ベーシックインカム『お金のために働く必要がなくなったら~』を読んで

2019 02.25

 同志社大学の山森亮先生から、新著『お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか?』を頂戴した。(光文社新書。エノ・シュミット、堅田香緒里、山口純各氏と共著)

 拝読していろいろと考えた感想をお送りしたので、ここにも掲載しておく。ベーシック・インカムについて詳しく御存じでない方は、先にhttp://mujou-muga-engi.com/b-income/を読んで頂けるとありがたい。

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前略

 『お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか?』お送り下さり、ありがとうございます。拝読いたしました。

 ベーシック・インカムそのものについては勿論、BIに繋がってる思想や、BIがもたらすであろうものまで、社会のあるべき姿、そこにおいて人はどう生きるのかなど、掘り下げて論じられており、大変刺激を受けました。
 現代は、資本主義、市場における交換経済ばかりが幅を利かし、互酬経済は蚕食され痩せ細っています。経済のあり方だけでなく、我々の考え方までお金に支配されています。出産や障碍のある人を「生産性」で論ずる輩は、まさにこの典型ですし、学生は賃労働者として有利なポジションを得ることばかり考えています。そして、思いどおりに賃労働者になったら、明日食うためにあくせく賃労働を続けて、ふと気づいたときには、もうほとんど明日がなくなっているのです。
 BIは、こういう歪なありかたを健全な状態に戻してくれるでしょう。さらには、BIを頭の中で考えてみるだけでも、金額に換算された効率や生産性ではない、もっと大切なものがあることに気づかせてくれます。

 2017年4月の同志社大学での集まりで、エノ・シュミットさんにご紹介いただいたのに、短時間しかいられずしっかりとお話を聞けなかったことを、大変残念に思いだしました。本町エスコーラの集いにも行けず、貴重な機会を逃したと本を読んで気づきました。

 以下、刺激を受けて思ったこと、必ずしも肯定的でないものもありますが、書いてみます。

 シュミットさんの言っておられる社会彫刻という言葉に目を開かれました。
 わたしも世の中がもっとよくなればいいという思いを少なからず持っていますが、政治的なことは不純な要素が多く、煩わしいとも感じています。しかし、政治的なことも、よりよい社会を創ろうという創作活動だと考えれば、ポジティブに捉えることができます。ひとりで過ごすことの多いわたしは、音楽のバンド活動や演劇のような集団での創作活動に憧れていましたが、よい社会を創ろうとする社会彫刻は、まさに集団での創造行為の最たるものです。勿論、意見を異にする人たちとの協働には、一人での創作を超えた創造の苦しみがあるでしょうが、逆にまた、喜びもあるでしょう。政治的な活動も、少し前向きにとらえてみようと思いました。

 「BIは人を怠惰にする」のではなく、「言われるとおりに生きて自分は何をしたいのか考えない」怠惰を克服させる、という言葉は、ぐさりと突き刺さりました。
 ただ、どれだけの人が「何をしたいか考えない怠惰」を克服できるのか、とも思います。山口さんは、<人は食うために「こうあるべき」を内面化してしまい、「こうしたい」が分からなくなっている>と書いておられます。『自由からの逃走』という本がありました。「小人閑居して不善をなす」という言葉もあります。BIを得たけれど、自分がなにをしたいのか分からない人たちは、新興宗教に取り込まれてBIを貢ぐくらいならまだしも、新たなナチズムの勃興を招くかもしれません。拙速なBIには危険があり、みんながしっかりと自分の考えを持つようにならねばならないのでしょうか。だとすれば、これはBIの実現以上に実現困難な「夢物語」のようにも思えます。(わたしが、釈尊の教えによって世の中の執着のレベルを下げて、世界の苦を減らせないか、と考えているのと同じ程度に。)

 ゲッツ・ベルナー氏の本ではじめてBI を知ってワクワクした時は、BIによって人の嫌がる仕事の対価は正当に上昇する、と考えました。長期的にはそうなると思います。しかし、近年の低賃金が当たり前になった状況を見ていると、BI導入の初期には、問題が生じそうです。
資金のある大企業は、賃金を上げるなり、AIや自働化で対応をするでしょう。しかし、低賃金で働いてもらってもようやくやっとやっとの経営をしている中小企業の場合、BIは今以上の人手不足を招き、倒産が相次ぐかもしれません。そうなれば、生まれたばかりのBIはたちまち廃止されてしまいそうです。BI導入後、社会構造がBIを前提としたものに変化するまでの間、中小企業には人件費の増加分を補填するとか、なんらかの対策が必要になるでしょう。
 
 堅田さんのジェンダーの視点からの問題提起については、洗濯物の取り込みと皿洗いを時々する程度の家事労働しかしていないわたしには、言えることが少ないのですが、BIは、賃労働の面でも家事労働の面でも差別されている女性に、賃労働も家事労働も放棄する自由をもたらすものだと思います。BIは、抑圧的搾取的な傾向のある家族を壊すでしょう。そのため、日本社会の垂直ピラミッド支配体制を存続させたいと思い、その底辺を支える「家族」を重要視する一部の人々から、BIは激しく攻撃されるに違いありません。しかし、これはまさにBIの存在意義です。抑圧的搾取的な家族を壊す一方で、BIは互いに尊敬しあう自律的な共同体を育むことでしょう。

 山口さんの言っておられる、交換と再分配と互酬の三つの経済パターンで、今幅を利かせている交換経済から互酬に比重を移していくべきだという主張、同感です。ただ、p233で「縮小経済を目指し、貨幣を媒介とした雇用と消費を減らしていきたい」ともあって、同感しつつも、そうなると税収も減るな、と思いました。
 これまでわたしが目にしてきたBIの財源シミュレーションは、現在の財政規模をベースにしたものでした。財源についても、BI導入時と、BIが世の中の有り様を変化させた後とを分けて、別々にシミュレーションする必要がありそうです。
 BIは人の生き方、考え方に大きな変化をもたらし、社会も大きく変えることでしょう。その変化を、導入期、移行期、定着期と区別して想定し、影響を見極めて対応を想定しつつ進めなければなりません。人々が自分で考えるようになることを嫌う勢力は、BIを葬り去るべく問題が起これば付け込もうと虎視眈々と狙うでしょうから。
 また、今は経済指標は数字で把握され、(素人なので分かりませんが、多分)市場経済だけしか反映していないのではないかと思います。GDPに代わるGDE(Gross Domestic Exchange)?といった指標が欲しくなりますが、「交換」は数字による把握は難しそうです。幸福度といった数値化もあるようですが、どの要素をどの程度重視するか、恣意的にならざるを得ないでしょう。恣意的ではない、客観的な分析のベースが欲しい気がしますが、数値化を求めるのも旧態依然の思い込みなのでしょうか。

 以上、とりとめのない感想で申し訳ありません。
 行き詰った資本主義の閉塞を打ち破るために、引き続きBIの御研究を進めて頂きたく、何卒よろしくお願い申し上げます。

草々

山森亮先生


2019年2月24日        曽我逸郎