ブログ&更新情報

2017 10.05

安倍政権・小池新党に立ちはだかる 衆院選挙に出馬します

 安倍政権がやってきたこと、やろうとしていることは、問題だらけです。
 憲法改変、集団的自衛権、共謀罪、TPP、種子法廃止、お仲間への利益(税金)誘導、原発再稼働、北朝鮮危機の煽り立て、などなど、数え上げればきりがありません。
 それ以上に、進め方のスタイルが問題です。情報の隠蔽、証拠隠滅、憲法や法制度の精神を軽んじた都合のいい解釈、その場しのぎの言い逃れ、質問・批判からの逃亡、人間かまくらに代表される力づくの運営、などなどの横着ぶり。熟議によって互いに考えを深めあい正しい答えを探るという民主主義の精神からはるかに隔たっています。もうそろそろ日本の政治をちゃんとしたものにしなければなりません。
 そういう考えで、長野5区において民進、共産、社民の3党に共闘と候補者一本化を求めてきました。ところが、実現の前に小池新党が立ち上がり、民進党の大半がそこへなだれ込むことになりました。
 マスコミの報道は、今回の衆院選を安倍政権・小池新党の政権選択選挙と位置付けています。しかし、安倍・小池両氏の考え方は、非常に近しい。選挙が終わってしまえば、小池氏はまた「ウフフ」と笑って、安倍氏と手を結ぶかもしれません。その公算は大変大きいと思います。その時は、憲法改変に必要な三分の二どころか、四分の三、ひょっとすると5分の四さえ伺う状況になっていることも考えられる。そうなると、「全権委任をもらった」と都合のいい拡大解釈をして、これまで以上に横着な国政運営が行われることでしょう。その結果、どんな恐ろしい結果にいきつくか、想像もできません。
 安倍・小池両氏に抵抗する人間が全国で出馬し、立ちはだかる必要があります。政権奪取は無理でも、「有権者をなめると怖いな、丁寧に手続きを踏んだ政治をしなくてはいけないな」という反省はさせねばなりません。安倍・小池両氏に立ちはだかる一人にならねば。この思いで2017年衆院選挙長野5区に立候補します。

2017年10月5日    曽我逸郎

2017 07.17

飯田での講演の構想など、2017、7/16
 昨日(2017年7月16日)は、少し充実した一日だったので、FBにそれを投稿した。同じ文章をこちらにも掲載しておく。来月の飯田民主商工会での講演をどうするか、書き始めると長くなったが、おかげでいい試行錯誤になった。
* * * * *
 今日は早起きして、久しぶりに飯田の禅寺(長久寺)に。長らく精進を怠っていたので支離滅裂で終わるかと思ったけど、結構うまく座れた。
家に戻って、飯田民主商工会からお話を頂いている来月の講演をどういう内容にするか、考えた。Workflowyで書き連ねているうち、いろんな考えが浮かんだ。
 「日本で最も美しい村」連合の理念、すなわち、外部資本に頼らず、自分たちの地域が宿す魅力・可能性を活かして持続可能な「美しい村」をつくり、美しいまま将来世代に引き継いでいく、というところから始めよう。リニア新幹線など交通網の発達が吉と出るか凶となるかは、地域の個性を活かせるかどうか。バイパスが通ってどこにでもある大きな看板が立ち並んで、昔からのお店がなくなるのは残念。安倍首相の言う「美しい国」との対比、TPPや原発によるふるさとの棄損を気にかけず、なにが「美しい国」か。
先日香港に行ったら、テスラ・モーターの電気自動車が普通にたくさん走っていた。「日本は自動車王国」はもはやガラパゴスの思い込み。内燃機関離れは着々と進んでいる。旧態依然の大企業の経営陣はなににどう投資すべきか判断できず、手厚い保護で得た利益をタックスヘイブンに積み上げるばかり、その一方で、生存のための切実なニーズを抱えた層に所得は分配されず、国内に購買力が足りないのが不況の根本原因。
自分が面白がりのめりこむところに創造性は生まれる。自分は何を求められているのかとおどおど忖度していては創造性は生まれない。型に嵌ったあり方を押し付けて上意下達で統治する空気が活力を萎ませる。
「日本で最も美しい村」連合でドイツ・オーストリアに行き、エネルギー自給の取り組みを見てきた。自分たちの地域が貧しい原因を分析し、せっかく稼いだお金がエネルギー購入に流出しているからだと解明した。それでエネルギー地域内自給の仕組み・体制を地域の人たちがみずからつくり上げた。地域の課題を地域で共有し、力を合わせて克服する。まさに地域自治。地に足の着いた身近な民主主義。
協同総合研究所の理事を仰せつかった。協同労働組合について考える集まり。協同労働組合は、地域の課題を克服するために組合を立ち上げ、持続可能な経営を模索する。これもまさに地域自治であり、民主主義の根。
中小企業は、地域の可能性や魅力の磨き手であり、地域のネットワークの核。リーダーシップを発揮し地域の様々な主体と連携し地域の課題克服にビジネスチャンスを見出し、地域自治や民主主義の成長にも貢献して頂きたい。とりわけ民主商工会の皆さんには、大いに期待申し上げる。
途中で近所の農家(信州くだもの村 富永農園)にサクランボを頂きに行った。リンゴを中心にブルーベリーなども作っておられるが、サクランボ狩りのシーズンが終わるので残っているのを採ってもいいよと声をかけて頂いた。大きなビニールハウスを少し奥まで入ると、綺麗なサクランボがまだ鈴なりに残っている。もうすぐ中国からの学生さんの体験宿泊を農家民泊で何人か受け入れるので、その時に食べてもらおう。
夜は、8月5日の中川村最大のイベント「どんちゃん祭り」に繰り出す柳沢地区のちょうちん神輿の改良作業。昨年までは村長として地酒・今錦を飲みながら本部にいたが、今年は柳沢の一村民として、神輿を気負う。頭の真上で炸裂する打ち上げ花火が楽しみだ。
2017 07.04

協同総研の理事になって 協同組合の可能性

いくつものご縁を頂いて、7月1日、一般社団法人協同総合研究所の理事になった。

とはいえ、実のところ、協同総研がどういう取り組みをしているのか、まだしっかりと把握できていない。どうやら労働者協同組合運動の発展、深化、普及をめざす団体のようだ、というのが今のところの私の理解である。

疎い分野であるが、普通、一定規模以上の企業は、資本が所有し、経営者の経営の下で労働者が賃労働をする、という構造になっていると思う。所有と経営と労働が分裂しているわけだ。その中で、一番弱い立場の労働者が、搾取、疎外、分断、解雇、失業などに晒されやすい。
それに対して、労働者協同組合は、労働者が組合をつくって、自分たちでそれを所有し、経営しようという取り組みだ。労働者が、組織の所有と経営も行っていく。

協同総研が、所有と経営と労働の分離を理念として否定し、労働者協同組合の形に全面的に移行すべきだと考えているのかどうかは分からない。少なくとも当面は、上に述べた、資本・経営・労働が分離したあり方も認めつつ、そこから生まれる弊害を補正し、労働者を守る役割を強化しようとしているのだと思う。

ところで、組合といえば、農業協同組合や森林組合がある。これらは生産者が集まって作った組合だ。生協(生活者協同組合)は消費者の組合だ。組合のベースとなるのは、賃労働者だけではなく、生産者や消費者も組合を設立し運営する主体になれる。

ここで思い出したのが、ドイツやオーストリアで見た自然エネルギーを地域で自給する組織だ。
働いても地域が貧しいのはなぜかと分析した結果、せっかく稼いだお金が地域外に流出しているからだと判った。そのうちでもっとも大きいのは、エネルギー購入によって産油国やロシア(天然ガス代)に流れている分である。であれば、地域でエネルギーを自給できれば、お金が地域の中で回る。そう考えた彼らは、薪や木チップのボイラーで湯を沸かし、地域を循環させる断熱パイプを埋設した。つまり、エネルギーの消費の分析から始めて、熱エネルギー供給、バイオマス燃料調達に広がる自主的組織を立ち上げたのだ。この組織が厳密にいって組合という形態かどうかは分からないが、おそらくそうだと思う。

つまり、どんな分野、どんな課題であれ、地域で共有して、それをみんなで持続可能な形で克服しようとするとき、協同組合という取り組みが大きなツールになる。

そして、ドイツ、オーストリアの取り組みを見て強く感じたことは、行政の関与が乏しく、住民の自主性、主体性が目立った点だ。
日本だと、地域に課題があれば、行政に解決させようとする。ところが、ドイツ、オーストリアでは、日本とは自治体の役割が異なるのであろうが、行政に問題提起するよりも、住民自らが共同組合をつくり課題を克服しようとする。その主体性に、住民自治、民主主義の強さを感じた。自治体の存在感の薄さが、逆に住民自治の強さの証なのだ。

協同総研の母体(?)である「日本労働者協同組合」には、福祉や介護、その他さまざまな地域の課題に取り組む事業体が多い。働く人たちの組合というあり方からさらに発展して、そのサービスを享受する消費者はもちろん、地域のすべての人たちがみんなで地域課題を考える場を形成する核になっていければ、労働者協同組合運動は、労働者の権利保護だけでなく地域自治をたくましく育てることもできるのではないか。

協同組合運動の可能性は広い。

2017年7月4日    曽我逸郎

2017 06.14

村長職を離れて一か月
  村長の職を辞して一か月が過ぎた。これからどうすべきか明確に決まらないまま、雑事にかまけて日は過ぎていく。書類などは一応片付いたものの、読めないまま村長室の棚に突っ込んであった本は、まだ自室の床に積み重なっている。報告というより自分の記録として、この間のことを書き留めておこう。
 下の娘が、自分の生まれたところを見たいというので、家族の内4人で香港に行った。
昔暮らしていた頃の、中国への返還直前の慌ただしい切羽詰まったようなアグレッシブな雰囲気は薄れ、全体におおらかというか余裕ができたような雰囲気があった。泊まった宿は、なんと重慶(チョンキン)マンションの上層で、気づいたときは焦ったし始めは家族もびびっていたが、狭くて古いけれど安全で親切だった。金鐘(アドミラルティ)の林立するホテルにつながるモールには、昔どおりブランドの店がずらりと並び、相変わらずの高級感。テスラ・モーターの電気自動車がたくさん普通に行きかっているのにも驚いた。スターフェリーやトラム、ダブルデッカーのバスに乗り、末娘の生まれた病院、住んでいた浅水湾(リパルスベイ)、上の子たちの通った日本人学校などを訪れ、飲茶や海鮮料理を楽しんだ。帰りには、飛行機の出発が遅れて、値段で選んだ北京経由便の乗り継ぎができず、北京空港のそばで一泊するおまけまでついた。
 香港から戻ってからは、大阪の中学の農村体験修学旅行を受け入れた。近所にできた空き家を子供たちが農家民泊に改装していたのだが、認可が取れて、一校4人ずつほどで5校それぞれ一泊二日。リンゴの摘果やぶどうの房づくり、野菜の苗の植え付けなどをしてもらい、一緒に料理をつくったり、家族は大変だったようだが、私も多少お相手した。
 就農した息子が10日余り欧州にワイン造りの勉強に行って、その間人手が足りず、命じられた生食ブドウの房づくり(花が咲く前の房のつぼみを先端3.5cmを残して摘み取る作業)やワインブドウの畑の草刈りや葛退治に汗を流した。やっと房を付け始めたせっかくの苗木2本を草刈り機で切ってしまった。
 送別会や新村長後援会など、何度か飲む集まりもあった。
 原告の一員に加えてもらっているTPP反対訴訟の判決の傍聴に東京地裁に出向き、「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」第3回総会に出席した。遺伝子組み換え作物の多面的な危険について、印鑰智哉さんの講演を聞いた。その報告は、こちら
 政治的な活動は、他にも阿南町で講演をしたり、いくつかの集まりに顔をだした。6月17、18日の土日は、中川村で長野地域住民大学が開催され、初日は大東文化大学前学長の太田政男さんのコーディネートで岡庭一雄元阿智村長とディスカッションをする。(13:00~中川村文化センター)
 伊那谷ワイガヤ会という集まりも立ち上げた。憲法記念日に長野市で『標的の島 風かたか』を観て三上智恵監督の講演を聞いた際、沖縄の問題は日本政府が問題であり、それを許している我々の問題だと感じた。「信州と沖縄を結ぶ会」の方からも、南信で活動を立ち上げられないか、との意見があった。それで有志を募ったのだが、共謀罪やらの動きもあるし、月に一度集まって、広いテーマで自由に堂々と楽しくオープンに議論して、共謀罪なんかに委縮しないところを示そう、ということになった。次回は、6月21日(水)19時に集まるので、ご興味あればご連絡を。

そんなことで、こうして書き出してみると、一か月の間に結構いろいろやったんだと自分でも思う。しかし、これから何をどうすべきかというと、なかなか絞り込めない。

 学生の頃、なにが価値があるのか、なにをすれば意味があるのか、ずいぶん考えた。結局、そんな問いは自分に価値を与えたいという我執であって、人生には意味も価値も目的もない、という結論に達した。今もそれは変わらない。しかし、還暦に達して、元気に活動できるのは、あと幾夏か、幾冬かと考えると、だらだらと過ごしているわけにもいかない。
15年前に半分出家(会社勤めは棄てるけど家族は棄てないこと)といきがって中川村に移り住んだのは、釈尊の教えの勉強にもっと時間を割くためだった。今回村長を辞めて、2度目の半分出家ということになる。釈尊の教えについて発信し、批判をもらう場として、このホームページも今年になって刷新したのだが、新しい記事はほとんど書けずにいる。もっと本を読んで最新の研究成果を仕入れるなり、違う視点から自分の仏教理解を見直してみる必要がある。
ヒンドゥー教から仏教への集団改宗を導く佐々井秀嶺師の中部インド、ナグプールでの活動についても、昨年秋の訪問だけでは不十分だし、インド北部の釈尊の足跡も訪ねなければならない。
タイかビルマかの上座部の寺でしばらく出家修行するのも、収穫は多いだろう。
外国ということでは、韓国にも一度は行ってみたい。これまでの様々な歴史を振り返り、今後の関係を考える縁にしたい。
沖縄にも一定の頻度で通って、現状を知り、学び続けねばならないと思う。
それにまた、安倍政権の理念のない横道も阻止しなければ、看過できない苦をこれまで以上に広げかねない。そのための発信にも取り組まねばならない。

列挙してみると、やっぱりいろいろとテーマがある。計画したところでそのとおりにできないことは分かっているが、全体を俯瞰し課題を確認しながら、そのときにできることをしっかりと実践していきたい。

2017 06.12

TPP反対訴訟と遺伝子組み換え作物について

先日(2017年6月7日)「TPP締結差止・違憲確認訴訟」の判決傍聴(@東京地裁)と『TPP交渉差止・違憲訴訟の会』総会に行ってきた。(同会HP:http://tpphantai.com/

判決は、「行政権の行使は民事訴訟の対象にならない」とか「TPP協定はまだ発効していないから、具体的な権利や利益は侵害されていない」といった形式論による門前払いで、TPPの内実について議論することから逃げており、「憲法の番人」としての司法の自覚に欠けるものだった。
裁判傍聴後の総会では、抗議声明が出され、控訴すること、行政訴訟も行うことが決議された。

また総会では、水道民営化に道を開く水道法改定や主要農作物種子法の廃止が、TPPに向けた先取りではないかと危惧され、特に後者に関連して、「日本の種子(たね)を守る有志の会」の印鑰智哉(いんやくともや)氏の講演があり、グローバル化学企業の遺伝子組み換え技術による農業支配の危険についてよく理解できた。その概略は以下の通り(文責:曽我)。

* * * * *

 グローバル化学企業は、戦争に爆薬や生物兵器(枯葉剤など)を売り込んで大きくなり、その技術を化学肥料や農薬に転用して農業に参入した。70年代、遺伝子操作された細菌が発明物として特許を認められた。それ以降、GATT-WTO TRIPS条約やUPOV1991条約によって、遺伝子組み換え(GM)で作られた作物の排他的権利が認められるようになった。これらの条約を批准した国は独自個別の基準で遺伝子組み換え作物(GMO)を規制することはできないし、遺伝子操作の情報開示を義務付けることは禁止され、遺伝子組み換えの特許のルールは米国に準ずることになる。TPPに参加すると、UPOV条約を批准せねばならない。

本来、農家は自分らの種を持っており、自分の作物から種子をとり、保存し、交換し、共有してきた。これを制限し、大企業が独占する種子を毎年農家に買わせようとする上記の条約や法律の動きに、特に南米で激しい反対が起こり、「モンサント法」はコロンビアやグアテマラなどで撤回に追い込まれた。また、欧州のみならず北米でもGMOの危険性への不安が消費者に広がっており、GMOの普及は一時の勢いを失っている。(曽我補筆:除草剤耐性を与えられたGMOは、除草剤をじゃぶじゃぶとかけられ、他の植物が全くはえない裸地の圃場で育成される。殺虫毒素を組み込んだGMOでは、毒素は人間には吸収されないとされているが、カナダでの調査では妊婦や胎児の血液中から高い頻度で検出されている。家畜に与えたGMO飼料の毒素が肉や牛乳、卵などを経由して人体に入ったと考えられる。)

一方、日本は、イネ、麦、大豆の良質の種子を都道府県が管理することを定めた「主要農作物種子法」を、民間企業の品種開発や種子供給ビジネスへの意欲を阻害しているという理由で、来年4月に廃止する。これは、TPP(またはそれに代わって、グローバル企業による種子利権寡占体制に道を開く新条約)への下準備であると考えざるを得ない。

一般に、GMは生産性の向上をもたらすと考えられがちだが、現実はそうではない。ブラジルでの大豆生産の事例をみると、収穫高、利益ともに遺伝子組み換えでない方(Non GM)が高い。しかも、Non GMが年々着実に生産性を上げているのに対して、GMでは生産性の向上が見られない。

また、最近では、植物のみならず、動物でもGMが広がりつつあるし、GMのさらに上をいく合成生物(人工的に一から塩基配列を設計されたDNAによって自己増殖する生命体)の研究も進んでいる。これらが環境に漏れ出した場合、生態系にどのような影響をもたらすのか、非常に心配されるが、規制対象にはなっていない。

地球温暖化対策として、二酸化炭素排出規制や森林保全が叫ばれているが、二酸化炭素の吸収は、植物それ自体よりも植物の働きによって土壌に吸収される方がはるかに多い。植物は、二酸化炭素を光合成で炭水化物にして根から土壌に供給している。そこに土中の微生物が集まり、植物にミネラルをもたらす共生が行われている。ところが、化学肥料や農薬は、この、植物と土中微生物の相互依存の共生を止めてしまう。植物は、このような共生する善玉微生物に守られ悪玉微生物の害を防いでいる。微生物との共生を絶たれた植物は、化学肥料や農薬にますます依存せざるを得なくなり、大地は生命を育む力をどんどん失っていく。生命は大きな環境、生態系の中で複雑に依存しあって生きているのに、その一部だけを見て対症療法的な処置をすると思いがけない事態を招く。

日本では、GMOの商業栽培は今のところ行われていないが、承認されたGMOの数はとびぬけて多い。もし商業栽培が始まれば、一気に広がりかねない。また、食料自給率が低く、輸入食料、輸入飼料に依存し、加工食品の原料もほとんど輸入によっている日本であるのに、GM表示の基準が緩く、既に知らないうちに諸外国より多くのGMOを直接間接に摂取していると予想される。

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 印鑰さんの話を聞いて思ったことも書いておこう。

GMOが健康に及ぼす危険については、意識の高い消費者の間には広がりつつあるが、一般にはあまり知られていない。その理由のひとつは、国際機関や各国政府がすでにこれに関わるグローバル企業に取り込まれているからだろう。商業マスコミも、商売上の配慮なのか、突っ込んだ報道はしない。

GMOの危険は、健康への直接の影響に留まらない。世界各地、その土地その土地の自然、歴史、文化、風土に培われ、引き継がれてきた農作物の多様性が奪われるという危険だ。農家は、慣れ親しんだ品種を慣れ親しんだやり方で育てることができなくなる。それは、条約や法律を使ってそうされるだけではなく、例えば、除草剤耐性GMO圃場が広がり、大量に散布されそこから流れ出した除草剤で環境が破壊され、従来作物が作れなくなるということもある。その結果、GMOを栽培せざるを得ないことになれば、農家は毎年、特許に守られた高額の種子を買わなければならない。

TPPの最大の問題は、ISD条項に見られるように、各国の主権、自治が奪われることであるが、GMOについてもそのとおりで、受け継がれてきた文化、風土まで破壊される。

しかしながら、農山村の実情を鑑みれば、高齢化・担い手不足で疲弊し、TPPやGMO以前に、除草剤・殺菌剤などの農薬、化学肥料に頼らないとやっていけない悪循環に既に陥っている。

大きな自然の生態系に生かされた本来の農業に戻るにはどうすればいいのか。
荒れる農地を荒廃化にまかせて、一旦自然に戻し、改めて開墾すればいいのか。いや、そういうわけにはいかない。それは、農地のみならず農山村の暮らしそのものを荒廃させ、伝統・文化を終わらせることだ。
とはいえ、農薬や化学肥料を絶ち、微生物が増えて土の力が回復するのを待つには、数年の時間を要する。一挙にではなく、自然に配慮した圃場の割合をだんだんと増やしてしていくにせよ、その間の農家の経営を保障せねばならない。現状でさえほとんど成り立っていないのだ。
農業の生産性をあげるとか、儲かる農業にするとか、ましてや、輸出競争力のある作物をつくるとかではなく、農山村に暮らし、地域の共同体とともに農地を守り、農地を育むというだけの条件で、農山村で生存することへの支援をする他はないのではないか。

今回は、GMにからんで、農業と食と農村の健全な保全について考えた。しかし、TPPは、それらにとどまらず、大変幅広い分野で暮らしに大きなダメージをもたらす。
TPPは、人々の暮らしをグローバル企業に都合のいい様式に塗り固め、主体的で多様な生き方を奪おうとする。その反対に、個人の自由な主体的生き方を可能にするのがベーシック・インカム(BI)だ。BIは社会の在り方を根本から変えるので、副作用も大きいかもしれないが、検討する価値はある。農業を今の状態からあるべき姿に再生するには、それくらい抜本的な変革が必要だと思う。

2017年6月11日 曽我逸郎

2017 05.01

更新情報

7月17日、2017年

 昨日は割と充実した日だったので、その報告をブログに掲出。特に、来月の飯田民主商工会での講演でなにを話すか。地域の可能性や課題をみんなで共有して、それに取り組んでいくことは、地域をより「美しく」また持続可能にすることであり、地域の自治や民主主義を深めることでもある。中小企業の皆さんや民商は、その取り組みの核として活躍して頂きたい、といった内容を考えている。

 今日は農作業の手伝いをした。生食用ブドウの房に袋をかぶせ、さらにその上に日焼け防止のためにチラシをB5位の大きさに切ってホチキスで傘にして留める。戦力外宣言をしているにもかかわらず、駆り出されてしまう。少しなら運動不足解消にいいのだけど、、、

7月8日、2017年

 苦を生まないために執着を鎮めよと釈尊は説く。では、執着のないイヌやネコの段階に退化すべきなのか。マズローの欲求5段階説を材料に、執着のないイヌやネコと、執着だらけの凡夫と、執着を鎮めた仏とはどう違うのかを検討する。マズローの5番目の自己実現欲求は苦を生む執着であるが、苦を生んでいることを厭い、苦を生まないありかたを実現しようとする執着が発心・精進だ。執着は取り除かれるべきでなく、発心・精進へと昇華されるべきである。小論に掲載。

7月1日、2017年

 一般社団法人協同総合研究所の理事になった。まだ理解は浅いが、資本(所有)と経営と労働の分裂する状況で、所有と経営も労働者が自ら行うことで最も弱い立場の労働者を守ろうとする労働者協同組合の取り組みと、ドイツやオーストリアのエネルギー自給の取り組みをヒントに考えた協同組合活動の、すそ野の広い可能性について、ブログに掲載

6月28日、2017年

 『サピエンス全史』下巻も読んだ。感想を掲出。

6月17日、2017年

 『サピエンス全史』ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社を読んだ。人類(ホモ属)には多くの種がいたにもかかわらず、ホモ・サピエンス種だけが残り、世界に君臨した。その理由は、サピエンスにおいて執着という仕組みが完成したのではないか、と思う。進化史上のプロセスを考察した。小論の「脳科学からのヒント」に掲出

6月12日、2017年

 先日、東京地裁のTPP反対訴訟への判決傍聴と「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」総会にいってきた。総会では、遺伝子組み換え作物がもたらす危険について、印鑰智哉さんの講演もあり、考えさせられた。その報告を掲載。

5月1日、2017年

 更新情報の更新を怠っていた。ブログをいくつか追加している。
ベーシック・インカムの関係。そして、中川村自衛隊協力会で述べた挨拶。自分たちの勝手な都合で自衛隊員を危険に晒す政府与党への怒り。北朝鮮情勢をみると、日米安保こそが日本を危険に追い込む元凶であること。それから、中川村がふるさと納税で過剰な返礼品を送らない理由。読む

4月18日、2017年

 ふたつの記事を追加。
ひとつは、中川村新入職員への言葉。森友学園事件や南スーダンの情報隠蔽などを意識して、税金で仕事をする公務員、行政の仕事は、きちんと手続きを踏み、情報を公開せねばならないこと。一方で定められたことを忠実に行って、アイヒマンになってはならないこと。行政の究極の目的、迷った時の判断基準を述べた。読む
もうひとつは、6月に中川村で長野県地域住民大学が開催され、岡庭前阿智村長、太田政男前大東文化大学長とお話をするので、その下打ち合わせと、無我と生きがい、目的、価値、主体性について、ややディープなメールを書いたので、それを掲載した。読む

2月15日、2017年

 3期12年になった村長の仕事が、5月で終了する。以降は、釈尊の教えの勉強にもう少し時間を割けるようになるだろう。1997年に始めた旧ホームページも、スマホ対応はできていないし、なにより美的センス皆無なので、これを機に刷新することにした。「日本で最も美しい村」連合の関係でお世話になっている(有)エクサピーコさんにデザインして頂き、技術的な相談にものって頂いた。感謝。内容はまだ旧サイトからの転載がほとんどで、それも十分ではないが、今後、新たな記事も含めて充実させていきたい。ご意見お聞かせ頂けるとありがたい。

2017 04.30

中川村は、なぜ返礼品でふるさと納税を募集しないか

 今朝の信濃毎日新聞一面トップ記事は、ふるさと納税に関してだった。返礼品競争の過熱にブレーキをかける総務省の通達と、それに対する長野県内市町村の戸惑いが報じられいた。
 中川村は、返礼品競争には参加していない。ふるさと納税を下さった方には、金額にかかわらず、村の広報誌を一年間送り、村の絵葉書やパンフレット、「日本で最も美しい村」連合のガイドブックを贈呈している。
 最近は少なくなったが、一時は村内でも「返礼品で村内産品生産者の売り上げに貢献し、村への寄付をたくさん集めるべきだ」との声はあった。
 一月に、移住を検討しているという方から、「なぜ返礼品によるふるさと納税募集をしないのか、財政は大丈夫なのか」というメールを頂き、以下のような返事を返した。
 中川村HP「村長の部屋」>「村長への手紙」に掲載しているが、村長交代が近いし、ふるさと納税が話題になっているので、こちらにも掲載しておく。

* * * * *

前略

 メールを下さり、有り難うございます。

 ふるさと納税については、これまでも議会他で話題になりましたが、多くの自治体が積極的に取り組み成果を競っておられる中、私の考えをはっきりと申し上げると批判とも受け止められかねず、やや奥歯にものの挟まったような言い方に留めておりました。しかし、それではなかなか真意が伝わらないようなので、最近はもう少し踏み込んで説明するようにしています。
 せっかくご質問を頂いたので、今回もそのようにいたしますが、なんであれ物事には様々な考え方がありますので、以下についても他の市町村の考えを否定するものではないことは御理解下さい。

 まず、本来のふるさと納税の考え方には賛成です。就労前と定年後はふるさとに暮らすけれど、働いて所得を得て納税する期間は都会に住むという方が多い中、ふるさとなり頑張っている自治体を支援してもらえるのは、大変ありがたいことです。
 中川村でも、ふるさと納税を頂いた方には、金額にかかわらず一律に、村の毎月の広報誌を一年間お送りし、村のパンフレットや絵はがき、村が加盟する「日本で最も美しい村」連合のガイドブックをお送りしています。また、これはふるさと納税に限りませんが、10万円を超える寄付には、夏の「どんちゃん祭り」の会場で使って貰える金券をお礼としています。

 ところが、ふるさと納税制度の取り組みの中には、本来の趣旨からはずれ、返礼品によってお金を集める仕組みに変質しているものが目につきます。ここには三つの問題があります。

 第一に、変質したふるさと納税制度は、ある程度の所得のある人たちだけが享受できる節税制度であり、自治体の税収をトータルでは毀損するという点です。
 A自治体に支払うべき税金の10万円をB自治体に振り向けて、4万円の商品を貰った人は、4万円の節税ができたことになります。一方、A、Bふたつの自治体トータルでは、同額の税収が減ってしまった訳です。こんなことを自治体が競い合ってやりだせば、地方の税収は減少し、ふるさと納税の本来の目的とは真逆の結果をもたらします。
 そして、この制度のうまみを享受できるのは、まとまった納税額がある層だけですから、不公平な制度でもあります。

 二つ目に、村の特産品の宣伝に必ずしもつながらない危険がある、という点です。
 中川村の特産品は、りんごをはじめとする果物ですが、農作物は、毎年の自然条件によって、質についても量についても、さまざま影響を受けます。雹が降ったり、害虫が発生したり、いろいろな事態に直面しつつ、農家は一所懸命によい作物を作っています。そして、様々な自然条件による出来不出来があることを理解した上で、毎年買って下さる大切なお客様がいます。一番よい品は、贈答用として、このようなお客様に第一優先で届けられています。
 もし、天候に恵まれず、収穫が少なかったり、色づきが悪かったりした場合でも、ふるさと納税の返礼品として約束していれば送らねばならず、量を確保するなら胸を張れる質でないものも加えねばなりません。ふるさと納税で返礼品を期待する人の多くは、農業の苦労を知らず、うまく得をしようとする人ほど要求は厳しいものです。少しでも不満があれば、「中川村の**はひどい」と吹聴しかねません。こうなってしまうと、手間をかけて逆宣伝をしているようなものです。丹精込めていいものをつくってきた努力が水の泡になりかねません。

 最後に、本来の商売の王道である、良いお客様と尊敬し合える関係をつくりあげて息の長いおつきあいをしようという努力が、脇に追いやられかねないという弊害です。
 ふるさと納税の返礼として村が買い上げれば、農家にとってはそこで目先の売り上げにはなります。しかし、それでよしとすれば、お客様のことを考えて、喜んで貰える商品・サービスを提供しようという意欲が減退します。
 中川村は小さい村ですし、農家はそれぞれの考えで様々な作物を作っています。つまり、多品種少量生産です。大手流通に対して価格交渉力のある商売はできません。そのかわり、多様な魅力を提供することができます。さらに、新鮮な農作物だけでなく、加工品や飲食の提供、村で過ごす時間など、いわゆる農業の6次産業化によっていろいろな楽しみを提供できるのではないかと思います。一軒の農家だけでなく、多くの農家が、そして農家でない村民も、みんなで様々な魅力を発揮すれば、知名度は低くても、コアな中川村ファンを作れるのではないか思います。そのためには、お客様としっかりしたつながりを地道に築いていくことが必要です。
 商売の基本は、お客様に評価され喜んで買ってもらえる商品サービスを提供し、評価して買って下さることに感謝することです。買って下さる方と互いに感謝しあい尊敬しあえる関係を築き上げることが商売の王道です。変質したふるさと納税によって目先の利益に走り、これがおろそかになるなら、ふるさと納税制度が廃止された時、しっぺ返しを食らうことになります。
 ふるさと納税制度を都会の人たちと縁を結ぶきっかけにすることはあり得るとは思いますが、きっかけだけのためには、上に述べたとおり、弊害が大きいと感じます。副作用の少ない利用方法を考えてはみましたが、まだいいアイデアは思い浮かびません。現状のやり方でふるさと納税を下さる方々は、純粋に中川村を応援して下さっているのですから、このご縁は大切にしていきたいと思います。

 以上がふるさと納税制度に対する考えです。

 次に、中川村の財政状況、将来負担などについてご説明します。

 中川村の財政状況は、大変健全です。
 まず、実質公債費比率で申し上げると、平成17年度に17.7だったものが、平成26年度には4.6に改善しています。長野県上伊那地方事務所のサイトで確認すると、26年度の県下市町村平均は7.2で、同事務所管内の平均は10.6です。中川村は管内8市町村で最もよい数値となっています。平成27年度は、さらに改善して3.3になりました。(管内は単純平均、県平均は加重平均)
将来負担比率については、平成19年度に算出が始まった際の中川村の数値は67.6でしたが、毎年改善を続け、平成24年度以降は「数値なし」(将来負担額が負)となっています。平成26年度の上伊那地方事務所管内平均は56.3、県平均は11.2です。
 自主財源が少ないのは確かですが、効率のよい財政運営に努めた結果、中川村は、上のとおり健全化を進めることができたと自負しております。返礼品によってふるさと納税を集めなくても、心配せねばならない状況ではありません。
 市町村の財政状況については、総務省や県のサイトで比較できますので、ご覧になって下さい。

 移り住んで頂くための施策としては、村営住宅のさらなる増設と、地区の担い手として住んでいただくための住宅分譲地の計画を進めています。また、子育て世帯の住宅取得に対する支援、新たにお店を開く際の支援や新規就農の支援制度などもあります。##さんがどういう暮らしを考えておられるのか分かりませんが、他にもいろいろなメニューがありますので、なにか計画やイメージがあれば、中川村役場の振興課にご相談下さい。
 中川村には、若い工芸作家や芸術家が多く、またフランチャイズではない、店主のこだわりが感じられる個性的なお店も少しずつ増えています。新規就農の若者もいます。
 是非中川村で暮らしていただき、地区の皆さんとお祭りをしたり、共同作業で汗を流した後慰労会で一杯飲んだり、気の合う仲間とスポーツや音楽を楽しんだり、充実した毎日を楽しんでいただけたら、と思います。私自身、家族とともにIターンでやってきましたが、個性的な魅力のある方が多く、それが一番の村の自慢です。

 どうぞお気軽にお立寄り下さい。お待ちしております。
                                  草々

##様
          2017年2月1日               中川村長 曽我逸郎

中川村自衛隊協力会で申し上げた挨拶

 昨日、中川村自衛隊協力会の総会が開かれ、村長として招かれ、挨拶の機会を頂き、以下を申し上げた。

* * * * *

 関係する大勢の皆様が集われて、中川村自衛隊協力会の総会が開催されましたこと、真におめでとうございます。

 このところ自衛隊をとりまく情勢は、緊迫の度合いが急速に高まっていると感じます。

 南スーダンでの活動では、政治的な思惑や永田町のメンツ、安易な答弁のつじつまあわせが優先され、そのしわ寄せが現地で身体を張って活動する自衛隊員に集中しているのではないか、緊迫した状況の中で合理的でない対応を強いられているのではないか、と心配します。撤収の方向が出されましたが、すべての隊員が無事に帰国できることを祈ります。

 日本周辺に目を向けると、北朝鮮がミサイル開発を進め、アメリカ本土を射程距離に納めそうな情勢に、トランプ政権は慌てており、そうなる前に北朝鮮を叩いてしまおうと考えているように見受けられます。そうなれば、北朝鮮は、在日米軍基地を報復の標的とするでしょうし、原発も狙われるかもしれません。日本には誰も住めなくなる可能性もあります。アフガニスタンやイラクで米国が行ったことによって、中東全体が極めて悲惨な混乱に陥っていますが、極東も中東と同じになりかねません。

 冷戦期、在日米軍基地の存在意義として、ソ連の核ミサイルの目標となることで、アメリカ本土への攻撃を分散できるという説明が、アメリカ議会でなされたそうです。「軍事同盟は抑止力としてよりも戦争を拡大する導火線として機能する」という言葉も聞いたことがありますが、今や日米安保こそが、我が国の危険の元凶になっています。

 政府与党と外務省は、自衛隊員を危険に晒すことで外国にいい格好をしようとするのではなく、国民を守るために、英知の限りを尽くした外交努力を行い、真剣に働くべきです。

 自衛隊は、本来の専守防衛と、国の内外を問わない災害対応によって、世界中の人々から尊敬され信頼される存在になれると信じます。そのような形で自衛隊が活躍し世界に貢献することを祈念申し上げて、お祝いのご挨拶と致します。

2017 04.29

Kyoto Basic Income Weekend に参加してきました。

  2017年4月23日 同志社大学で開かれた”Kyoto Basic Income Weekend” に行ってきた。当日は、中川村の村長選挙の投票日だったけれど、既に引退表明をしているので、多少の勝手ができる。前日、宮下候補の選挙事務所に顔を出したりして、夕方から久しぶりの京都へバスででかけた。
 (ベーシック・インカムについては、9年前に初めて知った時に書いた文章を読んで下さい。)

 やっぱり京都はいい。新学期がはじまって間もないせいか、三条大橋付近の河原には学生らしいグループがいくつも集まり、混雑している。高瀬川べりを歩いて行くと、外国人も多い。安っぽい派手な店も増えたが、京都らしいなんともいえない独特の雰囲気はそれらを包んで健在だ。学生だった頃京都の文化の拠点のひとつだった「ほんやら洞」は今はもう火事で焼けてしまったが、その元主で写真家の甲斐さんがやっている木屋町の「八文字屋」のカウンターで12時近くまでおしゃべりをしながら飲んだ。

 翌朝は、サラリーマン時代の同期が紫野で始めた漆の店「ギャラリーやなせ」に寄って、漆のことをいろいろと教わった。子どもたちが農家民宿を始めようとしているので、そこに似合いそうなサラダボウルを奮発して買った。

 11時前に同志社に着くと、山森先生は準備に忙しくしておられたが、メイン・ゲストのお二人を紹介して下さり、たくさんお話をすることができた。
 エノ・シュミットさんは、スイスでベーシック・インカム制度の実施を憲法に謳うよう求める署名運動を主導し、12万通を集め国民投票を実現させた(残念ながら、国民投票では23%の賛成しか得られず、否決された)。徐萍さんは、ピアニストで、台湾の2カ所でベーシック・インカムを試験的に実施しようと準備している。

 帰りのバスの都合で3時半に会場を出ねばならず、後半のプログラムには参加できなかったが、三つのことを感じた。

 第一に痛感したことは、英語能力の不足。聞くことはまだしも、しゃべることがますますダメになっている。

 二つ目は、スイスの署名活動が、とても楽しげに取り組まれていること。エノ・シュミットさんは、映画『ベーシック・インカム 文化的衝撃』を制作した映像作家であるせいか、みんなをわくわくさせ、テレビのニュースなどでも「絵になる」ような仕掛けを仕込むことに長けている。例えば、署名運動の開始を告げる第1号署名者は、ニューヨークの自由の女神のようなコスチュームで、みんなが喝采する部屋にしずしずと現われ、厳かに署名をした。あるいは、スイスでベーシック・インカムを受給することになる人数と同数のコインを、石畳の広場にダンプカーからぶちまけ、それを大勢で回収する。このような、みんなを楽しませ、引き込み、運動を広げていく手法は参考になる。

 三つ目は、一番大切なことだが、みんなを幸せにするにはどうすればいいか、真摯に深く考えていることだ。いくつか印象に残る言葉があった。
 不正確かもしれないが挙げてみる。
 ベーシック・インカムには人間への信頼(trust)があり、「人はどう生きるかを自分で決める能力がある」と考え、そうできる社会にしようとする。人はこの世界に歓迎されて迎え入れられる(welcome to this world)べきであり、互いにそうすべきであって、競争(competition)はこの反対だ。収入(income)は自分のためであるが、労働(work)は他の人のためになにかをすることであり、incomeと結びつかないworkもある。Your work is your life. 他の人のために働くことが生きること。収入のために競争して働くのではなく、本来の労働、すなわち人のために働くことが本来の生である。AIやオートメーションによって、職が奪われていくからベーシック・インカムが必要だ、という議論も増えている。しかし、ベーシック・インカムは、単にincomeを補うだけではなく、職を奪われた人々がばらばらにされてしまうのではなく、人のために働いて、お互いに繋がりあうような社会を構築しようとする。

 人を大切にし、どういう社会であるべきか、固定観念にとらわれず深く考え、その実現を現実の社会からスタートして具体的に組み立てていこうとするポジティブな姿勢に感銘を受けた。

2017年4月29日  曽我逸郎

2017 04.27

ベーシック・インカムは妙案かも

 9年前に(もうそんなに以前!)中川村HP『村長からのメッセージ』に掲載した文章。不十分な点もあるが、ベーシック・インカムについての最初の私の理解を書いていて、網羅的でもあるので、こちらにも転載する。

「ベーシック・インカム」は妙案かも 2008年06月04日 曽我逸郎

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「ベーシック・インカム」は妙案かも
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 『ベーシック・インカム』という本がたまたま目に付いて、読んでみた。おもしろかった。(副題「基本所得のある社会へ」 ゲッツ・W・ヴェルナー著 渡辺一男訳 小沢修司解題 現代書館)

 今、中川村の農業は、日本中の農山村の例に漏れず、大変厳しい状況だ。高齢化、担い手不足、手が廻らなくなって荒廃農地が徐々に増え、サル・イノシシ・シカの害がひどくなっている。業として農に取り組む専業農家は懸命に頑張っておられるが、数は少ない。志を高く掲げ若さで頑張る新規就農者は、末頼もしいけれど、さらに少ない。多くの農家は、商品作物をつくるというより、先祖代々の農地を自分の代で荒らすわけにはいかないという理由で、農作業・農地管理を続けておられるのであって、身体が続かなくなるか、大型機械が壊れたら、そこまでだと考えておられる。この5年10年で、農地の荒廃は一気に進みかねない。

 農業のみならず、林業もさらに苦しい状況であるし、村自体年々高齢化が進み、人口は漸減し、草刈りや道普請など地域の維持もだんだんとままならず、お祭りさえ次第に負担になってきている。

 活気を取り戻すために、農家民宿・体験農業・観光農業・都市との交流・農産加工・直売など、ありとあらゆる工夫・努力を模索してはいる。確かに成功事例は生まれつつあるが、村全体を考えれば、村単独の取組みでは、深刻化のスピードを遅らせることはできても、余力を失った農家も含めて、全体が元気を回復することは非常に難しい。

 受け継がれてきた環境や景観を大切にし、伝統文化・暮らしを引き継いで、「美しい国」を守っていくためには、農業や林業従事者にむけて国において現金補助をして頂く他はないのではないか。そんなことを考えていた。

 しかし、この本を読んでわくわくした。ベーシック・インカムの発想は、もっとラディカルだ。ヨーロッパで議論され始めたアイデアで、生きていくのに必要・十分な所得を、すべての人に、条件を設けずに、給付しようと言う。働く意欲があるのに働くチャンスのない人や、働いても十分な賃金の得られない人は勿論のこと、高収入の人にも、働くつもりのない人にも、等しく同額の給付をすると言う。
 「なぜ金持ちにまで給付するんだ!?」
 「なぜ働く気のない怠け者に給付するんだ!?」
 こういう拒絶反応がでるだろう。これまでの常識からすれば、もっともな反論だ。しかし、じっくりと想像してみると、ベーシック・インカムからいろいろなメリットが生まれることが分かる。

 まず、先に述べた村の現状に対しては、どういう影響が期待できるか。
 今、農業では将来設計が立てられないから、若者は村を出て行く。村に残っても、勤め人になる。しかし、ベーシック・インカムが保障されれば、贅沢はできなくとも、安心して家の農業と地域の担い手になれる。
 都会から、現代文明への問題意識をもって、あるいは理想の生き方を求めて、農的暮らしに憧れる人にも、踏み切る勇気を与えるだろう。若い力が農山村に入り、農地や山が再生され、伝統文化も継承されていくかもしれない。

 一方、都市部においてはどうだろう。
 生存を維持するため、苛酷な労働を強いられている「ワーキング・プア」の人たちが解放される。職を失いたくないがために劣悪な労働条件に甘んじざるを得ない人がいなくなるから、つらい仕事の対価は正当に上昇するだろう。また、自分の倫理観に反する業務を命じられても、拒絶できるようになる。(一方で、企業の側においては、解雇通告を出しやすい雰囲気が生まれるかもしれない。)
 現状では、将来への不安から、就職や資格取得など、目先の損得に縛られている人が多いが、ベーシック・インカムが保障されれば、自分の夢やこだわりのために生きる人が増えるだろう。食うために生きるのではなく、自分らしい何かのために生きることが可能になる。じっくりと取り組める人生、やり直しの効く人生へ、ベーシック・インカムは、人生観さえ変えるかもしれない。

 「それにしても、十分な所得のある人や働く気のない人間にまで給付するのか? 食うに困らなくなれば、誰も働かなくなる。」そういう批判は根強いだろう。それにはこう答えたい。

 現代社会では、労働は、賃金によってのみ評価されている。しかし、それでいいのだろうか? 家事や育児などは、大変重要な仕事であるのに、賃金では評価されていない。農地を守るため、儲からないのは承知で、畦や水路を守り、炎天下の草刈りに汗を流すお年寄りは大勢おられる。そのお蔭で、景観のみならず、都市の水源は涵養され、水害も未然に防がれているのに、これも評価されていない。伝統芸能を受け継いでいくために、一所懸命の人たちもいる。支えあいのボランティアも地域にとって重要だ。職人的な技も、評価を受けるまでには長い時間がかかる。今は理解されない研究や芸術が、後世に大きな影響を与えることも多い。人類の文化は、損得を超えたこだわりから生まれてきた。賃金で評価されない活動も、社会にとっては非常に大切なのである。

 ベーシック・インカムは怠け者を作る、という意見に対しては、ベーシック・インカム論者は、性善説に基づく楽観的な見解を持っている。人間は、他の人と係わり合いながらなにがしかの貢献することによって、あるいは、自分のこだわりを追求することによって、自分を認めることができるのであるから、食うに困らなくても、賃金で評価されるかどうかは別として、必ずなにか、例えば先に述べたような活動をするものである。彼らはそう考えるし、私も同感だ。
 今、「ひきこもり」が問題にされている。これは、人の価値を賃金によってのみ測る世の中の頑なな冷酷さが引き起こしている現象ではないだろうか。ベーシック・インカム制度は、人の見方も柔軟で多様にするに違いない。

 高所得者にまでなぜ給付するのか、という問いに対しては、こう答える。ベーシック・インカムが導入されれば、ベーシック・インカムが前提の賃金体系になるのだから、現在の収入のままでベーシック・インカムが上乗せされることにはならない。それぞれの仕事ごとに、新たな賃金が決まってくる。

 また、一部の人にだけ給付をするとなると、対象グループごとに様々な条件をつけなければならない。所得が一定以下の人。一定年齢以下の子供を一定人数以上養育している人。まじめに求職活動をしている人。資産が一定以下の人。などなど、無数の細かい条件がつく。今の福祉政策はまさにこうで、社会制度のほころびにさまざまなツギアテをして、その条件文言の適正化・厳密化と、条件にあてはまるかどうかの判定にたいへんなマンパワー(公務員賃金)が消費されている。支えを必要としている人に実際に届く金額と、そのためのマンパワーに消費される金額との比率は、果たして妥当なものになっているのだろうか? おまけに、社会の変化に制度が追いつかず、助けを必要とする多くの新しいほころびが手当されないままになっている。

 ベーシック・インカム制度では、賃金所得が突然なくなった場合でも、なにも申請する必要はない。これまでどおり、ベーシック・インカムは支払われる。役場で根掘り葉掘り尋ねられて嫌な思いをすることもない。公務員のマンパワーを浪費することもない。簡素な仕組みである。
 仮にベーシック・インカム制度にただ乗りする輩がいたとしても、それを防ぐごうとすれば、そのために必要となる公務員賃金の方がはるかに甚大となるだろう。第一、それがただ乗りなのか、あるいは、今は姿の見えない大きな仕事が胸の奥底で密かに準備されつつあるのか、誰にも分からない。本人にさえ分からないこともあるだろう。

 ベーシック・インカム制度に期待できる利点については、なんとなくでも想像いただけたかと思う。
 想定されている支給額は、論者によって様々であろうが、日本ではひとり月額8万円とかが考えられているようだ。夫婦世帯なら16万円になる。子供ができても+8万円という説もあるし、子供は年齢に応じて安くてよいという説もある。将来の見通しがいくらかでも持てて安心感が生まれれば、結婚しやすくなるし、少子化対策にもなるだろう。死ぬまで支給されるという安心感で老後の不安が減れば、貯金よりも元気なうちに人生を楽しもうということにもなるだろう。

 しかし、まだこのような反論があるに違いない。「そんな財源がどこにあるのか!?」
 これについては、私はまるで素人で、受け売りしかできないが、以下のような答えが用意されているようだ。

 まず、ベーシック・インカムは、既存の多くの福祉手当を吸収するので、それらの財源を充てることができる。生活保護や年金制度、児童手当も不要になる。社会保険庁もいらなくなるし、公務員もかなり削減できるはずだ。
 ただし、シミュレーションによれば、それらの充当だけではやはり不足で、増税が必要になるようだ。だが、それは十分実施可能な範囲だと言う。
 何にどう課税するかについては、意見が分かれている。私の読んだ本の著者ヴェルナーは、すべて消費税にせよ、と過激な主張をしている。従来の所得税や法人税の延長で考える案もある。それぞれの論者が、自分の思想に基づいてさまざまな主張をしている。

 給付の額についても検討しなくてはいけない。年齢に応じて変えるのか、障害のある人については上乗せするのか、などなど、さまざまな意見があるだろう。あまりに大雑把だと不公平が生まれるだろうし、きめ細かすぎると管理コストがかさむ。

 ともあれ、これらは技術的な課題だ。もっと大きな問題は、ベーシック・インカム制度が機能し得るとしても、そこにどのようにして移行していくのか、という問題だ。
 全世界が一緒にそうならなければうまくいかないという説もあるが、そうなるとほとんど不可能のような気がする。ベーシック・インカム制度は、高い生産性が達成された先進国・先進地域でのみ可能だ、とする意見もある。
 一国で実施すれば、移民が押し寄せるのではないか、といった心配をする人もいる。税制によっては様々な悪影響が生じるかもしれない。

 生産性が高く、島国でもある日本は、ひょっとするとベーシック・インカム制度を実験してみるには絶好の国なのかもしれない。
 いずれにせよ、もろもろの制度疲労によって日本の現状はいたる所がぼろぼろなのであるから、これくらいラディカルな発想で国・社会のあり方を再検討してみる必要があるのではないだろうか。

 小さな本を一冊読んだだけの安直な理解であるから、私の見えていない大きな副作用があるのかもしれない。
 お気づきの点、ご教授頂ければありがたい。

                         以上

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ベーシックインカムについての感想

 2008年6月9日、6月4日付のメッセージについて、“森の樵”さんから感想が寄せられました。
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 これは「ベーシックインカム」について曽我さんの書かれた感想に対する私的な感想です。

 直接的に村行政に関する事とは思えませんのでこのコーナーに宛てるのが適当かどうか逡巡しましたが、他に見当たらないので書かせて頂きます。

 先ず何より感じたのは、我が自治体の長が「ベーシックインカム」に対して肯定的な感想を寄せられている事を大変好ましいと思う事です。

 このようなある種過激な社会改革のアイデアについて実現出来たら面白いなあと夢想出来る力、その柔軟性が楽しく、共感出来るのです。

 文中で述べておられたように、この基礎給付の考え方は性善説的な観点から発せられたものでしょう。
 これについては当然賛否両論があり、各専門分野からの厳しい吟味によって研磨されて行くべきもので、その過程において大いなる実りが期待出来るものと考えます。

 と、こう書いていながら、実は私個人の感想は敢えてネガティブです。

 というのも、私にはこれが20世紀に行われた壮大な社会主義国家の実験の頓挫(ソ連の崩壊)によって答えの出た理想の追求に近似したものと思われてならないからです。

 つまり残念ながら人間は社会のあり方に対して理想は理想として理解出来ても個々のレベルでは共産的理想には満足出来ず、不完全と知りつつ資本主義の競争の中にしか平安を見いだせないものであるように思われるという事です。

 これはアーサー・C・クラークがその著作の中で展開する社会の未来図にあっさりと示していた考え方です。

 この点で「ベーシックインカム」の考え方には共感出来る理想を感じつつ、その実現には易々と頷けないのです。

 政治的イデオロギーの善し悪しではなく、人間がその社会的生物としての本質に於いていかなる性向を持つのか、これについては比較行動学的な見地からの報告を待ち続けていますが未だ我々は自らの蒙をひらかれていない混沌を抱えたまま、複雑に分化した社会の諸問題に翻弄されているように感じています。

 つまり、我々人類は生物としての肉体と性向を依然として持ち続けているにもかかわらず、文化として手にした高度な制度や技術、そして理念にそれが追いついてこない状況であるという事です。

 感情的に判りやすい例としては、原爆のスイッチを押す事と直接自らの手で人を殺戮する事には精神的・肉体的に受ける抑圧の量が圧倒的に違うにもかかわらず、容易く押せるボタンの結果は惨憺たるものであるというような事です。

 これはいささか専門的な分野の話になり、ことさらに長くなりますのでこの辺までとします。

 ただ、直面している社会の諸問題解決に対して非常に肯定的な視点を持って検討したいという「ベーシックインカム」のアイデア自体を否定しているのではありません。理想とするところには大きな期待を寄せたいと思います。
 それどころか私個人としては経済行為としてよりもその前の「人生の生業」として農的林的な生活を追求していますので、実際には私こそ「ベーシックインカム」待望・切望者なのかもしれません。

 冒頭にも書かせて頂いたようにこのような夢のある肯定的なアイデアに興味を寄せられる我が村長に親しみとともにエールを送らせて頂きます。

 長々と失礼しました。

森の樵

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2008年06月14日 曽我逸郎

拝啓

 ベーシック・インカム(BI)に関する拙文に感想を寄せていただき、真にありがとうございます。書いたとおり、あの本を一冊読んだだけですので、深い理解はできておりませんが、大変ユニークで世の中を一変させる可能性を秘めたアイデアではないかと感じています。その分、副作用があった場合、その影響も大きそうで、その点は心配ですが・・・。

 さて、森の樵さんから頂いた問題提起は、こういうことではないかと読みました。

 「BIは、すでに破綻した社会主義・共産主義の理想追求の近似である。人間の欲望や本能はそのような合理的理想の枠にはおさまらず、資本主義的な競争原理に走る。従って、BIは、破綻する。持続的な制度としては維持できない。」

 確かに、BIは、社会主義的・共産主義的に聞こえる要素があります。しかし、資本主義的な自由競争も前提にしているのではないでしょうか。

 私の読んだ本の著者、ヴェルナーは、ヨーロッパに広がる大きなドラッグストア・チェーンの創業者ですし、いわゆる資本家の中にも少なからぬ共鳴者がいるそうです。(資本家がなぜBIを支持するのか、その理由を調べてみるとおもしろそうです。)
 逆に、左翼の反対論者も少なくないようです。「労働こそが付加価値を生む」というのが左翼のテーゼであるから、労働と所得を切り離して、労働(狭義の)をしない人にも給付する、というBIの考えは伝統的左翼には容認しがたい、というような解説がどこかありました。
 BIは、かならずしも、左翼から支持され資本主義からは拒絶される、というものではないようです。

 おっしゃるとおり、人間の本能・欲望は、なるべく楽をしたい、贅沢をしたい、というものでありましょう。BIだけの生活に切り詰めて、のんべんだらりと過ごす人もいるでしょう。(そういう人も、きっと詩を書いたり絵を描いたり、なにかをすると思いますが・・・。) また一方で、おしゃれしたい、車を乗り回したい、もてたい、海外の高級リゾートで大きい顔してゴルフしてダイビングしてエステしてうまいもの食いたい、六本木ヒルズの最上階で夜景を眺めながらいい女とワインを飲みたい、という人もいるでしょう。こういう人は、BIがあってもそんなものには満足できず、知恵を絞ってうまくもっと儲けようと競走するに違いありません。また、人間には、自分のこだわりを追及したい、とか、人の役に立ちたい、といった、もう少し高級な欲望もあります。こういう欲望には、BIだけでは不足でしょうし、活動を継続していくためにはそれだけの金を稼ぎ続けねばなりません。ですから、ほとんどの人は、今と同じように、競争しながら様々な仕事をして所得を稼ぎ続けるだろうと思います。

 また、社会主義・共産主義とBIとの大きな違いは、前者が、公務員の働きを肯定的に評価し、計画経済や多様で詳細な社会保障の充実に走るのに対して、BIは、官僚の仕事を、なくても済むならなくした方がいいもの、とややネガティブに捉え、官僚の働きなしでうまくいくシステムを模索している点です。ある意味、小さな政府を目指すものといえるでしょう。

 ということで、BIは、ぱっと見の印象ほどには社会主義・共産主義に近いものではないように思います。

 私自身読み齧りの段階ですし、ヨーロッパでも深い研究はこれからのようです。大きな副作用もあるかも知れず、じっくりと勉強したいと思います。BI自体を勉強するというより、世の中はどうあるべきか、いろいろと思考実験をしてみる材料として、BIはなかなかおもしろいのではないかと感じます。

 またご意見お聞かせください。

森の樵さま
            2008.6.14 曽我逸郎

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「ベーシック・インカム」は妙案かも(6月4日)を読ませていただきました

 2008年9月29日、6月4日付のメッセージについて、京都府立大学の小沢教授から感想が寄せられました。
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 突然、失礼します。

 知人から、長野県の中川村の曽我村長がベーシック・インカムについて書かれているよ、と教えていただき、さっそく読ませていただきました。私は、村長が取り上げられているヴェルナーの本の解題を書いている、京都府立大学の小沢といいます。

 率直な感想ですが、非常にうれしいです。私自身、ワクワクドキドキしながらベーシック・インカムの研究をしていますし、日本の農山村を救う一つの手だてになるとも思っているのですが、日々現場で住民の方々とご努力されている行政の首長からベーシック・インカムへの賛同の表明をいただけるというのは、ものすごく心強い限りです。

 しかも、曽我村長の理解は極めて正確だし、なによりも、私たちの心や体に染みついた、労働と所得を結びつけている「当たり前」の意識や行動規範から自由で柔軟な精神を持っておられることにびっくりしました。うれしいとしか言いようがありません。

 たった今、できたての本(武川正吾編『シティズンシップとベーシック・インカムの可能性』法律文化社)が出版社から届きましたので、別途送らせて頂きます。私も「日本におけるベーシック・インカムに至る道」と題した拙文を書いています。

 これからも、できましたら意見交換をさせていただければありがたいです。

 気候の変化が激しい季節となっていますが、健康に留意してご活躍下さい。

 では、失礼します。

小沢修司

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2008年09月30日 曽我逸郎

拝啓

 小沢先生からメールを頂くなんて、びっくり致しました。ヴェルナーの本を読んで村のホームページに載せた文章を書くとき、ネット上に公開しておられる論文も拝読いたしました。その先生から、「理解が正確」と言って頂いたのは、大変嬉しいことです。

 ご存知のとおり、今、地方の窮状は大変な有様です。中川村でも、中心産業たる農業は、有害鳥獣の被害に加えて病虫害など温暖化の影響も出始め、資材・肥料は高騰し、おまけに農作物価格は低迷し、業としてほとんど成り立たず、後継者は稀で、なんとか元気な高齢者の「自分の代で先祖代々の農地を荒らすわけにはいかない」という意地だけにたよって続いている状態です。それも、自分の身体か大型機械が壊れればそれまで、という切羽詰った段階です。林業は既に壊滅したといっていいでしょう。

 こういう状態で、国のやろうとしていることは、日本の国土の地形に適合しない「農業経営の大規模化」であり、農家からこだわりや遣り甲斐を奪う「企業の導引」であり、自動車などの輸出の引き換えに安全性を省みず農作物を輸入することです。

 それぞれの地域の農林漁業が、歓び・遣り甲斐をもって続けられなければ、祭りも伝統文化も維持されず、「美しい日本」(もはや死語か?)は破壊されています。

 業のみならず、医療や福祉においても、国のしていることは、財政再建だけを目指して後のことは考えずに大鉈を振るってセイフティ・ネットをずたずたに切り裂き、現場はサービスをする人も受ける人も傷だらけ血まみれの有様です。その一方で、自分達が切りつけた傷の手当てに細切れの絆創膏をばら撒いています。そういった絆創膏のきれっぱしに手当ての効果はなく、ただ役人の仕事と人件費を増やしているばかりです。

 この現状を考えると、日本の伝統文化を大切にし、食の安全を確保し、無駄な役所仕事を減らす上でも、ベーシック・インカム制度は、極めてシンプルで運営コストが低く、かつ広大なセイフティ・ネットであり、大きな可能性を感じます。ベーシック・インカムが確保され、農家がそれぞれのこだわりの農業に取り組めるようになれば、農業・農村にも活力が復活し、祭りや伝統文化も引き継がれていくでしょう。
 農家への支援が非関税障壁だと外国から非難されるのであれば、農家のみならず全国民を等しく支援してしまえば、すなわちベーシック・インカムを導入すれば、そんな非難も封じることができるのではないでしょうか。

 それ以上に、ベーシック・インカムによって、個々人が目先の生存に汲々とせず、自分の人生に取り組めることこそ、すばらしいことだと思います。ひょっとすると一部の多感な人は自由の重荷に押しつぶされる、あるいは実存の深淵に引き込まれるという副作用はあるかもしれませんが、先の希望のまったく見えない「ワーキング・プア」の奴隷的惨状よりは、はるかにましだと思います。

 他の問題点の可能性としては、共同体(家族など)に経済的依存状態にあって、我慢してそこに留まっている人(たとえば主婦や若者)は、ベーシック・インカムを得ると、そこから脱出するかもしれません。つまり、ベーシック・インカムは、共同体を壊す作用があるかもしれません。しかし、ベーシック・インカムに壊されるのは、共同体が圧制的である場合であり、圧制からの解放だと考えれば、ベーシック・インカムのプラスの効果だとも言えます。
 一方で、一人で月8万円で暮らすより、二人で16万円で暮らした方が生活は楽であり、すなわちベーシック・インカムには逆に共同体(家庭)を生み出す作用も期待できそうです。

 でも、ベーシック・インカム実現に向けての一番の障害は、おっしゃるとおり私達の社会の狭量な労働観でしょう。三年寝太郎を許容できない。自己責任と競争の原理に塗りこめられた今の日本社会に、多様で自由な生き方を認める懐の深さを期待するのはむずかしそうです。これに対しては、実直にベーシック・インカムの利点を訴えて、理解を深めていくほかはないのでしょう。

 格差社会の問題が表面化してきた今は、ベーシック・インカムを訴えかけるチャンスかもしれません。破綻したトリクルダウン理論とは正反対の、低格差社会こそ幸福と説く『経済成長神話からの脱却』や、シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』とも通底して、人間の幸せとは何かを考えるところから社会制度を設計する思想的深さを、ベーシック・インカムは内包していると思います。

 ベーシック・インカムには、本当に大きな期待を持っているのですが、村のレベルで取り組めないところが残念なところです。それとも、なにか擬似的なものであれば、工夫次第で可能でしょうか?

 『シティズンシップとベーシック・インカムの可能性』、ありがとうございます。楽しみにしております。

 今後とも是非ご教授賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

              敬具
小沢修司先生
            2008.9.30 曽我逸郎

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サイトを読みました。

 2008年9月29日、6月4日付のメッセージについて、茨城県の黒田長宏様から感想が寄せられました。
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 中川村長 曽我様

 はじめまして。茨城県の41歳の者です。
 「ベーシック・インカム」は妙案かも、を読みました。

 以前、ネットで、衆議院、参議院のほぼ全員と、市町村を北海道から、ネットでメールできるところに、「ベーシックインカム」実現希望のメールをしました。
 衆議院から8名くらいの人が返事をくれました。参議院はいの名前、市町村は北海道の途中でストップしてしまいましたが、グーグル検索で到着しました。

 やはり政治のリーダーの方が関心を持たないと、ベーシック・インカムは動きようも無いと思います。
 ぜひ、賛同者とつながって、社会を新しい方向に移そうとしていただきたいく思います。

 楽天ブログをしてきましたが、荒らしに会い、コメント受付をストップしています。
 私のテーマの一つは、長期ニート、長期失業者、ホームレスなどが生活苦をどう逃れられるかなんですが、それに集中したブログをアメブロで作りました。

 現在職探し中のため、長野県までうかがえないですが、再就職したら、ベーシックインカムがもっと動くようになにかしたいです。失業する前は、千葉県成田駅前などで一人でベーシックインカムの街頭説明などやったり、東京や茨城のちらしに、ベーシックインカムの紹介広告を載せたくらいです。

 他に、どうすれば、在宅で誰もが収入を得られる装置などの仕組みが発明できるかなど、いろいろアメブロに載せて、このように発明家などにメールしたりしています。

 再就職できたらの話ですが、お金に困らなくなれば、長野県まで行き、なにかベーシックインカムその他についてお手伝いできればと思うので、よろしくお願いします。

 新しいことに注目するということは、関心を持つ人がなかなか近場で見つからなかったりしますので、全国レベルで問い合わせしなければならないと思い、茨城県民で唐突ですが、危機感を持ち、メールさせていただきました。

 http://ameblo.jp/anzensaku/ (アメブロ)
 http://plaza.rakuten.co.jp/kurodata/ (楽天)

稲敷市 黒田長宏

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2008年09月30日 曽我逸郎
拝啓

 メール頂き、ありがとうございます。

 ベーシック・インカムについては、私は、まだ知ったばかりで、十分な理解はできていませんが、大変大きな可能性があるのではないかと期待しています。

 なかなか一般には理解されにくく、実現には困難が多いと思いますが、格差社会の問題が噴出している今は、ベーシック・インカムの利点・問題点をみんなで考えるよいチャンスかもしれません。

 5月3日、新宿で行われた『自由と生存のメーデー2008 プレカリアートは増殖/連結する』に参加しました。
 このような機会を捉えて、ワーキング・プア、プレカリアートの人たちとベーシック・インカムについて語り合い、連帯していくのも一つの方法ではないかと思います。

 またご意見お聞かせ下さい。

                  敬具
黒田長宏様
            2008.9.30 曽我逸郎