きむきがんさんの一人芝居『在日バイタルチェック』を見て

2018 12.02

昨日(2018年12月1日)、長野朝鮮初中等学校(松本市)で、きむきがんさん・劇団石(トル)の一人芝居『在日バイタルチェック』を見てきた。以前辺野古に行ったときに来ておられて、お話しするチャンスはなかったけれど、面白い、でも凄い一人芝居をする人だよ、と教えられて気になっていた。

朝鮮学校に行ったのは初めてだ。すこし小さめの体育館に体操用のマットを敷き、後ろにはパイプ椅子を並べ観客席がつくってある。父母会の主催だそうだが、観客の大半は女性。中学生たち?も団体で観ていた(授業の一環?)。聞こえる会話は、日本語と朝鮮・韓国語の両方。日本語の方がやや多いか。(朝鮮語というべきなのか、韓国語というべきか。どちらを使うかによって、北・南のどちら派か判別されるのだろうか。その辺りの事情もわたしはよく分かっていない。)

きむきがんさんの芝居は、エネルギッシュで楽しい。福祉施設に通い、90歳の誕生日を祝ってもらう在日一世のオモニと職員たちのやり取りを演じ分けるのだが、語られる思い出話は、当然重くつらく悔しい。でもそこにたくましくもかわいいオモニのキャラクターがまぶされている。

わたしは関西で育ったので、在日韓国朝鮮人の人たちへの差別的な言葉は、日常的に聞いていた。けして意識は高くなかったので、私自身面白がって口にしていた。しかし、周囲に在日の人はいなかった。いや、いたかもしれないが、そうとは知らないままだったのかもしれない。高校の、さほど親しくはなかった先輩が、卒業後北朝鮮(共和国と言うべき?)の大学に進んだと聞いて、へぇそうだったのかと後から思ったことはあった。
文字で読んで想像していた差別を、改めて芝居でオモニの口から生々しく聞くと、ハラワタの煮えくり返る出来事が連続する毎日だったろうと思う。

わたしは、日韓・日朝関係をよくするにはどうすればいいか考えるために、韓国・朝鮮の人の話を聞きたいと思っている。韓国に行ったことがないので、行かなければ、とも考えている。
しかし、韓・朝鮮半島よりももっと身近に在日韓国・朝鮮人の人がいたのだ。先日は「信州渡来人倶楽部」の集まりに参加して、朝鮮半島情勢を聞いたが、それ以上に、日本において差別され口惜しい思いをしてきた在日韓国・朝鮮人の人たちの体験を聞くべきではないのか。

この夏に出た本『苦をつくらない』http://www.koubunken.co.jp/book/b372784.html の冒頭で、インドのアウト・カーストに位置づけられたダリットたちへの差別を取り上げ、「差別される側よりも、差別する側こそが釈尊の無常=無我=縁起の教えを学び、執着のレベルを下げ、苦の生産を鎮めるべきだ」と書いた。
しかし、遠いインドのことではなく、ここ日本において、在日韓国・朝鮮人をはじめとする人たちへの苛烈な差別の実態を注視し、わたしたちがどのように差別をしているのか知らなければいけない。なぜそんな差別をしでかすのか分析すれば、苦を生む執着の反応がどのように発現するのか、発見できることがあるだろう。
わたしたち自身の執着や我執をしっかりと見極め、世界全体の苦の生産を鎮めるために、とても重要なことだと思う。

写真は、きむきがんさんと、旦那役で引っ張り出された観客。ちょっとピンボケ