政治的な…

「斎藤幸平『ゼロからの『資本論』』を読んで」

2023,2,19  曽我逸郎

斎藤幸平『ゼロからの『資本論』』(NHK出版新書)を読んだ。

誰もがおかしいと感じている状況が、マルクスの分析に基づいて冒頭から分かりやすく言葉にされている。この前半部分こそ、多くの人に読んでもらいたいと感じた。みんなが深くうなずくに違いない。

そして、その結果、
「競争なんかしないぞ!」
「ブルシット・ジョブなんかやらないぞ!」
「賃労働なんてまっぴらごめん!」
そう考える人がどんどん増えるといいな、と思う。資本主義からの集団脱獄が必要だ。それが資本主義を追いつめる。

いちいち納得しながらずんずん読み進めて、ベーシック・インカム(BI)がやっぱり突破口になるんじゃないかな、と考えていた。ところが終盤にきて、BIは、MMT(現代貨幣理論)もろともダメ出しをされてしまった。
BIもMMTも、国家の力を使ってトップダウンで変革しようという「法学幻想」の発想だからダメ、という判定だ。

マルクスが晩年に到達した本来のコミュニズムは、組合のような、相互扶助や連帯を基礎とした多様な自発的結社(アソシエーション)が相互に結びついて、ボトムアップで社会を変革していくものであり、それを目指すべき、と斎藤氏は主張している。
しかし、斎藤氏がトップダウンを嫌うのは、過去のソ連型コミュニズムの失敗・悪評を気にしすぎているのではないだろうか。
ボトムアップだけでは、社会変革に必要な実効性のあるルールづくりがおぼつかない。ボトムアップもトップダウンも、両方が必要だ。
理想は、ボトムアップで国を突き動かし、必要な法律・制度を公布させることだ。

P208 にはマルクスのこんな言葉が引用されている。

「もし協同組合の連合体が一つの共同計画にもとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自分の統制のもとにおき、資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣を終わらせるべきものとすれば― 諸君、それこそはコミュニズム、「可能な」コミュニズムでなくてなんであろうか?」

しかし、「協同組合の連合体が一つの共同計画にもとづいて全国の生産を調整し、統制のもとにおき」と言われると、まさしくソ連型の官僚支配体制を思い浮かべてしまう。そうはならない可能性もあるだろうが、そこに転落してしまう可能性だって大いにある。ボトムがアソシエーションに立脚しているからといって、それだけで安心はできない。目を光らせて、オーウェルの小説『アニマル・ファーム』に陥らないように監視しなくてはならない。

多様なアソシエーションが連帯し、まっとうな野党をつくり育てることが大事だろう。それこそがボトムアップになる。そして、そのうえで、しっかり監視しながら、トップダウン的に政策を実行させる。
斎藤氏も、労働者政党を多様なアソシエーションのうちのひとつに数えている(P171)。ただ、わたしとしては、政党は他の様々なアソシエーションと横並びのワン・オブ・ゼムではなく、他のアソシエーション間の議論の結果を受けとって、それを実現するために働くというポジションに置きたい。

そして個人的には、アソシエーション間の議題にBIが取り上げられ、BIの実現が目指されることを望む。
わたしは、BIにはやはり大きな可能性があると思う。斎藤氏が書いているように、今、多くの人が、生存のために不本意な賃労働・競争・ブルシットジョブで自分をすり減らしている。そこからの足抜けをBIは可能にしてくれるからだ。
特に、過疎地域の集落共同体にそれを支える一員として暮らす人とその家族ひとりひとりにBI的に直接現金給付をすることは、第一段階の「お試しBIもどき」としてやってみる価値がある。賃労働ではない互恵経済、助け合い・支え合いの社会、コモンや伝統文化を大切にするコミュニティを引き継いでいくことにつながる。都市の賃労働者にも「脱獄」のためのトンネルになる。幅広く大きな波及効果が生まれるに違いない。その成功体験をもとに本格的なBIにむけて拡大していけばいい。(詳細は、http://mujou-muga-engi.com/nousanson-bi/ に)

ひとり月額3万円(4人家族なら12万円)とすれば、年間4兆円余が必要になる。
「どこにそんな財源があるのか?」
そんな疑問があるだろう。
歳入で歳出を縛る必要はない、と答えよう。

歳入と歳出を切り離すのだ。暮らしを支えるために必要な現金給付・現物給付は、ためらわずに実行しなくてはならない。一方で、税金は、財源確保の手段ではなく、多すぎるお金を多すぎるところから回収する手段になる。それによって社会の公正・平等を保ち、インフレ率を適切な範囲にコントロールする。

これまでだって、日本政府は、財政規律を守らず、赤字国債を発行して歳入を大幅に上回る歳出をしてきた。そのために積みあがった国債残高を見ると、金利が上がった時、どうなるのか心配になる。だから、暮らしを支えるための財源は、国債ではなく、金利のつかない政府通貨(公共貨幣)の発行によって賄う。

斎藤氏は、P177で、今の資本主義体制のままMMTに走れば、軍事費や無駄な公共投資、利権に予算が回され、大企業が儲かるだけ、と書いている。
しかし、MMTでなくとも、今の政府は軍事費や環境を破壊する開発に走り、オトモダチに甘い汁を吸わせている。その甘い汁は、与党政治家にトリクル・ダウンしている。これは、オトモダチを還流させた一種のマネー・ロンダリングだ。そのくせ、財源がないという口実をどや顔で言い立て、福祉は削り、国民負担をどんどん増やしている。
やはり、暮らしを支えるのに必要な政策は、財源を言い訳にせず取り組むべきだ。そして、その一方で、ボトムアップで政府をしっかり監視する。米国におもねて兵器を爆買いするようなことをせずとも平和を保てるように、まじめな外交努力をさせねばならない。オトモダチと利権を山分けするようなこともやめさせねばならない。

そのためには、まずは、多様なアソシエーションを育み、それらの連帯のもとに相互に議論を重ね、アソシエーションの意向に従って真摯に汗を流す政治集団をボトムアップでつくり育てねばならない。
結局のところ、斎藤氏はこれが言いたかったのかもしれない。

ベーシックインカムについては、http://mujou-muga-engi.com/b-income/
公共貨幣については、http://mujou-muga-engi.com/shouron/koukyoukahei/ を参照ください。

2023,2, 19  曽我逸郎