中川村HP 『村長からのメッセージ』より転載
『ベーシック・インカム』という本がたまたま目に付いて、読んでみた。おもしろかった。(副題「基本所得のある社会へ」 ゲッツ・W・ヴェルナー著 渡辺一男訳 小沢修司解題 現代書館)
今、中川村の農業は、日本中の農山村の例に漏れず、大変厳しい状況だ。高齢化、担い手不足、手が廻らなくなって荒廃農地が徐々に増え、サル・イノシシ・ シカの害がひどくなっている。業として農に取り組む専業農家は懸命に頑張っておられるが、数は少ない。志を高く掲げ若さで頑張る新規就農者は、末頼もしい けれど、さらに少ない。多くの農家は、商品作物をつくるというより、先祖代々の農地を自分の代で荒らすわけにはいかないという理由で、農作業・農地管理を 続けておられるのであって、身体が続かなくなるか、大型機械が壊れたら、そこまでだと考えておられる。この5年10年で、農地の荒廃は一気に進みかねな い。
農業のみならず、林業もさらに苦しい状況であるし、村自体年々高齢化が進み、人口は漸減し、草刈りや道普請など地域の維持もだんだんとままならず、お祭りさえ次第に負担になってきている。
活気を取り戻すために、農家民宿・体験農業・観光農業・都市との交流・農産加工・直売など、ありとあらゆる工夫・努力を模索してはいる。確かに成功事例 は生まれつつあるが、村全体を考えれば、村単独の取組みでは、深刻化のスピードを遅らせることはできても、余力を失った農家も含めて、全体が元気を回復す ることは非常に難しい。
受け継がれてきた環境や景観を大切にし、伝統文化・暮らしを引き継いで、「美しい国」を守っていくためには、農業や林業従事者にむけて国において現金補助をして頂く他はないのではないか。そんなことを考えていた。
しかし、この本を読んでわくわくした。ベーシック・インカムの発想は、もっとラディカルだ。ヨーロッパで議論され始めたアイデアで、生きていくのに必 要・十分な所得を、すべての人に、条件を設けずに、給付しようと言う。働く意欲があるのに働くチャンスのない人や、働いても十分な賃金の得られない人は勿 論のこと、高収入の人にも、働くつもりのない人にも、等しく同額の給付をすると言う。
「なぜ金持ちにまで給付するんだ!?」
「なぜ働く気のない怠け者に給付するんだ!?」
こういう拒絶反応がでるだろう。これまでの常識からすれば、もっともな反論だ。しかし、じっくりと想像してみると、ベーシック・インカムからいろいろなメリットが生まれることが分かる。
まず、先に述べた村の現状に対しては、どういう影響が期待できるか。
今、農業では将来設計が立てられないから、若者は村を出て行く。村に残っても、勤め人になる。しかし、ベーシック・インカムが保障されれば、贅沢はできなくとも、安心して家の農業と地域の担い手になれる。
都会から、現代文明への問題意識をもって、あるいは理想の生き方を求めて、農的暮らしに憧れる人にも、踏み切る勇気を与えるだろう。若い力が農山村に入り、農地や山が再生され、伝統文化も継承されていくかもしれない。
一方、都市部においてはどうだろう。
生存を維持するため、苛酷な労働を強いられている「ワーキング・プア」の人たちが解放される。職を失いたくないがために劣悪な労働条件に甘んじざるを得 ない人がいなくなるから、つらい仕事の対価は正当に上昇するだろう。また、自分の倫理観に反する業務を命じられても、拒絶できるようになる。(一方で、企 業の側においては、解雇通告を出しやすい雰囲気が生まれるかもしれない。)
現状では、将来への不安から、就職や資格取得など、目先の損得に縛られている人が多いが、ベーシック・インカムが保障されれば、自分の夢やこだわりのた めに生きる人が増えるだろう。食うために生きるのではなく、自分らしい何かのために生きることが可能になる。じっくりと取り組める人生、やり直しの効く人 生へ、ベーシック・インカムは、人生観さえ変えるかもしれない。
「それにしても、十分な所得のある人や働く気のない人間にまで給付するのか? 食うに困らなくなれば、誰も働かなくなる。」そういう批判は根強いだろう。それにはこう答えたい。
現代社会では、労働は、賃金によってのみ評価されている。しかし、それでいいのだろうか? 家事や育児などは、大変重要な仕事であるのに、賃金では評価 されていない。農地を守るため、儲からないのは承知で、畦や水路を守り、炎天下の草刈りに汗を流すお年寄りは大勢おられる。そのお蔭で、景観のみならず、 都市の水源は涵養され、水害も未然に防がれているのに、これも評価されていない。伝統芸能を受け継いでいくために、一所懸命の人たちもいる。支えあいのボ ランティアも地域にとって重要だ。職人的な技も、評価を受けるまでには長い時間がかかる。今は理解されない研究や芸術が、後世に大きな影響を与えることも 多い。人類の文化は、損得を超えたこだわりから生まれてきた。賃金で評価されない活動も、社会にとっては非常に大切なのである。
ベーシック・インカムは怠け者を作る、という意見に対しては、ベーシック・インカム論者は、性善説に基づく楽観的な見解を持っている。人間は、他の人と 係わり合いながらなにがしかの貢献することによって、あるいは、自分のこだわりを追求することによって、自分を認めることができるのであるから、食うに困 らなくても、賃金で評価されるかどうかは別として、必ずなにか、例えば先に述べたような活動をするものである。彼らはそう考えるし、私も同感だ。
今、「ひきこもり」が問題にされている。これは、人の価値を賃金によってのみ測る世の中の頑なな冷酷さが引き起こしている現象ではないだろうか。ベーシック・インカム制度は、人の見方も柔軟で多様にするに違いない。
高所得者にまでなぜ給付するのか、という問いに対しては、こう答える。ベーシック・インカムが導入されれば、ベーシック・インカムが前提の賃金体系にな るのだから、現在の収入のままでベーシック・インカムが上乗せされることにはならない。それぞれの仕事ごとに、新たな賃金が決まってくる。
また、一部の人にだけ給付をするとなると、対象グループごとに様々な条件をつけなければならない。所得が一定以下の人。一定年齢以下の子供を一定人数以 上養育している人。まじめに求職活動をしている人。資産が一定以下の人。などなど、無数の細かい条件がつく。今の福祉政策はまさにこうで、社会制度のほこ ろびにさまざまなツギアテをして、その条件文言の適正化・厳密化と、条件にあてはまるかどうかの判定にたいへんなマンパワー(公務員賃金)が消費されてい る。支えを必要としている人に実際に届く金額と、そのためのマンパワーに消費される金額との比率は、果たして妥当なものになっているのだろうか? おまけ に、社会の変化に制度が追いつかず、助けを必要とする多くの新しいほころびが手当されないままになっている。
ベーシック・インカム制度では、賃金所得が突然なくなった場合でも、なにも申請する必要はない。これまでどおり、ベーシック・インカムは支払われる。役場で根掘り葉掘り尋ねられて嫌な思いをすることもない。公務員のマンパワーを浪費することもない。簡素な仕組みである。
仮にベーシック・インカム制度にただ乗りする輩がいたとしても、それを防ぐごうとすれば、そのために必要となる公務員賃金の方がはるかに甚大となるだろ う。第一、それがただ乗りなのか、あるいは、今は姿の見えない大きな仕事が胸の奥底で密かに準備されつつあるのか、誰にも分からない。本人にさえ分からな いこともあるだろう。
ベーシック・インカム制度に期待できる利点については、なんとなくでも想像いただけたかと思う。
想定されている支給額は、論者によって様々であろうが、日本ではひとり月額8万円とかが考えられているようだ。夫婦世帯なら16万円になる。子供ができ ても+8万円という説もあるし、子供は年齢に応じて安くてよいという説もある。将来の見通しがいくらかでも持てて安心感が生まれれば、結婚しやすくなる し、少子化対策にもなるだろう。死ぬまで支給されるという安心感で老後の不安が減れば、貯金よりも元気なうちに人生を楽しもうということにもなるだろう。
しかし、まだこのような反論があるに違いない。「そんな財源がどこにあるのか!?」
これについては、私はまるで素人で、受け売りしかできないが、以下のような答えが用意されているようだ。
まず、ベーシック・インカムは、既存の多くの福祉手当を吸収するので、それらの財源を充てることができる。生活保護や年金制度、児童手当も不要になる。社会保険庁もいらなくなるし、公務員もかなり削減できるはずだ。
ただし、シミュレーションによれば、それらの充当だけではやはり不足で、増税が必要になるようだ。だが、それは十分実施可能な範囲だと言う。
何にどう課税するかについては、意見が分かれている。私の読んだ本の著者ヴェルナーは、すべて消費税にせよ、と過激な主張をしている。従来の所得税や法人税の延長で考える案もある。それぞれの論者が、自分の思想に基づいてさまざまな主張をしている。
給付の額についても検討しなくてはいけない。年齢に応じて変えるのか、障害のある人については上乗せするのか、などなど、さまざまな意見があるだろう。あまりに大雑把だと不公平が生まれるだろうし、きめ細かすぎると管理コストがかさむ。
ともあれ、これらは技術的な課題だ。もっと大きな問題は、ベーシック・インカム制度が機能し得るとしても、そこにどのようにして移行していくのか、という問題だ。
全世界が一緒にそうならなければうまくいかないという説もあるが、そうなるとほとんど不可能のような気がする。ベーシック・インカム制度は、高い生産性が達成された先進国・先進地域でのみ可能だ、とする意見もある。
一国で実施すれば、移民が押し寄せるのではないか、といった心配をする人もいる。税制によっては様々な悪影響が生じるかもしれない。
生産性が高く、島国でもある日本は、ひょっとするとベーシック・インカム制度を実験してみるには絶好の国なのかもしれない。
いずれにせよ、もろもろの制度疲労によって日本の現状はいたる所がぼろぼろなのであるから、これくらいラディカルな発想で国・社会のあり方を再検討してみる必要があるのではないだろうか。
小さな本を一冊読んだだけの安直な理解であるから、私の見えていない大きな副作用があるのかもしれない。
お気づきの点、ご教授頂ければありがたい。
2008年6月4日 曽我逸郎