政治的な…

グローバル資本を敵として見定めるべきではないか 内山節講演を聞いて

 
 
 内山節先生が飯田市に来られ講演された。(2019,4,27 「第30回飯伊地区地域づくり職場づくり研究交流集会 『これまでと異なる新たな社会をめざして』」主催:南信州地域問題研究所 @飯田勤労者福祉センター)

 お話を聞いて、グローバル資本をもっと明確に敵として位置付けるべきではないか、と感じた。講演後の質疑でそれをお尋ねしたところ、グローバル資本を過大に捉えるべきではない、という回答だった。

 講演は一時間半という限られたものだったし、わたしの質問も、先生の返答も、断片的なものだったので、議論が深まることはなかったが、考える価値のあるテーマだと思うので、ここに紹介する。ご意見・ご批判をいただけるとありがたい。

 まず、先生の講演の概略を書いておこう。あくまで如是我聞、わたしの理解であるので、聞き違いはあるかもしれない。

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 かつて、車を輸出する国は7か国ほど。富が一部の先進国に集中していた。しかし、今や、車の生産台数は、中国や韓国が多く、東南アジアの生産も多い。電気製品をみても、ブランドは先進国のものでも、生産国は別であることが普通だ。先進国は没落し、世界は平等になりつつある。
 <曽我:飛行機やPC、スマホなど、先端工業製品の重要部品で日本製が活躍との話もあったが、話題がモノに偏っていると感じた。ニッチな製品(例えば旅客機の化粧室ユニットや自転車の変速機)で高いシェアを持っていても、これからの暮らしを大きく変えるサービスを日本は生み出せていない。>
 このような変化の中で、没落する先進国には、二つの異なる動きがみられる。
 ひとつは、「古き良き時代」への郷愁、国家主義、ファシズム、排外主義。
 他方には、新しい生き方を模索する人たちがいる。フランスでは、人口の三分の二が都市からの移住者となっている農山村が珍しくない。またイギリス、アメリカでは、コ・オウンド・ビジネスが広がりつつある。これは、従業員が自分たちの企業を自分たちで所有するという形態で、従業員のやる気が生まれ、顧客からの信頼を得て、成功事例が多い。
 地域主義、地域通貨の広がりも見られるし、儲けではなく社会的な貢献を目指すソーシャル・ビジネスも拡大している。
 自然とのかかわり方に健全さを回復し、地域の共同体をもう一度捉えなおそうとする傾向が生まれている。
 このような動きこそが真の保守ではないか。今、保守とその反対(革新?、改革運動?、改造主義?)の関係がねじれておかしくなっている。安倍首相は、保守と言われるが、実際は原発を推進するなど、伝統的なものをまったく大事にしていない。
 江戸時代の日本のGDPは、実は米国と同等だった。ペリーは軍艦こそ日本に勝っていたが、日本を占領し統治下に置くだけの戦力を送り込む力は米国にはなかった。ところが、それが太平洋戦争に突入する頃には、日本のGDPは米国の十分の一(この辺の数字は聞き違いかもしれないが、ともかく大きく水をあけられていた)。明治政府は、富国強兵殖産興業の掛け声のもと外国技術を懸命に取り入れたが、日本独自の伝統技術を破壊した。そのことが、このGDPの差をもたらした。これは、明治政府の失敗である。明治維新からの歴史は、成功事例として誇られるべきではなく、日本が本来持っていた独自の可能性を破壊した失敗の歴史として教えられるべきである。

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 自分の暮らす地域の自然や文化、伝統、コミュニティを大切にし、そこから学ぶことを通してよりよい社会を模索すべきだ、というのが、内山先生の言わんとするところだと思う。

 その点には同意しつつも、物足りなさも感じた。

 世界は平等になりつつあるだろうか? 先進国の力が弱まり、途上国の力が増していても、人々の間の格差は急速に拡大している。
 先進国・途上国といった国という切り方で世界を捉えるのは、もう古い捉え方ではないか。
 かつて、人々を民族や国家で縦に区分するのが右翼であり、階級という横の区切り方、すなわち労働者階級、資本家階級という捉え方をするのが左翼だと言われていた。
 今は、1%対99%と言われる。頂点の1%の人たちが富を独占し、そこから隔たるにつれ、搾取される度合いが急速に高まる階層構造となっている。世界は縦ではなく水平に分断されているのではないだろうか。
 特に、グローバル資本といわれる企業群は、国家をも道具として利用し、各国の法制度を自分たちの都合のいいように変更させて、富を吸い上げ蓄積している。その過程において、世界のそれぞれの場所に根付き育ってきた地域の文化、伝統、共同体は、破壊されていきつつある。

 一番分りやすい例はTPPやFTAに織り込まれるISD条項だろう。自由化され、その国に進出したグローバル資本が、思ったほど儲けられなかった場合、その国の法制度が邪魔をしていると難癖をつけ、当該国でない場所で訴訟に持ち込み、賠償金を得て、法制度を変えさせる。法制度を定めるべき国家主権が、民間資本によって侵害されるのだ。

 また、日本では、昨年3月に主要農作物種子法が廃止された。その背景には、遺伝子組み換え作物などで世界の農業関連ビジネス、食料ビジネスを着々と牛耳りつつある農薬化学企業の思惑があると言われる。南米などでは、グローバル農薬化学資本に侵食され、地域の伝統作物、食の安全、コミュニティまでが破壊されている。

 「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない。」と選挙では主張しながら、TPPを邁進したのは安倍政権だ。種子法も、ほとんどまともな審議もしないまま廃止した。保身のためか、なにか見返りがあるのか分からないが、安倍政権はグローバル資本に阿っている。
 そして、グローバル資本の走狗であることを隠すためか、安倍首相は、「愛国者」のふりをする。安倍首相や排外主義者、ネトウヨたちの観念的で空疎な国家・民族概念ではなく、もっとローカルに息づく地域の伝統・文化・暮らしにしっかりと根差した真の「保守」的な思考こそが重要だという、内山先生の主張には同意する。

 しかし、グローバル資本は、自分たちの製品・サービス・システムを一律に世界中に押し広げ、その色で塗りつぶすことによって収奪するのだ。そのために、安倍政権に見られるように国家を手先として利用して、法制度を都合よく変更させ、グローバル資本に屈服せざるを得なくしていく。その結果、地域独自の伝統・文化・暮らしは破壊される。グローバル資本は本性的に、ローカル・コミュニティ独自の伝統や個性に敵対的なのだ。
 単に地域の伝統・文化・暮らしを大切に守るだけではなく、自分らの利益のためにそれを壊そうとしているグローバル資本をしっかりと敵として認識し、それに対抗する術を考えなければならないと思う。

 そんな趣旨で、冒頭に書いた質問をした。
 勿論、今書いたようなくだくだしい説明はできなかったし、先生の返答も十分な時間的余裕がなかったが、こういう回答だった。
 「グローバル資本を過大に捉える必要はない。グローバル企業も国家の庇護を必要としている。中国のファーウェイもアメリカの軍需産業も、国家の庇護の元に存在し得ている。その点では、旧来の資本主義と本質的に大きく変わらない。」

 時間が押しており、「また後で話しましょう」という言葉で終わられたので、再質問はしなかったが、ストンと納得はできなかった。

 グローバル資本は、タックスヘイブンやペーパーカンパニー、ロイヤリティ、パテント料などを組み合わせて駆使し税逃れをする。また、グローバル資本と資本関係があるとか、あるいはビジネス上の利害関係がある国内企業が、グローバル企業の手先として政治に働きかけもする。もはや、企業がいずれかの国に属し、その国と企業とが一体的に協力しあって、ライバルの国・企業と競うという時代ではないと思う。

 また、仮にグローバル企業が、米国あるいは一部の強国に属するとしても、その拡大が世界各地の地域独自の暮らしを押しつぶしながら進行するということに変わりはない。特に、日本のように、政権がグローバル企業(とそれが属する国)に親和的(隷従的)で、進んでグローバル企業に便宜を図るような場合には、それにどう対抗するかを考えることは必須だろう。

 では、わたしは、どうすべきと考えるのか。

 沖縄に学ぶべきだと思う。沖縄は県が県民のために国と闘っている。県が、「風(かじ)かたか」(風よけ)となって沖縄の海や県民の暮らしを守ろうとしている。それに倣って、国を日本に暮らす人々の暮らしや日本の伝統・文化を守る防波堤にしなければならない。国として当然あたりまえのことだ。しかし、今は、その真逆が行われいる。
 排外主義や観念的に国家や民族を宣揚するウヨク思想ではなく、日本のそれぞれの地域の自然に育まれてきた文化や伝統に敬意を払い(逆に言えば、原発事故による放射能災害で破壊された昔からの集落に心を痛め)、世界各地の多様な暮らしをリスペクトし、その中から人々がのびのびと暮らせる社会をどう作りだすかを模索する政府に変えなければならない。そして、その政府は、他国政府に働きかけ、各国と協力してグローバル資本に対処する適切なルールを作るのである。

 自分たちの自然や文化・伝統・コミュニティを、わたしたちが大切に考えるだけではなく、それらを大切にする政府を作らなければ、グローバル資本の攻撃からそれらを守り、引き継いでいくことはできないと思う。

* 以上は、南信州地域問題研究所にもお送りし、内山先生にも転送頂くようにお願いした。

2019年4月30日  曽我逸郎