ベーシック・インカムは妙案かも

2017 04.27

9年前に(もうそんなに以前!)中川村HP『村長からのメッセージ』に掲載した文章。不十分な点もあるが、ベーシック・インカムについての最初の私の理解を書いていて、網羅的でもあるので、こちらにも転載する。

「ベーシック・インカム」は妙案かも 2008年06月04日 曽我逸郎

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「ベーシック・インカム」は妙案かも
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『ベーシック・インカム』という本がたまたま目に付いて、読んでみた。おもしろかった。(副題「基本所得のある社会へ」 ゲッツ・W・ヴェルナー著 渡辺一男訳 小沢修司解題 現代書館)

今、中川村の農業は、日本中の農山村の例に漏れず、大変厳しい状況だ。高齢化、担い手不足、手が廻らなくなって荒廃農地が徐々に増え、サル・イノシシ・シカの害がひどくなっている。業として農に取り組む専業農家は懸命に頑張っておられるが、数は少ない。志を高く掲げ若さで頑張る新規就農者は、末頼もしいけれど、さらに少ない。多くの農家は、商品作物をつくるというより、先祖代々の農地を自分の代で荒らすわけにはいかないという理由で、農作業・農地管理を続けておられるのであって、身体が続かなくなるか、大型機械が壊れたら、そこまでだと考えておられる。この5年10年で、農地の荒廃は一気に進みかねない。

農業のみならず、林業もさらに苦しい状況であるし、村自体年々高齢化が進み、人口は漸減し、草刈りや道普請など地域の維持もだんだんとままならず、お祭りさえ次第に負担になってきている。

活気を取り戻すために、農家民宿・体験農業・観光農業・都市との交流・農産加工・直売など、ありとあらゆる工夫・努力を模索してはいる。確かに成功事例は生まれつつあるが、村全体を考えれば、村単独の取組みでは、深刻化のスピードを遅らせることはできても、余力を失った農家も含めて、全体が元気を回復することは非常に難しい。

受け継がれてきた環境や景観を大切にし、伝統文化・暮らしを引き継いで、「美しい国」を守っていくためには、農業や林業従事者にむけて国において現金補助をして頂く他はないのではないか。そんなことを考えていた。

しかし、この本を読んでわくわくした。ベーシック・インカムの発想は、もっとラディカルだ。ヨーロッパで議論され始めたアイデアで、生きていくのに必要・十分な所得を、すべての人に、条件を設けずに、給付しようと言う。働く意欲があるのに働くチャンスのない人や、働いても十分な賃金の得られない人は勿論のこと、高収入の人にも、働くつもりのない人にも、等しく同額の給付をすると言う。
「なぜ金持ちにまで給付するんだ!?」
「なぜ働く気のない怠け者に給付するんだ!?」
こういう拒絶反応がでるだろう。これまでの常識からすれば、もっともな反論だ。しかし、じっくりと想像してみると、ベーシック・インカムからいろいろなメリットが生まれることが分かる。

まず、先に述べた村の現状に対しては、どういう影響が期待できるか。
今、農業では将来設計が立てられないから、若者は村を出て行く。村に残っても、勤め人になる。しかし、ベーシック・インカムが保障されれば、贅沢はできなくとも、安心して家の農業と地域の担い手になれる。
都会から、現代文明への問題意識をもって、あるいは理想の生き方を求めて、農的暮らしに憧れる人にも、踏み切る勇気を与えるだろう。若い力が農山村に入り、農地や山が再生され、伝統文化も継承されていくかもしれない。

一方、都市部においてはどうだろう。
生存を維持するため、苛酷な労働を強いられている「ワーキング・プア」の人たちが解放される。職を失いたくないがために劣悪な労働条件に甘んじざるを得ない人がいなくなるから、つらい仕事の対価は正当に上昇するだろう。また、自分の倫理観に反する業務を命じられても、拒絶できるようになる。(一方で、企業の側においては、解雇通告を出しやすい雰囲気が生まれるかもしれない。)
現状では、将来への不安から、就職や資格取得など、目先の損得に縛られている人が多いが、ベーシック・インカムが保障されれば、自分の夢やこだわりのために生きる人が増えるだろう。食うために生きるのではなく、自分らしい何かのために生きることが可能になる。じっくりと取り組める人生、やり直しの効く人生へ、ベーシック・インカムは、人生観さえ変えるかもしれない。

「それにしても、十分な所得のある人や働く気のない人間にまで給付するのか? 食うに困らなくなれば、誰も働かなくなる。」そういう批判は根強いだろう。それにはこう答えたい。

現代社会では、労働は、賃金によってのみ評価されている。しかし、それでいいのだろうか? 家事や育児などは、大変重要な仕事であるのに、賃金では評価されていない。農地を守るため、儲からないのは承知で、畦や水路を守り、炎天下の草刈りに汗を流すお年寄りは大勢おられる。そのお蔭で、景観のみならず、都市の水源は涵養され、水害も未然に防がれているのに、これも評価されていない。伝統芸能を受け継いでいくために、一所懸命の人たちもいる。支えあいのボランティアも地域にとって重要だ。職人的な技も、評価を受けるまでには長い時間がかかる。今は理解されない研究や芸術が、後世に大きな影響を与えることも多い。人類の文化は、損得を超えたこだわりから生まれてきた。賃金で評価されない活動も、社会にとっては非常に大切なのである。

ベーシック・インカムは怠け者を作る、という意見に対しては、ベーシック・インカム論者は、性善説に基づく楽観的な見解を持っている。人間は、他の人と係わり合いながらなにがしかの貢献することによって、あるいは、自分のこだわりを追求することによって、自分を認めることができるのであるから、食うに困らなくても、賃金で評価されるかどうかは別として、必ずなにか、例えば先に述べたような活動をするものである。彼らはそう考えるし、私も同感だ。
今、「ひきこもり」が問題にされている。これは、人の価値を賃金によってのみ測る世の中の頑なな冷酷さが引き起こしている現象ではないだろうか。ベーシック・インカム制度は、人の見方も柔軟で多様にするに違いない。

高所得者にまでなぜ給付するのか、という問いに対しては、こう答える。ベーシック・インカムが導入されれば、ベーシック・インカムが前提の賃金体系になるのだから、現在の収入のままでベーシック・インカムが上乗せされることにはならない。それぞれの仕事ごとに、新たな賃金が決まってくる。

また、一部の人にだけ給付をするとなると、対象グループごとに様々な条件をつけなければならない。所得が一定以下の人。一定年齢以下の子供を一定人数以上養育している人。まじめに求職活動をしている人。資産が一定以下の人。などなど、無数の細かい条件がつく。今の福祉政策はまさにこうで、社会制度のほころびにさまざまなツギアテをして、その条件文言の適正化・厳密化と、条件にあてはまるかどうかの判定にたいへんなマンパワー(公務員賃金)が消費されている。支えを必要としている人に実際に届く金額と、そのためのマンパワーに消費される金額との比率は、果たして妥当なものになっているのだろうか? おまけに、社会の変化に制度が追いつかず、助けを必要とする多くの新しいほころびが手当されないままになっている。

ベーシック・インカム制度では、賃金所得が突然なくなった場合でも、なにも申請する必要はない。これまでどおり、ベーシック・インカムは支払われる。役場で根掘り葉掘り尋ねられて嫌な思いをすることもない。公務員のマンパワーを浪費することもない。簡素な仕組みである。
仮にベーシック・インカム制度にただ乗りする輩がいたとしても、それを防ぐごうとすれば、そのために必要となる公務員賃金の方がはるかに甚大となるだろう。第一、それがただ乗りなのか、あるいは、今は姿の見えない大きな仕事が胸の奥底で密かに準備されつつあるのか、誰にも分からない。本人にさえ分からないこともあるだろう。

ベーシック・インカム制度に期待できる利点については、なんとなくでも想像いただけたかと思う。
想定されている支給額は、論者によって様々であろうが、日本ではひとり月額8万円とかが考えられているようだ。夫婦世帯なら16万円になる。子供ができても+8万円という説もあるし、子供は年齢に応じて安くてよいという説もある。将来の見通しがいくらかでも持てて安心感が生まれれば、結婚しやすくなるし、少子化対策にもなるだろう。死ぬまで支給されるという安心感で老後の不安が減れば、貯金よりも元気なうちに人生を楽しもうということにもなるだろう。

しかし、まだこのような反論があるに違いない。「そんな財源がどこにあるのか!?」
これについては、私はまるで素人で、受け売りしかできないが、以下のような答えが用意されているようだ。

まず、ベーシック・インカムは、既存の多くの福祉手当を吸収するので、それらの財源を充てることができる。生活保護や年金制度、児童手当も不要になる。社会保険庁もいらなくなるし、公務員もかなり削減できるはずだ。
ただし、シミュレーションによれば、それらの充当だけではやはり不足で、増税が必要になるようだ。だが、それは十分実施可能な範囲だと言う。
何にどう課税するかについては、意見が分かれている。私の読んだ本の著者ヴェルナーは、すべて消費税にせよ、と過激な主張をしている。従来の所得税や法人税の延長で考える案もある。それぞれの論者が、自分の思想に基づいてさまざまな主張をしている。

給付の額についても検討しなくてはいけない。年齢に応じて変えるのか、障害のある人については上乗せするのか、などなど、さまざまな意見があるだろう。あまりに大雑把だと不公平が生まれるだろうし、きめ細かすぎると管理コストがかさむ。

ともあれ、これらは技術的な課題だ。もっと大きな問題は、ベーシック・インカム制度が機能し得るとしても、そこにどのようにして移行していくのか、という問題だ。
全世界が一緒にそうならなければうまくいかないという説もあるが、そうなるとほとんど不可能のような気がする。ベーシック・インカム制度は、高い生産性が達成された先進国・先進地域でのみ可能だ、とする意見もある。
一国で実施すれば、移民が押し寄せるのではないか、といった心配をする人もいる。税制によっては様々な悪影響が生じるかもしれない。

生産性が高く、島国でもある日本は、ひょっとするとベーシック・インカム制度を実験してみるには絶好の国なのかもしれない。
いずれにせよ、もろもろの制度疲労によって日本の現状はいたる所がぼろぼろなのであるから、これくらいラディカルな発想で国・社会のあり方を再検討してみる必要があるのではないだろうか。

小さな本を一冊読んだだけの安直な理解であるから、私の見えていない大きな副作用があるのかもしれない。
お気づきの点、ご教授頂ければありがたい。

以上

2020,8,23 追記 「新自由主義的BIの危険性」
新自由主義的と目される人たちにも、BIに賛成する意見がある。彼らはおそらく、名ばかりの不十分なBIによって、「生存は保障された」と主張し、セーフティネットを削減しようともくろんでいるのだろう。
真のBIは、意に沿わないあり方から離脱する自由を人に与えるものでなければならない。それには、十分な金額が必要だ。もしも、健康で文化的な生活をおくるに足りない金額で、生存のために不本意な賃労働を続けなければならないなら、それはBIではない。

2020,9,9 追記 「BI財源の新たな可能性」
反緊縮の財政論が提案されている。MMT(現代貨幣論)や公共貨幣の考えだ。歳入で歳出を縛るのは間違いであり、インフレ率を財政規律の新たな指標とするべきだと主張する。検証が必要だが、これが正しければ、ハイパーインフレにならない範囲で、歳入を超える歳出が可能になる。https://bit.ly/32dnkln を参照。

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ベーシックインカムについての感想

2008年6月9日、6月4日付のメッセージについて、“森の樵”さんから感想が寄せられました。
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これは「ベーシックインカム」について曽我さんの書かれた感想に対する私的な感想です。

直接的に村行政に関する事とは思えませんのでこのコーナーに宛てるのが適当かどうか逡巡しましたが、他に見当たらないので書かせて頂きます。

先ず何より感じたのは、我が自治体の長が「ベーシックインカム」に対して肯定的な感想を寄せられている事を大変好ましいと思う事です。

このようなある種過激な社会改革のアイデアについて実現出来たら面白いなあと夢想出来る力、その柔軟性が楽しく、共感出来るのです。

文中で述べておられたように、この基礎給付の考え方は性善説的な観点から発せられたものでしょう。
これについては当然賛否両論があり、各専門分野からの厳しい吟味によって研磨されて行くべきもので、その過程において大いなる実りが期待出来るものと考えます。

と、こう書いていながら、実は私個人の感想は敢えてネガティブです。

というのも、私にはこれが20世紀に行われた壮大な社会主義国家の実験の頓挫(ソ連の崩壊)によって答えの出た理想の追求に近似したものと思われてならないからです。

つまり残念ながら人間は社会のあり方に対して理想は理想として理解出来ても個々のレベルでは共産的理想には満足出来ず、不完全と知りつつ資本主義の競争の中にしか平安を見いだせないものであるように思われるという事です。

これはアーサー・C・クラークがその著作の中で展開する社会の未来図にあっさりと示していた考え方です。

この点で「ベーシックインカム」の考え方には共感出来る理想を感じつつ、その実現には易々と頷けないのです。

政治的イデオロギーの善し悪しではなく、人間がその社会的生物としての本質に於いていかなる性向を持つのか、これについては比較行動学的な見地からの報告を待ち続けていますが未だ我々は自らの蒙をひらかれていない混沌を抱えたまま、複雑に分化した社会の諸問題に翻弄されているように感じています。

つまり、我々人類は生物としての肉体と性向を依然として持ち続けているにもかかわらず、文化として手にした高度な制度や技術、そして理念にそれが追いついてこない状況であるという事です。

感情的に判りやすい例としては、原爆のスイッチを押す事と直接自らの手で人を殺戮する事には精神的・肉体的に受ける抑圧の量が圧倒的に違うにもかかわらず、容易く押せるボタンの結果は惨憺たるものであるというような事です。

これはいささか専門的な分野の話になり、ことさらに長くなりますのでこの辺までとします。

ただ、直面している社会の諸問題解決に対して非常に肯定的な視点を持って検討したいという「ベーシックインカム」のアイデア自体を否定しているのではありません。理想とするところには大きな期待を寄せたいと思います。
それどころか私個人としては経済行為としてよりもその前の「人生の生業」として農的林的な生活を追求していますので、実際には私こそ「ベーシックインカム」待望・切望者なのかもしれません。

冒頭にも書かせて頂いたようにこのような夢のある肯定的なアイデアに興味を寄せられる我が村長に親しみとともにエールを送らせて頂きます。

長々と失礼しました。

森の樵

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2008年06月14日 曽我逸郎

拝啓

ベーシック・インカム(BI)に関する拙文に感想を寄せていただき、真にありがとうございます。書いたとおり、あの本を一冊読んだだけですので、深い理解はできておりませんが、大変ユニークで世の中を一変させる可能性を秘めたアイデアではないかと感じています。その分、副作用があった場合、その影響も大きそうで、その点は心配ですが・・・。

さて、森の樵さんから頂いた問題提起は、こういうことではないかと読みました。

「BIは、すでに破綻した社会主義・共産主義の理想追求の近似である。人間の欲望や本能はそのような合理的理想の枠にはおさまらず、資本主義的な競争原理に走る。従って、BIは、破綻する。持続的な制度としては維持できない。」

確かに、BIは、社会主義的・共産主義的に聞こえる要素があります。しかし、資本主義的な自由競争も前提にしているのではないでしょうか。

私の読んだ本の著者、ヴェルナーは、ヨーロッパに広がる大きなドラッグストア・チェーンの創業者ですし、いわゆる資本家の中にも少なからぬ共鳴者がいるそうです。(資本家がなぜBIを支持するのか、その理由を調べてみるとおもしろそうです。)
逆に、左翼の反対論者も少なくないようです。「労働こそが付加価値を生む」というのが左翼のテーゼであるから、労働と所得を切り離して、労働(狭義の)をしない人にも給付する、というBIの考えは伝統的左翼には容認しがたい、というような解説がどこかありました。
BIは、かならずしも、左翼から支持され資本主義からは拒絶される、というものではないようです。

おっしゃるとおり、人間の本能・欲望は、なるべく楽をしたい、贅沢をしたい、というものでありましょう。BIだけの生活に切り詰めて、のんべんだらりと過ごす人もいるでしょう。(そういう人も、きっと詩を書いたり絵を描いたり、なにかをすると思いますが・・・。) また一方で、おしゃれしたい、車を乗り回したい、もてたい、海外の高級リゾートで大きい顔してゴルフしてダイビングしてエステしてうまいもの食いたい、六本木ヒルズの最上階で夜景を眺めながらいい女とワインを飲みたい、という人もいるでしょう。こういう人は、BIがあってもそんなものには満足できず、知恵を絞ってうまくもっと儲けようと競走するに違いありません。また、人間には、自分のこだわりを追及したい、とか、人の役に立ちたい、といった、もう少し高級な欲望もあります。こういう欲望には、BIだけでは不足でしょうし、活動を継続していくためにはそれだけの金を稼ぎ続けねばなりません。ですから、ほとんどの人は、今と同じように、競争しながら様々な仕事をして所得を稼ぎ続けるだろうと思います。

また、社会主義・共産主義とBIとの大きな違いは、前者が、公務員の働きを肯定的に評価し、計画経済や多様で詳細な社会保障の充実に走るのに対して、BIは、官僚の仕事を、なくても済むならなくした方がいいもの、とややネガティブに捉え、官僚の働きなしでうまくいくシステムを模索している点です。ある意味、小さな政府を目指すものといえるでしょう。

ということで、BIは、ぱっと見の印象ほどには社会主義・共産主義に近いものではないように思います。

私自身読み齧りの段階ですし、ヨーロッパでも深い研究はこれからのようです。大きな副作用もあるかも知れず、じっくりと勉強したいと思います。BI自体を勉強するというより、世の中はどうあるべきか、いろいろと思考実験をしてみる材料として、BIはなかなかおもしろいのではないかと感じます。

またご意見お聞かせください。

森の樵さま
2008.6.14 曽我逸郎

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「ベーシック・インカム」は妙案かも(6月4日)を読ませていただきました

2008年9月29日、6月4日付のメッセージについて、京都府立大学の小沢教授から感想が寄せられました。
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突然、失礼します。

知人から、長野県の中川村の曽我村長がベーシック・インカムについて書かれているよ、と教えていただき、さっそく読ませていただきました。私は、村長が取り上げられているヴェルナーの本の解題を書いている、京都府立大学の小沢といいます。

率直な感想ですが、非常にうれしいです。私自身、ワクワクドキドキしながらベーシック・インカムの研究をしていますし、日本の農山村を救う一つの手だてになるとも思っているのですが、日々現場で住民の方々とご努力されている行政の首長からベーシック・インカムへの賛同の表明をいただけるというのは、ものすごく心強い限りです。

しかも、曽我村長の理解は極めて正確だし、なによりも、私たちの心や体に染みついた、労働と所得を結びつけている「当たり前」の意識や行動規範から自由で柔軟な精神を持っておられることにびっくりしました。うれしいとしか言いようがありません。

たった今、できたての本(武川正吾編『シティズンシップとベーシック・インカムの可能性』法律文化社)が出版社から届きましたので、別途送らせて頂きます。私も「日本におけるベーシック・インカムに至る道」と題した拙文を書いています。

これからも、できましたら意見交換をさせていただければありがたいです。

気候の変化が激しい季節となっていますが、健康に留意してご活躍下さい。

では、失礼します。

小沢修司

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2008年09月30日 曽我逸郎

拝啓

小沢先生からメールを頂くなんて、びっくり致しました。ヴェルナーの本を読んで村のホームページに載せた文章を書くとき、ネット上に公開しておられる論文も拝読いたしました。その先生から、「理解が正確」と言って頂いたのは、大変嬉しいことです。

ご存知のとおり、今、地方の窮状は大変な有様です。中川村でも、中心産業たる農業は、有害鳥獣の被害に加えて病虫害など温暖化の影響も出始め、資材・肥料は高騰し、おまけに農作物価格は低迷し、業としてほとんど成り立たず、後継者は稀で、なんとか元気な高齢者の「自分の代で先祖代々の農地を荒らすわけにはいかない」という意地だけにたよって続いている状態です。それも、自分の身体か大型機械が壊れればそれまで、という切羽詰った段階です。林業は既に壊滅したといっていいでしょう。

こういう状態で、国のやろうとしていることは、日本の国土の地形に適合しない「農業経営の大規模化」であり、農家からこだわりや遣り甲斐を奪う「企業の導引」であり、自動車などの輸出の引き換えに安全性を省みず農作物を輸入することです。

それぞれの地域の農林漁業が、歓び・遣り甲斐をもって続けられなければ、祭りも伝統文化も維持されず、「美しい日本」(もはや死語か?)は破壊されています。

業のみならず、医療や福祉においても、国のしていることは、財政再建だけを目指して後のことは考えずに大鉈を振るってセイフティ・ネットをずたずたに切り裂き、現場はサービスをする人も受ける人も傷だらけ血まみれの有様です。その一方で、自分達が切りつけた傷の手当てに細切れの絆創膏をばら撒いています。そういった絆創膏のきれっぱしに手当ての効果はなく、ただ役人の仕事と人件費を増やしているばかりです。

この現状を考えると、日本の伝統文化を大切にし、食の安全を確保し、無駄な役所仕事を減らす上でも、ベーシック・インカム制度は、極めてシンプルで運営コストが低く、かつ広大なセイフティ・ネットであり、大きな可能性を感じます。ベーシック・インカムが確保され、農家がそれぞれのこだわりの農業に取り組めるようになれば、農業・農村にも活力が復活し、祭りや伝統文化も引き継がれていくでしょう。
農家への支援が非関税障壁だと外国から非難されるのであれば、農家のみならず全国民を等しく支援してしまえば、すなわちベーシック・インカムを導入すれば、そんな非難も封じることができるのではないでしょうか。

それ以上に、ベーシック・インカムによって、個々人が目先の生存に汲々とせず、自分の人生に取り組めることこそ、すばらしいことだと思います。ひょっとすると一部の多感な人は自由の重荷に押しつぶされる、あるいは実存の深淵に引き込まれるという副作用はあるかもしれませんが、先の希望のまったく見えない「ワーキング・プア」の奴隷的惨状よりは、はるかにましだと思います。

他の問題点の可能性としては、共同体(家族など)に経済的依存状態にあって、我慢してそこに留まっている人(たとえば主婦や若者)は、ベーシック・インカムを得ると、そこから脱出するかもしれません。つまり、ベーシック・インカムは、共同体を壊す作用があるかもしれません。しかし、ベーシック・インカムに壊されるのは、共同体が圧制的である場合であり、圧制からの解放だと考えれば、ベーシック・インカムのプラスの効果だとも言えます。
一方で、一人で月8万円で暮らすより、二人で16万円で暮らした方が生活は楽であり、すなわちベーシック・インカムには逆に共同体(家庭)を生み出す作用も期待できそうです。

でも、ベーシック・インカム実現に向けての一番の障害は、おっしゃるとおり私達の社会の狭量な労働観でしょう。三年寝太郎を許容できない。自己責任と競争の原理に塗りこめられた今の日本社会に、多様で自由な生き方を認める懐の深さを期待するのはむずかしそうです。これに対しては、実直にベーシック・インカムの利点を訴えて、理解を深めていくほかはないのでしょう。

格差社会の問題が表面化してきた今は、ベーシック・インカムを訴えかけるチャンスかもしれません。破綻したトリクルダウン理論とは正反対の、低格差社会こそ幸福と説く『経済成長神話からの脱却』や、シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』とも通底して、人間の幸せとは何かを考えるところから社会制度を設計する思想的深さを、ベーシック・インカムは内包していると思います。

ベーシック・インカムには、本当に大きな期待を持っているのですが、村のレベルで取り組めないところが残念なところです。それとも、なにか擬似的なものであれば、工夫次第で可能でしょうか?

『シティズンシップとベーシック・インカムの可能性』、ありがとうございます。楽しみにしております。

今後とも是非ご教授賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

敬具
小沢修司先生
2008.9.30 曽我逸郎

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サイトを読みました。

2008年9月29日、6月4日付のメッセージについて、茨城県の黒田長宏様から感想が寄せられました。
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中川村長 曽我様

はじめまして。茨城県の41歳の者です。
「ベーシック・インカム」は妙案かも、を読みました。

以前、ネットで、衆議院、参議院のほぼ全員と、市町村を北海道から、ネットでメールできるところに、「ベーシックインカム」実現希望のメールをしました。
衆議院から8名くらいの人が返事をくれました。参議院はいの名前、市町村は北海道の途中でストップしてしまいましたが、グーグル検索で到着しました。

やはり政治のリーダーの方が関心を持たないと、ベーシック・インカムは動きようも無いと思います。
ぜひ、賛同者とつながって、社会を新しい方向に移そうとしていただきたいく思います。

楽天ブログをしてきましたが、荒らしに会い、コメント受付をストップしています。
私のテーマの一つは、長期ニート、長期失業者、ホームレスなどが生活苦をどう逃れられるかなんですが、それに集中したブログをアメブロで作りました。

現在職探し中のため、長野県までうかがえないですが、再就職したら、ベーシックインカムがもっと動くようになにかしたいです。失業する前は、千葉県成田駅前などで一人でベーシックインカムの街頭説明などやったり、東京や茨城のちらしに、ベーシックインカムの紹介広告を載せたくらいです。

他に、どうすれば、在宅で誰もが収入を得られる装置などの仕組みが発明できるかなど、いろいろアメブロに載せて、このように発明家などにメールしたりしています。

再就職できたらの話ですが、お金に困らなくなれば、長野県まで行き、なにかベーシックインカムその他についてお手伝いできればと思うので、よろしくお願いします。

新しいことに注目するということは、関心を持つ人がなかなか近場で見つからなかったりしますので、全国レベルで問い合わせしなければならないと思い、茨城県民で唐突ですが、危機感を持ち、メールさせていただきました。

http://ameblo.jp/anzensaku/ (アメブロ)
http://plaza.rakuten.co.jp/kurodata/ (楽天)

稲敷市 黒田長宏

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2008年09月30日 曽我逸郎
拝啓

メール頂き、ありがとうございます。

ベーシック・インカムについては、私は、まだ知ったばかりで、十分な理解はできていませんが、大変大きな可能性があるのではないかと期待しています。

なかなか一般には理解されにくく、実現には困難が多いと思いますが、格差社会の問題が噴出している今は、ベーシック・インカムの利点・問題点をみんなで考えるよいチャンスかもしれません。

5月3日、新宿で行われた『自由と生存のメーデー2008 プレカリアートは増殖/連結する』に参加しました。
このような機会を捉えて、ワーキング・プア、プレカリアートの人たちとベーシック・インカムについて語り合い、連帯していくのも一つの方法ではないかと思います。

またご意見お聞かせ下さい。

敬具
黒田長宏様
2008.9.30 曽我逸郎