Kyoto Basic Income Weekend に参加してきました。

2017 04.29

  2017年4月23日 同志社大学で開かれた”Kyoto Basic Income Weekend” に行ってきた。当日は、中川村の村長選挙の投票日だったけれど、既に引退表明をしているので、多少の勝手ができる。前日、宮下候補の選挙事務所に顔を出したりして、夕方から久しぶりの京都へバスででかけた。
 (ベーシック・インカムについては、9年前に初めて知った時に書いた文章を読んで下さい。)

 やっぱり京都はいい。新学期がはじまって間もないせいか、三条大橋付近の河原には学生らしいグループがいくつも集まり、混雑している。高瀬川べりを歩いて行くと、外国人も多い。安っぽい派手な店も増えたが、京都らしいなんともいえない独特の雰囲気はそれらを包んで健在だ。学生だった頃京都の文化の拠点のひとつだった「ほんやら洞」は今はもう火事で焼けてしまったが、その元主で写真家の甲斐さんがやっている木屋町の「八文字屋」のカウンターで12時近くまでおしゃべりをしながら飲んだ。

 翌朝は、サラリーマン時代の同期が紫野で始めた漆の店「ギャラリーやなせ」に寄って、漆のことをいろいろと教わった。子どもたちが農家民宿を始めようとしているので、そこに似合いそうなサラダボウルを奮発して買った。

 11時前に同志社に着くと、山森先生は準備に忙しくしておられたが、メイン・ゲストのお二人を紹介して下さり、たくさんお話をすることができた。
 エノ・シュミットさんは、スイスでベーシック・インカム制度の実施を憲法に謳うよう求める署名運動を主導し、12万通を集め国民投票を実現させた(残念ながら、国民投票では23%の賛成しか得られず、否決された)。徐萍さんは、ピアニストで、台湾の2カ所でベーシック・インカムを試験的に実施しようと準備している。

 帰りのバスの都合で3時半に会場を出ねばならず、後半のプログラムには参加できなかったが、三つのことを感じた。

 第一に痛感したことは、英語能力の不足。聞くことはまだしも、しゃべることがますますダメになっている。

 二つ目は、スイスの署名活動が、とても楽しげに取り組まれていること。エノ・シュミットさんは、映画『ベーシック・インカム 文化的衝撃』を制作した映像作家であるせいか、みんなをわくわくさせ、テレビのニュースなどでも「絵になる」ような仕掛けを仕込むことに長けている。例えば、署名運動の開始を告げる第1号署名者は、ニューヨークの自由の女神のようなコスチュームで、みんなが喝采する部屋にしずしずと現われ、厳かに署名をした。あるいは、スイスでベーシック・インカムを受給することになる人数と同数のコインを、石畳の広場にダンプカーからぶちまけ、それを大勢で回収する。このような、みんなを楽しませ、引き込み、運動を広げていく手法は参考になる。

 三つ目は、一番大切なことだが、みんなを幸せにするにはどうすればいいか、真摯に深く考えていることだ。いくつか印象に残る言葉があった。
 不正確かもしれないが挙げてみる。
 ベーシック・インカムには人間への信頼(trust)があり、「人はどう生きるかを自分で決める能力がある」と考え、そうできる社会にしようとする。人はこの世界に歓迎されて迎え入れられる(welcome to this world)べきであり、互いにそうすべきであって、競争(competition)はこの反対だ。収入(income)は自分のためであるが、労働(work)は他の人のためになにかをすることであり、incomeと結びつかないworkもある。Your work is your life. 他の人のために働くことが生きること。収入のために競争して働くのではなく、本来の労働、すなわち人のために働くことが本来の生である。AIやオートメーションによって、職が奪われていくからベーシック・インカムが必要だ、という議論も増えている。しかし、ベーシック・インカムは、単にincomeを補うだけではなく、職を奪われた人々がばらばらにされてしまうのではなく、人のために働いて、お互いに繋がりあうような社会を構築しようとする。

 人を大切にし、どういう社会であるべきか、固定観念にとらわれず深く考え、その実現を現実の社会からスタートして具体的に組み立てていこうとするポジティブな姿勢に感銘を受けた。

2017年4月29日  曽我逸郎