをしよう、と考えても、人は思い通りにふるまうことはできない」と教えます。

 ところで、他力にまかせる立場の頂点として、妙好人(みょうこうにん)と言われる人たちがいます。妙好人は、江戸から明治にかけての頃の、百姓や職人などの学問も受けていない貧しい庶民でありながら、他力の教えがすっかり身についた人たちです。日常のふとした折に漏らした言葉やふるまいが伝えられており、そのひょうひょうとしてなにもかも手放しにしたまかせっぷりには、感嘆せずにはおられません。わたしには絶対に手の届かない他力信仰の頂点だと感じます。(『妙好人』鈴木大拙著 法蔵館など参照下さい。)
 ただ、そういう妙好人は、すべてを弥陀のはからいとして受け入れるので、戦争でさえも容認してしまいます。苦をつくる動き、特に戦争のような甚大な苦を生み出す動きには、しっかりと反対をしていかねばなりません。妙好人というあり方には、この点については問題があります。

 ところで、釈尊が臨終に残した言葉は、

「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」(『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元訳 岩波文庫)

でした。八正道にも、正精進があります。やはり、釈尊は、怠らず精進することを弟子たちに求めていました。今が末法の世だと規定すれば、阿弥陀様にすがるしか道はないのかもしれません。しかし、釈尊に学ぼうとするなら、やはり精進、努力は必要なのです。

 さてしかし、勘の鋭い読者は、こんな疑問を抱かれたことでしょう。
 「もし我々が、無常であり無我であり業縁の組み合わせの結果の反応にすぎないのなら、他力に頼るか、運にまかせる他ないではないか。無常、無我、縁起で、なぜ精進、努力ができるのだ。」
 これについては、後で考えます。業がその際のキイ・ワードになります。

【脱線⑤ 菩薩の自覚の危険】

 浄土思想が凡夫の自覚の徹底から生まれるのに対して、それと好対照であるのが、法華経における菩薩の概念です。

 菩薩というのは、大乗仏教が凡夫と仏との間に想定したカテゴリーで、三つのニュアンスの異なる意味があります。
 ひとつは、凡夫ではあるのだけど、衆生済度の発心を起こし、仏を目指して修行している凡夫。もうひとつは、仏になる以前の釈尊。三つ目は、十分な修行を積み、仏になれる段階に既に到達しているが、衆生救済のため敢えて仏にならず俗世に留まっているもの。観音菩薩など、信仰対象となっている多くの菩薩があります。

 大乗仏教は、自分ひとりの救済にとどまらず、衆生すべてを救うべく頑張る、というのが旗印です。衆生すべてを運べる大きな乗り物であるというのが、大乗という名の意味するところです。従って、大乗仏教においては、上に並べたうちの三番目の菩薩が特に重要になってきます。

 大乗経典のなかでも法華経は、不思議な魅力に満ちています。
 「法華経に触れられるのはめったに得られぬ縁である。しっかりと修行を積んだ者しか法華経には出会えない。今、汝が法華経を読んでいることは、汝が過去生において激しい修行を積み終えた菩薩である証だ。汝は、菩薩としての自覚を持ち、自分を省みず衆生のために働かねばならない。」と説きます。少し引用しましょう。

「もしも善男子、善女人であって、法華経のたとえ一句でも受持し、読誦し、解説し、書写して、種々さまざまに教典に、花や、香や、首飾りや、・・・衣服や、伎楽という[十種を]供養し、合掌し、恭敬するならば、・・・このひとはこれ偉大なボサツであって、最高の完全なさとりを成就しているけれども、生あるものたちをあわれんでいるところから、とくに願って、ここ人間の世界に生まれて、広く妙法華経を演説し、分別するのである。」第十章 法師品(『法華経現代語訳』三枝充悳 レグルス文庫)

「この教典を聞くことができるものは、すなわちよくボサツの道を修行しているのである。・・・法華経を、もしくは見たり、もしくは聞いたり、聞き終わって信じて理解し、受持するならば、まさに知るべきである。このひとは最高の完全なさとりに近づくことができたのである、」(同上)

 法華経を読んだ少なからざる人はその気になり、「わたしも菩薩なのだ。自分を犠牲にして頑張らねばならない」と考えます。第十五章「従地涌出品」では、無量千万億の菩薩が大地から涌きだし、彼らは仏が入滅した後の娑婆世界で法華経を広く説く、と紹介されますが、法華経を読んで、自分も地涌の菩薩のひとりだと捉える人は少なくありません。

 衆生のために骨身を惜しまず働こうという決意は立派です。しかし、残念ながら現実にはやはり苦をつくってしまう凡夫なのですから、頑張れば頑張るほど苦をつくることになります。昭和初期、農村の困窮に怒り、テロに走った血盟団などはその典型です。柳条湖事件の張本人であり、満州に「五族協和の王道楽土」満州国を築こうとした石原完爾も熱心な法華経信者でした。

 (但し、法華経信者の中には、新興仏教青年同盟を率いて恐れることなく軍部に対峙した妹尾義郎のような人もいたことは、知っておかねばなりません。『仏陀を背負いて街頭へ-妹尾義郎と新興仏教青年同盟-』 稲垣真美著 岩波新書)

 「自分は菩薩である」などと舞い上がることなく、「自分は苦をつくってしまってばかりの凡夫である」という自覚をしっかりと持ち、苦をつくっていないか、いつも自分に気をつけている癖をつけていくことが大切です。

【脱線⑥ プロパガンダと民主主義】

 我々凡夫が縁によって自動的に起こされる反応であることを巧妙に利用して、我々を操ろうとするのが、広告やプロパガンダです。広告は、大して必要でないものを買わせるくらいのことかもしれませんが、プロパガンダは、甚大な苦を大量に生み出しかねず、大変危険です。

 例えば、湾岸戦争の際、油まみれの水鳥の写真は、自然破壊をためらわないサダム・フセインの悪行の証拠とされました。ところがそれは、関係のない別の海難事故の写真でした。イラク兵たちが、保育器を奪うために中の赤ちゃんたちを冷たい床に置き捨てて死なせたという、女の子ナイラの涙ながらの迫真の証言もまったくの嘘でした。しかし、世界の世論を湾岸戦争容認へと大きく導いたのです。
 ベトナム戦争でアメリカが北爆を始めるきっかけになったトンキン湾事件(アメリカ軍艦が北ベトナムに魚雷攻撃を受けたとされた)も、アメリカによる自作自演でした。日本の満州侵攻の口実にされた柳条湖事件も、石原完爾ら関東軍(旅順を司令部とした日本陸軍)によるでっちあげでした。

 この際、集団的自衛権にも触れておくと、攻撃されているアメリカ軍を助けるといいますが、今書いたとおり、戦争の多くはやられたふりで始まるものです。どちらが仕掛けたのか、簡単には分からない。また、アメリカ軍を助けるといっても、状況把握の情報量は圧倒的にアメリカ軍が上で、しかも作戦立案は米軍がするのだから、自衛隊は結局実質的にアメリカ軍の指揮命令下で戦わされることになります。これは、「結果的にそうならざるを得ない」という話ではなくて、「指揮権密約」であらかじめ取り決められているのだそうです。つまり、集団的自衛権は、自衛隊の若者をアメリカから買い求めた兵器ともどもアメリカ軍に「どうぞ自由にお使い下さい」と差し出すことに他なりません。そもそも、軍事力にものを言わそうという発想が間違いです。夥しい苦をつくることなのですから。

 さて、プロパガンダには正当な主張を装うものもあります。「亜細亜の同胞を欧米列強の植民地支配から解放する」という聞こえのいいスローガンが叫ばれましたが、実際に行ったことを見れば欧米列強に取って代ってアジアを支配しようとしただけであることは明白です。しかし、当時の青年の多くが、ナイーブにそれを信じていました。(例えば、『地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相』新潮新書の著者、飯田進さん)

 これらのプロパガンダは、人々の義憤を巧妙に操りました。あるいは、義憤ではなく心配を煽って、人々をコントロールしようとするものもあります。「○×国はなにをするか分からない。」「△◇教徒は危険だ。」といった言説が流され、不安に陥った国民は、それへの対処を理由にされて、通常なら拒絶するような政策を受け入れてしまいます。プロパガンダは、人々の自動的反応に上手に火をつけます。
 行政の隅にいる立場から見ると、国民の購買力が落ちてものの売れない昨今、人々の不安を煽り、それへの対応に税金を使わせて儲けるというビジネス・モデルが目についてしかたありません。

 プロパガンダにはめられないためには、先に述べたように、それによって引き起こされる反応が苦を増やすことにならないか、慎重に吟味することが必要です。そのためにはたくさんの情報を得て、ものごとを多面的に捉えなければなりません。しかし、ひとりでできることには限界があります。他の人と意見を交換し、お互いに検討しあう他ありません。

 プロパガンダは、人々を同じ方向に動かそうとします。みんなが同じ方向に走りだして勢いがつくと、止まることも方向を変えることもできなくなる。これは、ムカデ競走に似ています。前の人の背中だけを見て、足並みを揃えることだけに集中し、どこへ向かっているのかも分からない。崖であろうと突き進む。少し前の日本です。

 そうならないためには、足並みを乱す人、和を乱す人、他の人と違う意見の存在が貴重です。少数意見は、内容以前に、他の人たちと異なるという一点のみで、既に大切なのです。

 以前、国旗に一礼しない村長として話題になったことがあります。みんなに同じ態度を強要する空気があるうちは一礼しない、と説明しました。いろいろな反響がありましたが、その中にこんな電話がありました。わたしの「少数意見であれ、議論し批判しあい学び合うのが民主主義」という見解に対して、「選挙で多数を取った政治のプロが、上意下達で統治するのが民主主義である。地方自治体の長の任務は、国による統治に従って、住民を統治することである。村長たるもの、国の統治に従い、国旗に礼を表して住民に範を垂れ、住民にも礼をさせよ。」
 これには驚きました。国や地域をどのようにしていくか、ではなく、ともかく選挙で勝つことが重要だと考えています。この考えでは、選挙に勝つためには何をしてもいい、ということになりかねません。実際、選挙公約を実現するつもりなどさらさらなく、それがまったくの嘘であったとしても、ほとんど問題にされないのが日本の現実です。政策の議論はなおざりで、政局ばかりが話題になるのも、これが日本の政治の実態だからかも知れません。

 「政治のプロ」とて凡夫であり、執着のまま間違いをしてばかりいるのですから、そんな者に任せてしまうのは危険です。凡夫ばかりで構成されている社会が、なるべく苦をつくらないようにするためには、まずもって「凡夫の自覚」が広く共有されることが必要です。お互いに凡夫同士という自覚をもって、意見を聞き合い、議論し、批判し合う。それによって異なる意見同士が学び合い、考えを深め合うことができます。遠く隔たった考えでも、両方が深まっていけば、だんだんと近づいて行きます。それは、互いに近づくだけでなく、深まっていくことであり、正しいところに近づいている筈です。

 進化生物学者にR.ドーキンスという人がいて、ミーム(meme)というおもしろい着眼を提示しています。情報や思想は遺伝子と同じような振る舞いをする、というのです。
 ミーム(情報や思想)は、相矛盾するミームと争って生存競争をしつつ、人々の中に増え広がろうとします。その競争に負けたミームは、三葉虫のように滅びていきます。また逆に、人から人へと広がる内に、議論や批判によって鍛えられ、新しい着想が加えられ、進化発展していくものもあります。

 恐竜に踏みつぶされないように逃げ惑う小さなネズミのような最初の哺乳類から、進化の末にホモ・サピエンスが生まれたように、見向きもされなかった風変わりな少数意見が、議論によって深められ、やがて世界の常識へと進化、発展することもあります。「すべての人は、等しく人権をもつ」という考えも、かつては愚かな少数意見でした。少数意見こそが、鍛えられ、進化ならぬ深化をしつつ支持を拡げ、苦の少ない社会を築いていくのです。多数意見は大抵は古い意見であり、そればかりが支配する社会は良くなりません。

 ところで、我々は凡夫ですから、自分の考えを自分だけで完全なものに仕上げようとしても、時間がかかるばかりで、不可能です。操られたり間違った考えである可能性もあります。しかし、たとえ不完全であっても、ともかく発信することです。間違っていれば誰かが指摘してくれます。発展の可能性があれば、誰かが触発されて深化させてくれるかもしれません。そうやってみんなで考えを深めていく。批判されるかも知れませんが、批判を恐れてはいけません。批判は最高の教師です。間違いに気がつけば改めればいいし、指摘された問題点を克服できれば、深化です。思いつきでも何でもともかくどんどん発言し、批判に晒し、批判から学んで考えを深めるのです。

 ただし、わたし自身の経験からいうと、ミームがミームで批判されることは、残念ながら多くはありません。考え方そのものではなく、「村長という立場をわきまえよ」とか「意見表明の場がふさわしくない」といった、周辺の事情をあげつらい、発言を控えさせようと圧力をかけるケースがほとんどです。これでは、単なる言論の抑圧です。おそらく、ミームで正面から反論する自信がないのでしょう。自由に意見を表明し、批判しあい、議論しあい、学びあうことの正反対ですから、これに対してはそれを指弾して、圧力をはねのけねばなりません。ミームにはミームで、正々堂々と勝負を挑むべきです。力を持った連中が忖度を強いて自分たちに不都合な意見を封殺する社会は、干物のように窮屈に堅く縮こまり、活力を失います。

 凡夫であるわたしたちが、なるべく苦を生まないように社会を運営していくには、凡夫の自覚をみんなで共有し、少数意見も含めて尊重しあい、批判しあい、議論しあい、考えを深めあうしかありません。苦をつくることが少ない社会を創り上げていくには、言論の自由と民主主義が必要なのです。

 (ついでに触れると、わたしは、ベーシック・インカムというアイデアは、今は最初期のほ乳類のように小さくて頼りなげですが、鍛え上げられて進化(深化)すれば、社会を大きく変革する可能性を秘めた、画期的なアイデアではないかと期待しています。)

【閑話休題】

 長々と脱線してしまいました。本論の流れを思い出してもらうため、簡単に振り返っておきます。
 釈尊の教えの全体構成は、四諦、すなわち苦・集・滅・道で示される。執着の喜びはかりそめのもので、大きな苦の一部分である(苦)。苦の原因は、執着であり、なかでも我執がその根本原因である(集)。我執を鎮めれば、苦の生産も止まる(滅)。我執を鎮めるにはしかるべき手順、段取りがある(道)。そして、道は、八正道や三学で示されるが、この小論では、三学(戒、定、慧)で説明することにして、戒の説明まで終えました。

 戒は、自分という反応が苦をつくっていないか、いつも自分に気をつけていようとする努力であり、それによって、自分という反応はだんだんと落ち着き、観察可能な状態に近づいていきます。また、自分に気をつけている努力は、次の段階のより高度な修行、定や慧のための下準備にもなります。