靖国神社に関するやり取り(続き)

2008 12.09

2008年12月7日
同年大晦日 加筆

 長野県戦没者遺族大会と長野県戦没者追悼式に出席して、いろいろ考えさせられたことを中川村ホームページに掲載したところ、神社新報社のOさんという方から靖国神社に関する部分について質問を頂き、それへの私の回答を同ページに追加した。

その後、以下のような展開となっている。
(読み進められる前に、長くて恐縮ですが、前記事に眼を通して下さい。)

****

最初のHP掲載が11月6日。Oさんからの質問は11月13日。私からの返事送付とそれのHP掲載は、11月19日だった。この間、Oさん以外の一般の方からの反応はまったくなかった。
11月26、27日の二日間だけ計4通の非難のメール・手紙があった。
27日、知人からの連絡で、11/24の神社新報紙上で、村HPに掲載した私の靖国神社についてのコメントが問題にされている事を知った。同紙のHPを確認するが、「記事」のコーナーにも「オピニオン」のコーナーにも見つけられない。(本日においてもHPに掲載はない。)
28日、Oさんに11/24の記事2点をFaxで送ってくれるように依頼し、HPで取り上げることの了承を求めた。
12月1日、Oさんより11/24の記事のFaxが届き、記事引用の許可も得る。(引用許可を得たので新聞名を公表しました。)
3日、別の人から、12/1 の神社新報にも追加記事掲載があることを教えてもらう。Oさんがなぜ12月1日にこの記事もいっしょに送って下さらなかったのか、不審に思った。

11/24の記事は、結構な分量があり私の文章の引用も比較的多く、その点はありがたいが、部分的引用であることに違いはない。お願いした村HPのURLの記載も無視されている。内容は、Oさんの質問状と同じ趣旨であり、私の11/19の返事を踏まえたものではない。

12/1の追加記事でOさんに送った私の返事を取り上げているが、「戦争準備施設」に関して

「その主張の具体的な根拠となる資料などは一切示さなかった。」

と書いており、私が提出した1895年の『時事新報』の論説「戦死者の大祭典を挙行す可し」は黙殺している。
見出しには「曖昧な公私の線引き 浮き彫りに」とあって、論旨のポイントは政教分離問題で、なぜか東国原知事を引き合いに宮崎県秘書広報課の見解を掲載しているが、私が尋ねた「首相公式参拝は政教分離に抵触するか、しないか?」という問いには答えていない。

私には、Oさんと意見交換を重ねることで、理解を深めより良い解決策を探りたいとの思いがあったのだが、Oさんには、そんな気はないようだ。あくまでも記者の立場で取材をし、私の問題提起は伏せたまま、私を批判をされたかっただけなのだろう。
私としては、遺族会の願いも実現し、靖国神社も世界の人々から敬愛される存在になれるような新しいあり方を提起しているつもりなのだが、神社新報の記事は、そこまで踏み込まず、「公私の線引き」といった形式論に終始しているのは残念だ。

それにしても、こちらからお願いした記事だけをFaxして、その日に掲載されている次の記事にはほおかむりというのには、不信感を抱かざるを得ない。マスコミにそんな義務はないのかもしれないが、私が「陰口みたいなやり方は嫌なので」HPへの意見掲載を靖国神社に知らせたのに対し、Oさんのやり方は、まさに“陰口”ではないかと感じる。「真摯かつ誠実、迅速なご回答」を求められたOさんと、Oさんも言及された建設的な議論を交わすことを期待したが、私が愚かだった。脱力感を感じる。

考えてみれば、私が靖国神社に送った手紙が村の封筒であったことをOさんは問題にしておられるが、それは、靖国神社が知らせなければ、Oさんは知り得なかったことだ。私は、靖国神社に「私の考えの及んでいないところなど、ご指導頂ければ」とお願いしたのであるが、靖国神社は正面からそれに答えず、Oさんを使って後ろに隠れたまま対処しようとされている。
それとも、神社新報は、靖国神社と一体でその広報部門なのだろうか? 神社新報社のHPを見てみると、こうあった。

「神社本庁との密接な関係は維持しながらも、同時に編輯の独立を確保する必要から、昭和22年12月、全国神社関係者が株主になる株式会社組織として独立」

つまり、靖国神社どころか、神社本庁からさえ、形式的には独立した会社ということのようだ。
神道のことはまったく疎く、これは素人の疑問であるが、私の乏しい日本史の知識からしても、菅原道真を祀る天満宮や出雲系の神々など、天皇を中心とする日本の勝ち組の流れとは相容れない神々も、神道にはずいぶん多いのではないだろうか。それらの神社は、自分達よりはるかに歴史の浅い靖国神社を支持することで一致しているのだろうか。それで矛盾は生じないのだろうか。
神社の多くは、謀略などによって非業の死に追い込まれた人の恨み、祟りを鎮め封じるために建てられた、という説をしばしば目にするが、靖国神社はよもやまさかそうではあるまいし、、、。日本の歴史ある神社と神社本庁や靖国神社との関係について、どなたか教えていただけると、ありがたい。

ともあれ、Oさんにも靖国神社にもきちんと相手をして頂けそうもないので、代わりに、寄せられた4通の反対意見を掲載し、対する私の見解を述べることで議論を深めたい。
(但し、今時間のゆとりがなく、私の見解はあらためて掲載するので、しばらく猶予を下さい。公開可と明記しておられない方のお名前は、イニシャルにします。

*****

11月26日 横浜市戸塚区 尾形 仁さん (70代以上) 「靖国神社の件」
私の父は沖縄戦で戦死し、靖国の英霊になっています。私は、それを誇りと思って今日まで生きて参りました。私は、数多くの外国を旅行するたびに、世界中が戦死者をどのようにおまつりしているか、大変気になり、必ず参詣するようにして来ました。約50カ国近く参上しましたが、日本は一番粗末でした。
日本の左翼思想家は、占領軍に洗脳された、日本国民の敗戦ショックを利用して国際感覚とは全く異なる理想論で国民を騙している。そう感じました。
周りの国は、核武装しているのに、日本をそれから守ろうとはしない。
戦争に負けない国つくりが常識なのに、国民を騙して甘い夢を描いている。
もうそろそろ、12歳の少年から脱却して、大人になろうではありませんか。
スイスの「民間防衛」をよまれたと思いますので、そのご感想をお聞きしたい。

***

11月26日 神奈川県 H.G.さん 「抗議します」

曾我逸郎村長 殿

貴殿は、村長村役場のHPにて、靖国神社への「合祀取り下げ」を求めるなど暴論を表明しております。
公職の立場にあるものが、このような国民常識と乖離した物言いをするとは信じられません。
亡き身内を偲ぶにあたり、靖国を心のよりどころと考えている遺族の心情をなんと心得ているのか、その御存念をお聞きしたい。

神奈川県
H.G.拝

***

11月27日  Y.T.さん 「靖国神社への意見に怒りを感じます」

中川村役場 御中   曾我逸郎 村長 殿

「長野県戦没者遺族大会・戦没者追悼式、靖国神社」を拝読させていただきました。

貴殿ほどの文章は書けませんので、要点のみ述べさせていただきます。
貴殿の歴史認識は戦後のGHQによって押し付けられ、またそれを共産党系の方々が引き継いだままのものです。一度、刷新されることをお薦めいたします。
戦争の勝者が押し付けた歴史であるという意味が分かりますか。
GHQは7年間の日本を占領、秘密検閲、報道機関を利用したプロパガンダにより、独裁的統治を行いました。この間に、今の、あなたが信奉するような、「日本の戦争は誤った戦争」とされたのです。
当時の世界の状況はご存知でしょう。アジアもアフリカも欧米の植民地下にありました。そしてそれが世界の普通の姿でした。そのアジアの中で完全に独立していたのは、日本のみであったと言えます。「平和と繁栄のためには犠牲が必要だった」は、正しいのです。
なぜ日本兵は世界に認知されるほど、あれほど果敢に戦えたのか、想像できませんか。
一介の日本の市民が、日本の正義を十分に信じて、闘ったのです。戦争を欲して闘ったのではなく、闘わざるを得なかったのです。
真珠湾攻撃により、大東亜戦争が始まったニュースに、日本中の国民が覚悟を込めた素直な喜びを表した。これも歴史的事実です。お調べ下さい。

貴殿に要求いたします。

① 過去のあり方を反省し、亡くなった兵士と遺族に謝罪すること。

② 天皇の側で戦って亡くなった兵士を、追悼ではなく、顕彰すること。近代から現代にわたる共産党によるすべての犠牲者を、敵味方を問わず、追悼すること。

③ 「合祀の取り下げ」を取り下げる事。

以上         Y.T. 拝

***

11月27日 藤沢市 Y.S.さん

中川村村長 曽我逸郎様
靖国神社に対して「合祀取り下げ」を求めていることを知りました。
戦争中に「靖国で会おう」として特攻隊等で亡くなった若い英霊の方達の尊い純粋な気持を踏みにじるもので、直ちに「合祀取り下げ」要求を撤回すべきです。
山紫水明の我々の祖国日本を共産主義の国にしてはいけません。
あなたのこの行為はあなたの先祖ひいては子孫をも嘆き悲しませんでしょう。
平成20、11、27(木)
藤沢市 Y.S.

***(12月28日、以下の2通の反対意見を追加掲載)

12月26日 八王子市民さん

実は私はあなたと同じように考えていましたが、北朝鮮による拉致被害者のことを知ってから考えを変えました。

あまり他の方と繰り返しになるとまずいので言いませんが、旧日本の行為が悪いとはいえないと思います。アジアには当時独立国はほとんどありません。西欧などの植民地です。

靖国神社の宮司さんは兵士が出兵したときと同じ神社に保つている境内の変更がない、と聞いています。思いやりのある態度です。私は靖国神社が大々的に宣伝した、というより新聞テレビマスコミの騒ぎすぎと思います。もう少し静かにおいてあげたいです。主兵した人たちは靖国で会おうと思ったのですから死者の意思を尊重してほしいのです。

神社に祭られている。といってもそこにあるのは名前を書いた紙だけです。それがいやな遺族は神社も祭られている事も無視すればいいのです。そこにないと明言されればいいのです。私ならそうします。

拉致これは国家の犯罪です。九条がなくて戦争できるようならなかったと思います。平和を唱える社会党は北朝鮮を擁護していました。しかし、たとえば、めぐみさんの親の方の気持ちを考えるとたまりません。話し合いで解決といわれますか、強盗と話し合いする人はいないと思います。それと同じです。

そして、中国のチベットウイグルの侵略が今行われ、虐殺が行われています。中国の核ミサイルは日本を狙っている。どこが平和なんだと思います。また、アメリカを非難されますが、中国ロシア北朝鮮を非難される平和主義の方は見た事がありません。

以上箇条書きで申し訳ありませんが、素直な気持ちです。
早く、村長さんの意見も読みたいので、お願いします。

***

12月26日 匿名 「まったくの知識不足」

村長さんはおそらく30代から40代にかけたぐらいの方でしょう。
あなたがまったく靖國神社を理解し得ないのは、戦後の日本の教育を考えれば已むを得ないことでしょう。

まず、直裁に言えば、靖國神社は、国民のための神社でもなければ、死んだ日本軍兵士のための神社でもありません。

戦後、連合国の支配により、皇国史観が排除されたために、独立後も戦前が復帰すること無くなった。

靖國神社は天皇の神社です。天皇の命令で作られた神社です。そして、戦前の軍隊は天皇の軍隊です。入隊すると同時に天皇に忠節を誓い、死することを誓約します。国民軍ではありません。

そして、大事なことは皇軍兵士―つまり、天皇の軍人だけを祭った神社です。だから、天皇と戦った者たちーこれを賊軍といいますが、彼らを祭ることはありません。幕府軍たちです。新撰組や会津白虎隊、あるいは226事件で処刑された軍人も祭らない。
その代わり、西郷さんは鹿児島で西郷神社で祭っています。

あなたは誤解しているのは「敵味方も一緒に祭るのがいい」と言っているが、あなたの家族を惨殺した極悪非道の盗賊もあなたはあなたの家の墓に共に祀って供養するのですか?
それなら、そういうことを公開したらどうですか?「私は私の家族を殺されたも、殺人犯を敵とは思わず、共に供養します」と。

天皇と戦った南部藩士、会津藩士の死者を、靖國神社で共に祭って、会津藩士の遺族が納得しますか?第一、勤王軍と戦って戦死した会津藩士、南部藩士が喜ぶと思いますか?彼等は彼らで、自分達が護国の侍として、勤王軍を賊軍として現在でも現地でお祀りを盛大にやっています。靖國神社の今の宮司は南部藩の殿様です。この人は賊軍南部藩の死者のお祀りでは、斎主として家来達の靈を祭ります。
この薩長軍と戦った自分の藩の家来達を天皇軍であった薩長の死者が多く祭られている靖國神社に祭ることなど、南部宮司は望んでいません。
もし、敵味方一緒に祭ったら、第二次の戦いが、靈同士で始まります。
また、日本軍に刺殺された支那人を一緒に祭ることを今の中国人が喜ぶと思いますか!?

敵味方など一緒に祭ることなどありません。昔、蒙古襲来の時、敵味方を共に供養した墓もありますが、あれな、当時、祟りの信仰が日本中に浸透していたために、武士たちは死んだら極楽浄土に行くためには、生きている時に祟りを受けていては極楽に行けないので、それで敵味方を祭ったに過ぎない。自分のためです。死者の気持ちなどはまったく斟酌せず、身勝手に自分の為に祭ったに過ぎません。

また、靖國神社に「敵味方を祭った鎮霊社」というケチなちっぽけな祠が在りますが、これはフセインも祭られているしヒットラーも祭られています。
あなたはヒットラーが好きそうだから、靖國神社へ行って、鎮霊社に頭を下げたらどうですか?
ヒトラーさん、あなたは英雄だと褒め称えなさい。世界中の敵味方を祭るということはこういうことなんです。
いま、外国では、ヒットラーを祭る日本人とは何物だ!という嵐が吹き荒れようとしています。村長さん、ヨーロッパに行って、「私は日本人としてヒットラーさんを懇ろに祭るべきです」と辻説法したらどうですか?それとも、ヒットラーは別ですか?それと、イラクで日本人ジャーナリストや学生、大使館員を殺害した民族派の連中も鎮霊社には祭られています。あなたはここへ行って「よくぞ日本人を殺害しました」というのですか?祭るというのは尊崇です。
墓に埋めるのとは違います。

まあ、いろいろありますが、勉強不足で講義の仕様がないが、とりあえず、靖國神社をもっと勉強するべきでしょう。

戦前、遺族であっても靖國神社には参拝できません。特別の日だけです。神門は空いてません。日本軍が祭られているのではなく、国民が祭られているのではなく、天皇の軍隊と、天皇の軍隊に協力した国民だけが祭られている神社です。天皇の私祭です。だから、連合国も天皇の私祭だから見逃し、また現在の憲法でも天皇の参拝を認めているのです。だから天皇の参拝、勅使参向も共産党も文句を言わない。つまり天皇の神社であり、天皇が認めた人間だけを祭っているからです。国民のための神社と勝手に戦後に解釈しているからです。戦後にしても、昭和40年代、50年代は一般国民は靖國神社などに参拝に行きません。何故なら、此処は軍人のための神社だからです。
境内は元軍人だった人たちー戦友会関係者だけです。戦前だって、そうです、総理大臣は大祭には出席できませんでした。文官だったからです。

 【 2009,7,18, 曽我 加筆 】 「匿名の方」の上記コメントの反証として、とある方が、1939年「靖国神社臨時大祭写真帳」の一枚を送って下さった。大勢の文官が参列している。

また、先日長谷川順一さんに靖国神社を案内していただいた際、靖国神社職員の方に確認してくださったところ、戦前も朝から夕方まで門は開いていて、誰でも自由に参拝できた、との回答だった。
以上、2009,7,18, 曽我 加筆。

戦後もその雰囲気はあった。だが、実際には軍人は日本から消えてしまい、陸海軍も消えてしまったので、靖國神社を経済的に支えるために、遺族会、戦友会が支援したのです。だが、その頼みの戦友会、遺族会も、今や鬼籍に多くの人が入り、最早軍人、遺族では支えられなくなってきた。昭和天皇没後あたりから境内は誰も参拝に来る人はいなくなった。寂れる一報でした。一日何十人という参拝者数です。遊就館などの入館者は百人に満たない。元軍人さんが清掃奉仕をしていたほどです。その靖國神社が盛り上がったのは小泉総理参拝以降です。平成12年でしたかな。ほんの数年まえです。それまでの靖國神社は閑古鳥が鳴いていたんですよ。知っていましたか?知らんでしょう。
今の若い人など、全く知らんでしょう。もう疲れた。
もっと詳しく靖國神社の正統な話を知りたければ九段塾というサイトがあります。此処では本当の靖國神社の姿を描いていますので、見たらどうですか。
完全な皇国史観です。現在の靖國神社執行部が批判されています。田母神論文が批判されています。
勉強になりますよ。好き嫌いではなく、学問として戦前を勉強するにはお勧めです。

読み返していないので、字句を飛ばしたりしている箇所があるかもしれんが、まあ、大意でわかるとおもいます。

メール公開は名前を紹介しなければいいですがね。でもまあ公開するほどのことではないので。それでは失敬。

>その他の批判メール

*****
私のコメントは改めて掲出します。
このページの掲出は、Oさんにメールでお知らせします。

2008年12月7日 曽我逸郎
2008年12月28日 2通メールを追加


*** 【 以下、2008年大晦日、追加掲載 】 ***

 早く返事を、と気にしながら、ずいぶん日が経ってしまった。年末年始の休みに入ったので、頑張って書き上げたい。

まず、何人かの方が、左翼思想とか共産主義といったレッテルを貼って非難しておられる。確かに、右か左かと言われれば、左寄りであるかもしれないが、私のバックボーンにあるのは、共産主義ではない。

このことを書かざるを得ないと考えたので、村のサイトから個人サイトに移ってきたのであるが、私の考え方の根本にあるのは、釈尊の教えの私なりの解釈である。釈尊の教えと言っても、伝統教団、新興宗教、大乗、南方上座部(いわゆる小乗仏教)を含めて、どれか特定の教団に入っているわけではない。まったく個人として、釈尊の教えを考えている。それがどんなものかは、このサイトを見ていただきたいが、以下の議論のために極簡略に掻い摘めばこうなる。

 人間(普通の人・凡夫)は、執着の反応であって、刺激(縁)を受けたその都度起こされる執着の自動的反応である。執着の自動的反応は、自分と周囲に苦を撒き散らす。自分が執着の反応であることをきちんと認識して、自分も人も苦しめないように気をつけよ。

執着の反応が生み出す苦の最大のものが、戦争だ。そして戦争は、さらにそれ自体が悪い縁となり、執着の反応パターンを過激にし、連鎖反応的に苦を拡大再生産する。だから戦争には最も警戒して、小さな芽の段階から早めに対処せねばならない。戦争は一人ではできない。人々の執着の反応、怒りや恐怖心や差別意識、驕りに火をつけてうまく操り、ひとつの方向に束ねようとする目論みが繰り返し現れる。こうした動きに感度鋭く警戒すべきだと提起するために、今回の議論の発端となった「長野県戦没者遺族大会・戦没者追悼式、靖国神社」の拙文を中川村ホームページに掲載した。以下の議論も同じ問題意識に基づくものであることをまずご理解いただきたい。

Y.T.さんは、「真珠湾攻撃により、大東亜戦争が始まったニュースに、日本中の国民が覚悟を込めた素直な喜びを表した。」と書いておられる。それはまったくそのとおりの歴史的事実だったと思う。しかし、それは、私から見れば、まさに危険な集団的執着反応であり、そうならないようにしたいというのが私の願いだ。

* * *

 頂いた問題提起から、まず「合祀取り下げ」について、私の考えを述べる。

私は、合祀をすべて取りやめよ、と言っているつもりはない。遺族が合祀を喜んでおられるなら、そのままでいいと思う。問題は、合祀の取り下げを願い出ておられる遺族の方々だ。靖国神社は、「一度合祀してしまえば、ひとつの座のひとつの神なっているので、分けて取り出すことはできない」と、いうなれば自分の都合で、遺族の願いを拒絶している。
神奈川県のH.G.さんは、「遺族の心情をなんと心得ているのか」と書いておられる。まったく同感だ。合祀に満足な遺族に対しても、合祀取り下げを願う遺族に対しても、亡き身内を偲ぶ遺族の心情を第一に尊重して対応すべきだと思う。

八王子市民さんは、「それ(合祀)がいやな遺族は神社も祭られている事も無視すればいいのです。そこにないと明言されればいいのです。」と言っている。私からすれば、この発言こそ、「遺族の心情をなんと心得ているのか、その御存念をお聞きしたい」という思いだ。「神社に祭られている。といってもそこにあるのは名前を書いた紙だけです。」というのも、靖国神社にとっても合祀に満足な遺族にとっても、失礼な言い方ではないかと感じる。

藤沢市の Y.S.さんは、遺族の思いではなく、「戦争中に「靖国で会おう」として特攻隊等で亡くなった若い英霊の方達の尊い純粋な気持」を問題にしておられる。
私も、戦争の犠牲になった兵士の多くは純粋な気持ちをもっておられたと思う。しかし、それに比して、靖国神社は亡くなった兵士達の側に本当に寄り添い同じ純粋さを保っているのだろうか。

新潮新書『地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相』を読んだ。著者の飯田進さんは、戦争中ニューギニアにいて、BC級戦犯として重労働20年の刑を受けた方だ。
ニューギニアでは、制海権も制空権も失っている中、何度も繰り返し兵を送り、輸送船団は沈められ、武器弾薬を失い、なんとか上陸できた兵士達は、攻撃どころか、ただ帰還するためだけに、敵を避けて道なき内陸部を西に向かう他はなく、標高4100mのサラワケット山越えでは、崖から落ちる兵士が続出し、山頂ではみぞれの降る中、氷点下の気温に多くの兵士が身を寄せ合って凍死し、ジャングルではとげだらけの木が行く手を阻み、原住民の食料を奪って恨まれ、クモまで口にして、泥に埋もれながらいくつもの大河を渡り、アメーバ赤痢に罹り、マラリアを媒介する蚊の群れに襲われ、疲れ果てた身体には巨大なヒルが吸い付き、行き倒れた兵士の装備は他の兵に奪われ、一部には仲間同士の襲撃もあり、大岡昇平の『野火』と同じことも起こり、そのようにして大勢の兵士が「野垂れ死に」した様が、生き残った兵士たちの記録を引用して語られている。
《2009,3,15,加筆: 飯田さんは書いておられないが、ワニに襲われた兵士も多かったのではないだろうか。オーストラリア北岸とニューギニアの汽水域には、世界最大の爬虫類で極めて凶暴なイリエワニが今も多数生息している。敗走し、飢え、疲れ果てて川を渡る兵士たちがワニに食われたとしたら、この上なく無残なことだ。》

では、これを、靖国神社・遊就館の展示はどう伝えているか。

 「南海支隊のポートモレスビー陸路攻略作戦に始まるニューギニア作戦は、後に新設された安達二十三中将率いる第18軍が、人間の限界をこえた苦闘に耐えて、アイタペで終戦を迎えるまで戦い抜いた作戦である。この間に発揮された崇高な人間性は、ブナの玉砕、ダンピールの悲劇、サラワケット山系の縦断などに多くの逸話を残した。」

この説明とともに絵画が掲げられ、ジャングルの朝靄の中に整列する兵士達が荘厳なシルエットで美しく描かれている。

もうひとつ、杜撰な作戦として有名なインパール作戦についてはどうだろうか。

兵站を軽んじたこの悪名高い作戦の立案者であり司令官でもある牟田口廉也陸軍中将を、親しい先輩でもあり上官でもあったビルマ方面軍司令官河邊正三中将が訪れたが、二人はそれぞれ作戦失敗がもはや明瞭であることを悟りながらも、互いに作戦中止を言い出せなかった。後に牟田口は、防衛庁防衛研究所戦史室にこの会談について「(言葉によってではなく)私の顔色によって察してもらいたかったのである」と述べているという。このふたりの責任逃れか遠慮なのかよく分からないが、そのせいで作戦中止の機会は先送りされ、さらにおびただしい数の兵士が意味もなく死に至らしめられたのだ。
これに関して、遊就館のインパール作戦の展示では、上記の経緯にはまったく触れず、戦後の河邊正三陸軍大将について、
「仏門に帰依して、全国を行脚して、慰霊顕彰をつづけた」
と解説している。

つまり、遊就館の展示では、ニューギニアもインパールも耳障りのいい美談なのだ。このような一面的展示をする靖国神社が、熱帯雨林のジャングルで飢餓やマラリヤに苦しみながら「野垂れ死」んでいった兵士に寄り添い、その無念を共有していると果たして言えるのだろうか。
飯田進さんは、『地獄の日本兵』の「おわりに」にこう書いておられる。

 戦後、とりわけバブル景気華やかだったころ、数多くの戦友会によって頻繁に行われた慰霊祭の祭文に、不思議に共通していた言葉がありました。
「あなた方の尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか安らかにお眠りください」
飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか。怒り狂った死者たちの叫び声が、聞こえて来るようです。そんな理由付けは、生き残った者を慰める役割を果たしても、反省へはつながりません。逆に正当化に資するだけです、実際そうなってしまいました。
なぜあれだけ夥しい兵士たちが、戦場に上陸するやいなや補給を断たれ、飢え死にしなければならなかったのか、その事実こそが検証されねばならなかったのです。兵士たちは、アメリカを始めとする連合軍に対してではなく、無謀で拙劣きわまりない戦略、戦術を強いた大本営参謀をこそ、恨みに怨んで死んでいったのです。

この飯田さんの言葉の前半は、まさしく長野県戦没者追悼式で私が感じたことと同じだ。検証も放置されている。
そしてこれに続いて、飯田さんは、大本営参謀が戦後どう立ち回ったか、服部卓四郎作戦課長を例に挙げて非難しておられる。

「旧軍の職業軍人を集めた「服部機関」なるものが、GHQから給与を受けながら再軍備の下工作に暗躍し」(中略)「旧軍人に対する公職追放令は解除され、職業軍人だった者たちが、続々と警察予備隊に入隊しました。それが今日の自衛隊の発端です。」(中略)「運良く生き残って本国へ戻り、また懸賞をぶら下げる軍人のどこに恥を知る心があったのでしょうか。」

自衛隊の発足については、私も嫌な写真をテレビのドキュメンタリーで見た記憶がある。ネット上で探してもなかなか見つけられず、ここに提示できないのが悔しいのだが、警察予備隊か自衛隊かが発足する過程で、旧職業軍人達がGHQの将校(?)達と宴会をした時の記念写真である。軍服を着た米軍将校たち5,6人と浴衣姿の日本人20人位が3列程の雛壇をなして納まっている。米軍の将校達は皆とまどったような表情なのだが、日本人達は一様に楽しそうで、特に中央の裾をはだけた日本人は、大物ぶって隣の米軍将校に徳利を突き出しお酌をしているのだが、その態度は横柄さの中に媚を売る卑屈さがないまぜになっていて、とても恥ずかしい写真だった。
私には、今靖国神社から近い位置にたむろする人々は、GHQに取り入ったこの旧職業軍人達に連なる人たちに思えるのだが、彼らは、赤紙をもって召集され戦争の犠牲になって死んでいった兵士達に顔向けできるのだろうか。
遊就館の展示の最後には、たくさんの戦死者の写真が掲示されているが、果たして靖国神社は、これらの写真に向き合わせて、GHQと旧職業軍人達との宴の記念写真を飾れるのだろうか。遊就館の展示を見ると、靖国神社が戦争の犠牲にされて死んでいった兵士たちと心底で気持ちを共有しているとはとても思えない。

12月26日にメールを頂いた匿名の方は、靖国神社は、「死んだ日本軍兵士のための神社でもありません」と書いておられる。これは、非常に重要なポイントなのかもしれない。また、このメールでは、蒙古襲来の際のことを、

「当時、祟りの信仰が日本中に浸透していたために」中略「それで敵味方を祭ったに過ぎない。自分のためです。死者の気持ちなどはまったく斟酌せず、身勝手に自分の為に祭ったに過ぎません。」

と書いておられる。
拡大解釈を許していただいて、これを靖国神社に当てはめてみると、靖国神社は「死んだ兵士のためではなく」「死者の気持ちなどはまったく斟酌せず」、天皇が祟りを畏れて「身勝手に自分の為に」祀ったということになってしまう。

この思考実験は、先日ほのめかした「靖国神社も、多くの神社と同様に〈怨み封じ〉の神社かもしれない」という思いつきの疑念に直結する。
万一そうだとすると、まったく恐ろしいことに、靖国神社は、「英霊」を祀る神殿という機能にあわせて、祟る神を制御して閉じ込めておく座敷牢のような場所という機能も持つことになってしまう。
これは実に怖い思考実験であるが、しかし、そう仮定すると、遺族や本人の意向を斟酌せずに合祀したことも、合祀取り下げを望む遺族の強い願いを拒絶していることにも、説明がついてしまう。合祀取り下げを願う霊は、神社にしてみればおそらくは最も怨みが深く祟る可能性の高い霊であって、そんな霊を自由に外に放つ訳にはいかないと、ひょっとすると靖国神社は、そう考えているのだろうか。まさかそんなことはないと思うが…。

<2009年1月6日 加筆>
靖国神社自身が、そのホームページで御霊信仰を語っている。御霊信仰の一般的理解は、「怨霊」を鎮めて「御霊」とすることによって祟りを免れようとすること、なのだが…。

 靖国神社と日本人
我が国には今も、死者の御霊を神として祀り崇敬の対象とする文化・伝統が残されています。日本人は昔から、死者の御霊はこの国土に永遠に留まり、子孫を見守ってくれると信じてきました。今も日本の家庭で祖先の御霊が「家庭の守り神」として大切にされているのは、こうした伝統的な考えが神道の信仰とともに日本人に受け継がれているからです。そして同様に、日本人は家庭という共同体に限らず、地域社会や国家という共同体にとって大切な働きをした死者の御霊を、地域社会や国家の守り神(神霊)と考え大切にしてきました。靖国神社や全国にある護国神社は、そうした日本固有の文化実例の一つということができるでしょう。
(靖国神社HP トップページ > 靖国神社について > もっと詳しく)

藤沢市のY.S.さんは、「「靖国で会おう」として特攻隊等で亡くなった若い英霊の方達の尊い純粋な気持」を大切にしておられる。しかし、靖国神社に合祀されているのは、残念ながらそういう方ばかりではない。

上に飯田さんの言葉を引用したように、無謀で拙劣な戦略を「恨みに怨んで」飢え死にしていった夥しい数の兵士がいる。

沖縄戦では、日本軍に壕を追い出されて亡くなった一般住民が、援護法の適用を受けるための便法として、軍に壕を提供した戦闘協力者とされ、またスパイ容疑をかけられ軍に斬殺された住民も援護法受給者として扱われ、合祀されている。

朝鮮半島から集められ、捕虜収容所の看守にされ、捕虜の扱いについての国際ルールも教えられないまま、命令に忠実に捕虜を管理し、命令どおりに捕虜を労役に送り出し、日本が降伏して、これでやっと故郷に帰れると思ったら、捕虜虐待でBC級戦犯として投獄され、祖国解放の知らせを異郷の獄舎で聞きながら、死刑に処せられた人もいる。
台湾、朝鮮半島出身者で合祀されている人は、49,000人に上るそうだ。

合祀された人は実に様々で、その人たちが皆靖国神社に入ることを一様に「純粋な気持ち」で喜んだとは、とても思えない。

以上、遺族の心情からしても、合祀された人々の思いからしても、そのまま合祀し続けることが、必ずしも全員の気持ちに叶うものではないであろうことを述べた。

* * *

 次に、尾形さんからは国防・安全保障について、批判を頂いた。私は、今回の一連の意見表明でそのことに触れたつもりはないので、尾形さんがどういう問題意識からこれを提起されたのか分からないのだが、素人なりに考えてみる。

軍備があれば国が守れるか。否であろう。いくつも反例がある。

大日本帝国は、強力な陸海軍を持っていたにも拘らず、戦争に負けて降伏した。強力な軍備は、かえって軍部の慢心をもらたし、国を破滅に導いたともいえる。
サダム・フセインのイラクは、大量破壊兵器(すなわち強力な武力)があるとの理由によって攻撃され滅ぼされた。大した武器のないことを開けっぴろげに見せれば、米国は攻撃の大儀を失ったのに。外交で闘わず、面子を重んじて虚勢を張ったフセインの失策だ。これは軍備が逆に攻撃を呼び込む証である。
2007年8月21日信濃毎日新聞「同盟の旋律」には、『62年12月、(米軍の)統合参謀本部は、在日米軍基地について「極東での核戦略・抑止力の維持、ソ連による核攻撃の標的選定かく乱」のために重要との報告をまとめ、現状維持が決まった。』とある。つまり、在日米軍基地の役割のひとつは、核攻撃の標的となって敵の攻撃をかく乱することなのである。基地は核攻撃の的になる。

あたりまえのことだが、軍備よりも、外交や政治が重要なのだ。政治・外交がしっかりしていなければ、軍備はかえって危険要素となる。
では、政治・外交がしっかりしていても、軍備は必要なのか。それとも、なくてもいいのか。あるいは、ない方がいいのか。

この問題は一旦おいておいて、先に日本の現状について考えたい。
現状、日本の軍備といえば自衛隊ということになろう。気になるのは、その装備がほとんど米国製という点だ。ミサイル・弾薬などの消耗品、修理用のパーツ、コンピュータシステムのバージョンアップ等々、どんなに高価・高性能の武器も、米国のバックアップを得られなければ、たちまち無用の長物と化してしまう。
おまけに、現代の先端兵器は、陸海空を問わず、全体がひとつの情報ネットワークを構成し、その一部に組み込まれなければ機能しない。戦闘爆撃機もイージス艦も、単体ではほとんど役に立たない。この点でも、米国から兵器を調達するということは、米軍の戦略、ネットワークの枠組みの中に入るということを意味する。イラク支援、洋上給油、アフガニスタン、ソマリア沖・・・せっかく買った武器を機能させ続けるためには、ついて行かざるを得ない状況に陥ってしまう。政治・外交の自由度はどんどん失われていると思う。
これは、軍備のために政治・外交が縛られることを意味する。軍備より政治・外交が重要という大原則に反する。少し昔の一台、一機、一艦でも機能する兵器であれば、まだ政治・外交への縛りの度合いは低かったかもしれない。しかし、今となっては、米国の軍事システムを導入するということは、政治・外交まで米国に縛られることを意味する。しっかりした政治・外交をしようとするなら、米国の軍事システムから脱却せざるを得ない。

脱却してどうするというのか。すぐさまそういう追求の声があがるだろう。
第三国の軍事システムを買うのか。それでは、おなじことだ。
自前で同様の軍事システムを開発するか。これは、コストが膨大である。それに、米国を始めとする他の国々がそれを許すだろうか。それこそかえって攻撃を呼び込むことになるだろう。

結局消去法で残るのは、軍事力に頼らず、政治と外交の懸命の努力で安全を守る方法しかないと思う。憲法に謳いながら、未だかつて日本は一度も真剣にこの努力に取り組んだことがない。
日本の安全保障は、独自の情報収集と情報分析の能力を蓄え、高邁な理念とそれにのっとった行動と広報力とによって世界市民の敬愛を勝ち取るしか方法はないと思う。農業、医療、教育、災害救助、インフラ整備、、、。軍備に金をつぎ込むよりずっとすばらしい国際貢献はたくさんある。外務省は、自衛隊の若者を危険にさらすことでいい顔をするのではなく、自らの仕事で日本の安全を守り世界をより良くして、それを誇りにして欲しい。命がけの外交努力で危機を避けつつ、長期的視点で同じ考えの国を増やし、「武力を持つことは愚かで恥ずかしいことだ」という世界世論をつくり上げていく。それしかないと思う。

尾形さんの言及しておられる「スイスの『民間防衛』」という本は、寡聞にして初めて聞くが、タイトルから想像すると、正規軍によるのではない防衛、つまりレジスタンスの教科書のようなものだろうか。

イラクやアフガニスタン、パレスチナでは根強い抵抗運動が続いている。国際的なテロリストも混じっているだろうが、それだけではなくもっと広い市民の占領への抵抗意識があるのだろう。そうでなければ、続かない。チベットだってそうだ。霧社事件などの台湾抗日運動はじめとして、かつて日本が支配した地域で起こった数々の抵抗運動も「民間防衛」であろう。

それに比して、敗戦後占領下の日本ではレジスタンスどころか、抵抗らしい抵抗はほとんどなかった。上記の国々・地域のように泥沼化しなかったこと自体は、大変よかったと思う。
子供達は、「ギブ・ミー・チョコレート」だったし、兵士らに「生きて虜囚の辱を受けず」と叩き込んだ旧職業軍人の多くも、上に書いたとおり降伏後は喜んでGHQに協力した。
自衛隊(特に陸上自衛隊)は、米国の必要によって、旧職業軍人のパージが解除され、在日米軍施設において米国が用意した武器で訓練受けるという過程を経て発足している。(中公新書『自衛隊の誕生』益田弘著)
私はまだ読んでいないが、ティム・ワイナーという人の書いた『CIA秘録』(文藝春秋社、原題:Legacy of Ashes)には、A級戦犯から総理大臣になった岸信介が、CIAのエージェントだったことが書いてあるそうだ。
「戦後レジーム」とは、南ベトナム政府やかつて中南米などにみられたような米国傀儡政権支配のことであって、日本では今でもそれが続いているのかもしれない。
本質的には日本は未だに占領下ということになるのか。そうだとすると、私のこの一文は、広義のレジスタンスに該当し、平和的手段による「民間防衛」の一翼を担っていることにもなるのだろうか(半ば冗談)。

米国に協力したのは、職業軍人や岸信介ばかりではない。『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫 豊下楢彦著)には、「一番協力されたのは陛下ですよ」という側近、松平康昌の言葉が紹介されている。
この本は、新たに公表された公式記録、親書、関係者の手記・日記、当時の報道など、内外の資料と情勢を丹念につき合わせて分析しているのだが、私にとっては、非常に意外なこと、しかし言われてみればなるほどと思うことが、たくさん書かれていた。

 連合国の多くは、天皇の戦争責任を追及し、天皇制も廃止すべきだという考えであったが、天皇は立憲君主であり指導力を発揮できる立場になかったと、東条の名前をだしながら米国メディア、マッカーサー、英国王などに巧みに弁明し、占領統治に天皇を利用したかったマッカーサーとも利害が一致し、結果として、昭和天皇は東京裁判への出廷を逃れ、天皇制の維持に成功した。
上記の第一の危機を乗り切った昭和天皇は、その後、ソ連、中国や国内の左派勢力の伸張によって天皇制が脅かされることを恐れ、朝鮮戦争という時代背景の中、半永久的な米軍駐留によって天皇制を守ろうとし、内閣の頭越しにマッカーサーへ繰り返し積極的に「外交」を展開したが、「非武装中立のもと国連において平和のリーダーとなることが日本の最善の安全保障である」と主張するマッカーサーを説得できず、今度はマッカーサーもバイパスして、「日本に、望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を狙っていたダレスに接触して二重外交を行い、吉田・白洲ラインの正規の外交交渉を妨げ、吉田の目論みよりはるかに譲歩した片務的で不平等な安保条約や戦後沖縄という状況を生み、その流れは今も続いている。

以上は、とても乱暴な要約なので、一読を乞うが、私が一番驚かされ目を開かれたのは、<昭和天皇は、戦後の天皇制を護持する任を米軍に託した>という事だ。つまり、分かりやすく日本史的な言い方をすれば、昭和天皇は米軍を官軍と定め、錦の御旗を米軍に預けた、ということになる。

敗戦・占領・冷戦という状況の中で、国体(天皇制)を如何にして維持するか、懸命のサバイバルがなされたということであろうが、国土を外国軍の自由にさせても護持する国体とはなんであろうか?
思えば、戦時中は国体護持のため「一億玉砕」が叫ばれたそうだが、全国民、全臣民が滅んでも護持すべき国体とはなんなのだろう。

12月26日にメールを下さった匿名の方からすれば、こんな愚問を抱くのは戦後教育の結果であって、本来なら、天皇制・国体を護持するためなら全国民・全臣民が死ぬのも当然のことだったのだろうか。

匿名の方の考えは、靖国神社は天皇だけの神社であり、祀られる兵士の意向も遺族の意向も関係ない、靖国神社で遺族が亡き身内を偲ぶことも特別の許可がなければ本来許されることではない、ということであろう。鎮霊社についても、それを肯定的に捉える神社新報のOさんとは真反対の見解を持っておられるし、遺族感情を大切にする一般の遺族の方々とも異なる考えだ。おそらく、この考えこそが、最も正確に戦前の考え方を受け継いでいると思う。

しかし、『昭和天皇・マッカーサー会見』がいうように、もし肝心の昭和天皇が、敗戦とともに旧帝国陸海軍から米軍に乗り換えていたとすればどうなるのか。靖国神社は、昭和天皇に置き去りにされたことになってしまう。富田メモには、そのことが象徴的に表出しているのだろうか。

横浜の尾形さんは「占領軍に洗脳された」と書き、Y.T.さんは「GHQによって押し付けられた歴史認識」と書いておられる。しかし、昭和天皇は、東京裁判に謝意を表明し、サンフランシスコ講和条約も絶賛している。米国との関係に腐心し、米軍にできるだけ長く磐石の態勢で駐留させて国体・天皇制を守ることこそが、昭和天皇の考えだったようだ。お二人の考えは、昭和天皇の考えと相容れないのではないだろうか。昭和天皇の方が、ある意味したたかに先に進んでおり、お二人は取り残されているように思える。天皇の考えと相容れるかどうか、私が心配すべきことではないけれど、、、。

* * *

 ずいぶん長くなってしまった。最後に、念のため、私は勿論あらゆる戦争に反対であることを申し添えたい。イデオロギー戦争、経済戦争、宗教戦争、その他どう分類されようが、すべての戦争に反対する。右であれ左であれ、何教徒であれ、支配する側であれ、される側であれ、すべての犠牲者の死を悼む。戦争では、誰もが多かれ少なかれ被害者であり、幼子は別にして、誰もが多かれ少なかれ加害者だ。
靖国神社にも、過去の歴史はともかく、将来はあらゆる戦争の犠牲者を等しく追悼してもらえたらと願う。

<2009年1月6日 加筆>
このページの上の方に掲載した批判メールに見られるとおり、靖国神社の過去と現在を肯定的に捉える人たちは、戦死者を、追悼ではなく顕彰しようとする。
追悼とは、過去に起こった痛ましい出来事を痛ましい出来事としてネガティブに捉え、犠牲者の苦しみ・悲しみを共有しつつ、同時代の人々、未来の人々向けて「二度と起こらないように」とのメッセージを訴えることである。
それに対して、顕彰とは、過去に起こったことをすばらしい行いとしてポジティブに捉え、同時代の人々、未来の人々向けて「手本にして見習うべきだ」とのメッセージを送っている。
「追悼ではなく顕彰する」という姿勢だけをみても、靖国神社が、国ために死ぬことを手本にして見習わせようとしており、国のために死ねる兵士を用意する戦争準備施設だと言えると思う。

靖国神社 社憲 前文
「本神社は明治天皇の思召に基き、嘉永六年以降国事に殉ぜられたる人人を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その『みたま』を奉慰し、その御名を万代に顕彰するため、明治二年六月二十九日創立せられた神社である。(後略)」
(神社新報社Oさんによる)

だから、私は、A級戦犯合祀に反対しない。彼らも一面では被害者だと思う。勿論、その立場・権力・影響力において責任は格段に重く、加害者の度合いは深い。そして、職業軍人も召集された兵士達も、被害者であり加害者である。
A級戦犯や一部の人だけに戦争責任を押し付けてしまうと、一般国民はただただ被害者であったかのような錯覚を生む。実のところは、一般国民もまた、「あの国はけしからん」、「あの国は危ない」と騒ぎたて、「勝った勝った」と浮かれはしゃぎ、「万歳!万歳!」と若者を送り出し、同調しない者を「非国民!」と罵ったのだ。たまたま地位のあるものも、ないものも、敵も味方も、同じように加害者であり、被害者であると思う。
私達全員は、自分が加害者でもあったことをしっかりと自覚しなければ、また同じ間違いを引き起こすことになる。

誰もが執着の反応であることに違いはない。であれば、私達は、人を非難して互いの執着反応を燃え立たせるより、まず自分自身という反応に気をつけて、苦を生んでいないか、注意しなければならない。
その上で、戦争という集団的執着反応を避けるために、それぞれが自分という苦を生む自動的反応に気をつけるべきだ、と呼びかけたい。しかし、残念ながら、私は人間ができておらず方便力が欠けているために、多くの人の誤解を生みかえって執着の反応に火を点けてしまったかもしれない。

「私は貝になりたい」という有名なドラマがある。主人公は、戦争という集団的執着の自動的反応に抵抗しなかったために、戦争犯罪を問われることになった。そうならないためには、集団的執着反応が勢いをつける前に、貝であることを止め、勇気をもって声を挙げなければならない。

今回は、思いがけず一部で話題となって、様々な意見を頂いた。慌てて何冊かの本を泥縄式に読んで、そのにわか勉強の結果がこの文章である。見えていない部分が多々あると思う。お気づきの点、ご教授いただきたい。

私の知恵の及ばないところをおおらかに寛恕いただき、一人でも多くの人に意を汲んでいただいて、戦争を遠ざけ、日本が平和の先導者として世界中の人々から敬われ愛されるようになることを望んで止まない。


*** 【 以下、2009年5月17日、追加掲載 】 ***

 尾形 仁さんから、5月9日、再度メールを頂戴した。

曽我村長様 貴方のご意見は、日本共産党が何年も前から主張していることで、
全く新鮮味の無い
陳腐な意見で哂ってしまいました。反対論を書くのも気がひけますが、タダ一言
だけ言わせていただければ、

占領軍作成の陳腐な植民地憲法に洗脳され、敗戦60年の月日経過後も、未だに敗
戦ショックが抜けない

日本国民を甘い言葉で騙そうとしている、左翼運動家の古いテクニック、それだ
けではありませんか。

世界の常識に反する議論をあたかも正論のごとく主張して、善良な日本国民を騙
すのはやめてもらいたい。

貴方はスイスの「民間防衛」の本をよみましたか?是非、反論をお聞きしたい。

国家や民族のためなら、個人の命を犠牲にするスイス国民の思想、それが世界の
常識でしょう。

戦争に負けない国家を作る。それが世界の常識でしょう。国民の飢餓の中で、何
で北朝鮮が核装備しているのですか。

何で、莫大な維持費を要する空母の建造を中国がしようとしているのですか?

イラクで、アフガンで、何年も続いて今でも自爆テロが発生している。あの人達
は馬鹿ですか。

私は、共産党員と議論をする機会を得るたびに回答を求めていますが、逃げた回
答のみで真正面からは答えない。

貴方は、北朝鮮の工作船の残骸展示をご覧になりましたか?あの重装備をどのよ
うにおもいますか?

もし、村民が暴虐な目にあっても、皆知らん顔をしろというのですか?ご自分だ
け逃げるのですか?

是非、逃げないで、真正面からの回答をお願いします。      一横浜市民
(75歳)

なるべく早く返事を書きます。少しお待ちください。


*** 【 以下、2009年5月24日、追加掲載 】 ***

 尾形さんに返事を書かないうちに、別の方からご意見を頂いた。

【尾形さんから曽我さんへのメールに割り込み御免】
『曽我村長様 貴方のご意見は、日本共産党が何年も前から主張していることで、全く新鮮味の無い 』
(私は日本共産党の主張をそんなに詳しく知りませんので、曽我村長の意見のどこが日本共産党が何年も前から主張していることと同じなのか具体的に示し、教えてください。)

『陳腐な意見で哂ってしまいました。反対論を書くのも気がひけますが、タダ一言だけ言わせていただければ、占領軍作成の陳腐な植民地憲法に洗脳され、敗戦60年の月日経過後も、未だに敗戦ショックが抜けない』
(私は現在の日本は米国の属国、殆んど植民地のようなものだと思っていますが、それは旧帝国憲法から現日本国憲法に変わったからではなく、昭和天皇とダレスによる吉田、マッカーサーを飛び越した二重外交によって1951年締結、調印されたサンフランシスコ講和条約と旧日米安保条約により始まり今日に至り、米国に好き勝手にされていると思っていますが如何ですか?)

『日本国民を甘い言葉で騙そうとしている、左翼運動家の古いテクニック、それだけではありませんか。』
(左翼運動家の古いテクニック、此れも戦後生まれの私には判りません。具体的に示して教えてください。)

『世界の常識に反する議論をあたかも正論のごとく主張して、善良な日本国民を騙すのはやめてもらいたい。』
(世界の常識、此れも判りませんねー。国連憲章のことでしょうか?ジュネーブ条約のこと?国際赤十字の精神?まさか米国の常識ではないでしょうね。教えてください。)

『貴方はスイスの「民間防衛」の本をよみましたか?是非、反論をお聞きしたい。』
(私は読んでいませんが、昔映画『アルジェの闘い」を観て感動しました。フランスからの独立を勝ち取ったアルジェリア人民のレジスタンスの闘いの映画でした。また私は地域消防団に20年程所属し、一朝有事には出動し、消防訓練にも励みました。地域の人命、財産をお互いに守るのはあたりまえのことです。)

『国家や民族のためなら、個人の命を犠牲にするスイス国民の思想、それが世界の常識でしょう。』
(世界の常識とは、此れですか。ちょっと短絡的で無理がありますね。時代錯誤でとても世界に通用しません。人命救助には最善の努力はしますが、二次災害は極力避けます。事故による犠牲は有り得ますが、命を賭してなどと要求することはありえない。国家主義、ナショナリズムを世界の常識などといっても今時通用しない。あくまで相手の立場を尊重し、対話、外交努力に全力を傾けるのであり、個人の命を犠牲にしてするわけではありません。)

『戦争に負けない国家を作る。それが世界の常識でしょう。国民の飢餓の中で、何で北朝鮮が核装備しているのですか。』
(戦争に負けない国を作るのではありません。戦争をしない国を作るのです。それが今日の世界の常識です。北朝鮮や米国の悪い真似をしてどうするのですか。)

『何で、莫大な維持費を要する空母の建造を中国がしようとしているのですか?』
(他所がやるから自分もではあまりに情けない。人の振り観て我が振り直せといいます。)

『イラクで、アフガンで、何年も続いて今でも自爆テロが発生している。あの人達は馬鹿ですか。』
(だからイラクやアフガンに兵を送ってはならないのです。ペシャワール会の活動をご覧下さい。困難な道でも武力によらない人道復興支援、医療、農業、インフラ整備の支援をつずけるしかありません。武力で抑え、侵略するから彼らはレジスタンスするのです。自分がされて嫌なことは他者にしてはなりません。)

『私は、共産党員と議論をする機会を得るたびに回答を求めていますが、逃げた回答のみで真正面からは答えない。』
(私は逃げませんよ。ゆっくり、静かに話し合いましょう)

『貴方は、北朝鮮の工作船の残骸展示をご覧になりましたか?あの重装備をどのようにおもいますか?』
(馬鹿げたことをしてと思います。だからといって我々も同じようにしようとは思いません。もうこんな事しないよう話し合いたく思います。ただ日本も過去において朝鮮の皆さんに酷いことをしたことを忘れずに。)

『もし、村民が暴虐な目にあっても、皆知らん顔をしろというのですか?ご自分だけ逃げるのですか?』
(先にも述べたように、地域の防災、治安は住民で守ります。)

『是非、逃げないで、真正面からの回答をお願いします。』 一横浜市民(75歳)
(是非、逃げないで、私の意見にもご回答をお願いいたします。浅学、非才、ご無礼をお許し下さい。  河野 清)

なるべく早く返事を書きます。少しお待ちください。