政治的な…

政治が叶えるべき三つの任務

 
* * * * *

先日、喬木村の公民館平和学習会で『1フィート映像でつづるドキュメント沖縄戦』を観て、飯田市歴史研究所の田中雅孝先生の講演を聞いた。

 戦争は、人間を悪しき縁にまみれさせ、酷い苦をつくらせる。そのことを改めて考えた。
 人間は慈悲の反応にもなるし、執着の反応にもなる。よい環境でよい縁に恵まれれば、人にやさしくして助け合うけれど、悪い環境で悪い縁にまみれれば、自己本位の強欲で振る舞うことになる。
 規模の上で最悪の縁は戦争だ。おびただしい人々を極めて酷い縁に巻き込み、自分が生きながらえるために人を犠牲にさせる。沖縄では、食料もなく、満足に眠ることもできず、重い荷を担ってぬかるみを逃げまどい、苛烈な状況に疲労困憊した中、米軍の機銃掃射や火炎放射が襲い掛かった。軍は自分たちの身を守るためガマから沖縄の人たちを艦砲射撃の中に追い出した。泣き止まない赤ん坊を殺させもした。混乱と無秩序の中、横暴と殺戮に良心が麻痺して、人は自己保存欲や動物的本能をほとばしらせてしまう。平時なら自分を保ち善良だったはずの人も、戦争は、欲望のまま自暴自棄に開き直らせてしまう。
 戦争は政治が引き起こす。戦争を引き起こさない政治にしなければならないと改めて強く思った。言わずもがな、憲法9条が定める戦争の放棄である。

 しかし、ただ戦争をしないだけでは勿論十分ではない。「衣食足りて礼節を知る」という。人間は、一定程度の生存水準が保障されなければ、自分を保つことが難しい。自分の必要が満たされなければ、人と争うようになる。つまり、礼節を忘れてしまうのだ。生存を可能にする環境と物質的な充足をすべての人にいきわたらせることが、もう一つの政治の任務だ。すなわち、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の保障である。(にもかかわらず、わが国では生活保護の捕捉率が非常に低く、生活保護水準以下で暮らす人が少なからずいるということは、憲法違反だと思う。)
 これを果たすためには、特に今、再分配の適正化、税制の見直しが必要だ。消費税をなくしていくのは勿論、税金同様に誰もが徴収されるのに税金と呼ばれないために累進性が乏しく、低所得層ほど負担率が高い税金モドキも減らさねばならない。税金は取るべきところから取る。未来に投資する知恵がなく内部留保をため込むばかりの大企業や、タックスヘイブンで税逃れをするグローバル企業からも徴収できる制度にせねばならない。
 その上で、米国に尻尾を振って貢ぐために戦闘機を爆買いするような無駄遣いは止めて、生存を支える福祉にしっかり支出し、国民の購買力を高めれば、お金は還流し経済は回り始める。
 しかし、こんなことをいいうと「財源はどうするのか」と問い詰める人がいるだろう。財政規律を守って国家財政を持続可能にしたとても、もはや肝心の国民の暮らしがもたなくなっている。若者の多くは、自分の生存だけで精一杯で、家庭や子供を持つこともできない。福祉を充実させ、きちんと再分配を行うことが経済政策であり、抜本的な少子化対策だ。総需要が縮こまっている今は、財政支出によって暮らしを支え、需要を作りださなければならないと考える。

 さらにもうひとつ、これからの政治が自覚的に心がけねばならないことがある。それは、人と人の良い関係が生まれ広がるように配慮することだ。
 『幸せのマニフェスト 消費社会から関係の豊かな社会へ』(ステファーノ・バルトリーニ著 中野佳裕訳 コモンズ)を読んで、なるほどと思った。まとめようと思いながら時間がかかっているが、要はこういうことだ。
 物質的豊かさを追求するだけでは、GDPは増加しても、人と人の関係が壊れていき、かえって社会は不幸になる。人々を個人個人に分断し、成果を数値化するなどして比較させ、競争させるのではなく、様々な個性が互いに互いを容認し合い、つながり合う社会を築いてこそ、人は幸せになれる。

 憲法が定める自由や権利、平等は、多様な個性を守ることだと思う。それに加えて、様々な個性が、個性を発揮し合いながらお互いに良い関係を築いていくような配慮も必要なのだ。
 この考えの真逆は、例えば自己責任という考えであり、これは分断の最たるものだ。「**なら**すべきだ」という空気による同調圧力は、外面的服従を強いて、内面の連帯を破壊する。生産性で人を評価する考えは、その人の利用価値を数直線上で競わせることである。個性は多様であり、数字に換算して比較することはできない。ユニークさを認め合い、面白がりあいながらみんなで運営していくおおらかな社会になるように、政治は心がけていく必要がある。
 単なる精神論ではなく、都市の設計や学校・医療福祉サービスのあり方、文化施設など、暮らしのさまざまな局面で、分断をなくし、人と人の新たな出会いが生まれ、よい関係が育っていくような具体的工夫を積み重ねていくのである。
 政治は、人間にとってどういう社会がいいのかを、深く考えたものでなければならない。それをないがしろにして、目先の成果を追いかけると、もっと大切なものを棄損してしまうことになりかねない。

 まとめると、政治の三つの任務は、まず、戦争を絶対に避けること。次に、健康で文化的な最低限度の生活の保障。加えて、個性を存分に発揮する人々の間に豊かな関係が生まれ広がるように配慮することが重要だ。

 実は、先日つくった名刺の裏に、「心もサイフものびのびと」というキャッチフレーズを入れている。ここに書いた二番目と三番目の任務を表現したものだ。

 読み返してみると、うまくまとまっていない。関係性を育むことについては、わたしはまだ十分消化しきれていないのだろう。破棄しようかとも思ったが、途中経過として公開することにする。ご批判頂けるとありがたい。

2019年6月16日     曽我逸郎