協同総研の理事になって 協同組合の可能性

2017 07.04

いくつものご縁を頂いて、7月1日、一般社団法人協同総合研究所の理事になった。

とはいえ、実のところ、協同総研がどういう取り組みをしているのか、まだしっかりと把握できていない。どうやら労働者協同組合運動の発展、深化、普及をめざす団体のようだ、というのが今のところの私の理解である。

疎い分野であるが、普通、一定規模以上の企業は、資本が所有し、経営者の経営の下で労働者が賃労働をする、という構造になっていると思う。所有と経営と労働が分裂しているわけだ。その中で、一番弱い立場の労働者が、搾取、疎外、分断、解雇、失業などに晒されやすい。
それに対して、労働者協同組合は、労働者が組合をつくって、自分たちでそれを所有し、経営しようという取り組みだ。労働者が、組織の所有と経営も行っていく。

協同総研が、所有と経営と労働の分離を理念として否定し、労働者協同組合の形に全面的に移行すべきだと考えているのかどうかは分からない。少なくとも当面は、上に述べた、資本・経営・労働が分離したあり方も認めつつ、そこから生まれる弊害を補正し、労働者を守る役割を強化しようとしているのだと思う。

ところで、組合といえば、農業協同組合や森林組合がある。これらは生産者が集まって作った組合だ。生協(生活者協同組合)は消費者の組合だ。組合のベースとなるのは、賃労働者だけではなく、生産者や消費者も組合を設立し運営する主体になれる。

ここで思い出したのが、ドイツやオーストリアで見た自然エネルギーを地域で自給する組織だ。
働いても地域が貧しいのはなぜかと分析した結果、せっかく稼いだお金が地域外に流出しているからだと判った。そのうちでもっとも大きいのは、エネルギー購入によって産油国やロシア(天然ガス代)に流れている分である。であれば、地域でエネルギーを自給できれば、お金が地域の中で回る。そう考えた彼らは、薪や木チップのボイラーで湯を沸かし、地域を循環させる断熱パイプを埋設した。つまり、エネルギーの消費の分析から始めて、熱エネルギー供給、バイオマス燃料調達に広がる自主的組織を立ち上げたのだ。この組織が厳密にいって組合という形態かどうかは分からないが、おそらくそうだと思う。

つまり、どんな分野、どんな課題であれ、地域で共有して、それをみんなで持続可能な形で克服しようとするとき、協同組合という取り組みが大きなツールになる。

そして、ドイツ、オーストリアの取り組みを見て強く感じたことは、行政の関与が乏しく、住民の自主性、主体性が目立った点だ。
日本だと、地域に課題があれば、行政に解決させようとする。ところが、ドイツ、オーストリアでは、日本とは自治体の役割が異なるのであろうが、行政に問題提起するよりも、住民自らが共同組合をつくり課題を克服しようとする。その主体性に、住民自治、民主主義の強さを感じた。自治体の存在感の薄さが、逆に住民自治の強さの証なのだ。

協同総研の母体(?)である「日本労働者協同組合」には、福祉や介護、その他さまざまな地域の課題に取り組む事業体が多い。働く人たちの組合というあり方からさらに発展して、そのサービスを享受する消費者はもちろん、地域のすべての人たちがみんなで地域課題を考える場を形成する核になっていければ、労働者協同組合運動は、労働者の権利保護だけでなく地域自治をたくましく育てることもできるのではないか。

協同組合運動の可能性は広い。

2017年7月4日    曽我逸郎