村長職を離れて一か月

2017 06.14

  村長の職を辞して一か月が過ぎた。これからどうすべきか明確に決まらないまま、雑事にかまけて日は過ぎていく。書類などは一応片付いたものの、読めないまま村長室の棚に突っ込んであった本は、まだ自室の床に積み重なっている。報告というより自分の記録として、この間のことを書き留めておこう。
 下の娘が、自分の生まれたところを見たいというので、家族の内4人で香港に行った。
昔暮らしていた頃の、中国への返還直前の慌ただしい切羽詰まったようなアグレッシブな雰囲気は薄れ、全体におおらかというか余裕ができたような雰囲気があった。泊まった宿は、なんと重慶(チョンキン)マンションの上層で、気づいたときは焦ったし始めは家族もびびっていたが、狭くて古いけれど安全で親切だった。金鐘(アドミラルティ)の林立するホテルにつながるモールには、昔どおりブランドの店がずらりと並び、相変わらずの高級感。テスラ・モーターの電気自動車がたくさん普通に行きかっているのにも驚いた。スターフェリーやトラム、ダブルデッカーのバスに乗り、末娘の生まれた病院、住んでいた浅水湾(リパルスベイ)、上の子たちの通った日本人学校などを訪れ、飲茶や海鮮料理を楽しんだ。帰りには、飛行機の出発が遅れて、値段で選んだ北京経由便の乗り継ぎができず、北京空港のそばで一泊するおまけまでついた。
 香港から戻ってからは、大阪の中学の農村体験修学旅行を受け入れた。近所にできた空き家を子供たちが農家民泊に改装していたのだが、認可が取れて、一校4人ずつほどで5校それぞれ一泊二日。リンゴの摘果やぶどうの房づくり、野菜の苗の植え付けなどをしてもらい、一緒に料理をつくったり、家族は大変だったようだが、私も多少お相手した。
 就農した息子が10日余り欧州にワイン造りの勉強に行って、その間人手が足りず、命じられた生食ブドウの房づくり(花が咲く前の房のつぼみを先端3.5cmを残して摘み取る作業)やワインブドウの畑の草刈りや葛退治に汗を流した。やっと房を付け始めたせっかくの苗木2本を草刈り機で切ってしまった。
 送別会や新村長後援会など、何度か飲む集まりもあった。
 原告の一員に加えてもらっているTPP反対訴訟の判決の傍聴に東京地裁に出向き、「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」第3回総会に出席した。遺伝子組み換え作物の多面的な危険について、印鑰智哉さんの講演を聞いた。その報告は、こちら
 政治的な活動は、他にも阿南町で講演をしたり、いくつかの集まりに顔をだした。6月17、18日の土日は、中川村で長野地域住民大学が開催され、初日は大東文化大学前学長の太田政男さんのコーディネートで岡庭一雄元阿智村長とディスカッションをする。(13:00~中川村文化センター)
 伊那谷ワイガヤ会という集まりも立ち上げた。憲法記念日に長野市で『標的の島 風かたか』を観て三上智恵監督の講演を聞いた際、沖縄の問題は日本政府が問題であり、それを許している我々の問題だと感じた。「信州と沖縄を結ぶ会」の方からも、南信で活動を立ち上げられないか、との意見があった。それで有志を募ったのだが、共謀罪やらの動きもあるし、月に一度集まって、広いテーマで自由に堂々と楽しくオープンに議論して、共謀罪なんかに委縮しないところを示そう、ということになった。次回は、6月21日(水)19時に集まるので、ご興味あればご連絡を。

そんなことで、こうして書き出してみると、一か月の間に結構いろいろやったんだと自分でも思う。しかし、これから何をどうすべきかというと、なかなか絞り込めない。

 学生の頃、なにが価値があるのか、なにをすれば意味があるのか、ずいぶん考えた。結局、そんな問いは自分に価値を与えたいという我執であって、人生には意味も価値も目的もない、という結論に達した。今もそれは変わらない。しかし、還暦に達して、元気に活動できるのは、あと幾夏か、幾冬かと考えると、だらだらと過ごしているわけにもいかない。
15年前に半分出家(会社勤めは棄てるけど家族は棄てないこと)といきがって中川村に移り住んだのは、釈尊の教えの勉強にもっと時間を割くためだった。今回村長を辞めて、2度目の半分出家ということになる。釈尊の教えについて発信し、批判をもらう場として、このホームページも今年になって刷新したのだが、新しい記事はほとんど書けずにいる。もっと本を読んで最新の研究成果を仕入れるなり、違う視点から自分の仏教理解を見直してみる必要がある。
ヒンドゥー教から仏教への集団改宗を導く佐々井秀嶺師の中部インド、ナグプールでの活動についても、昨年秋の訪問だけでは不十分だし、インド北部の釈尊の足跡も訪ねなければならない。
タイかビルマかの上座部の寺でしばらく出家修行するのも、収穫は多いだろう。
外国ということでは、韓国にも一度は行ってみたい。これまでの様々な歴史を振り返り、今後の関係を考える縁にしたい。
沖縄にも一定の頻度で通って、現状を知り、学び続けねばならないと思う。
それにまた、安倍政権の理念のない横道も阻止しなければ、看過できない苦をこれまで以上に広げかねない。そのための発信にも取り組まねばならない。

列挙してみると、やっぱりいろいろとテーマがある。計画したところでそのとおりにできないことは分かっているが、全体を俯瞰し課題を確認しながら、そのときにできることをしっかりと実践していきたい。