釈尊の教えと社会変革

カーストよ、さらば。仏教改宗運動60周年

~旧サイトからの転載~

2016年11月5日
曽我逸郎

 インド、ヒンドゥー教から仏教への集団改宗運動の中心の地、ナグプール(Nagpur)で開かれた、改宗運動60周年の式典に行ってきた。
 某ネットニュースサイトから「記事にしないか」とお誘いを受け、書いて送ってみたものの返事がない。どうやら採用されなかったらしい。時期を失うのも残念なので、ここに掲載する。

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  • 改宗広場(ディークシャーブーミ)特設ステージ前に翻る仏旗
  • 仏教徒で埋まりつつある改宗広場
  • 改宗式テントで授戒式典の前に挨拶を受ける佐々井上人
  • 改宗式テントで授戒式典の前に挨拶を受ける佐々井上人
  • 改宗式テントで仏教賛歌を力強く歌った盲目のミュージシャン
  • 改宗広場につながる街路の雑踏
  • ナグプール空港に見送ってくださった佐々井上人と。畏れ多くて微妙な距離感

 『インド仏教の頂点に立つ日本人僧侶、81歳の「菩薩道」』*週刊文春10月20号が、佐々井秀嶺師を3ページに渡る記事で紹介していた。
 たまたま時を同じくして、10月10日には国際仏教徒大会が、そして、翌11日にはヒンドゥー教から仏教への集団改宗運動60周年を祝う記念式典が、 佐々井師の本拠地ナグプールで開催された。師を支援する「南天会」のツアーに加わり、私も現地に行ってきた。会場(改宗広場ディークシャーブーミ)周辺には夥しい数の仏教徒が集まっており、その自信に満ちた明るさに感銘を受けた。

 仏教への改宗運動は、カースト差別への抵抗運動でもある。バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラという四つの身分が日本では知られているが、 そのさらに下に多くの不可触民(彼ら自身はダリットと自称する。)たちが置かれている。今回聞いた話では、インド人口の45%に上るという。
 (南天会事務局の佐伯隆快ご住職からメールを頂き、45%は、ダリットだけではなく、山岳原住民や “Other Backward Class”なども含んだ数字ではないか、被抑圧階級の人口は明確につかめない、とのこと)

 一説には、インドに侵入してきたアーリア人によって征服された先住民ドラヴィダ人が不可触民とされたと言われる。紀元前13世紀頃の事だ。だとすれば、三千年を超えて続く差別ということになる。
 不可触民は、公共の水場で水を飲むことも許されず、唾を吐かないよういつも痰壺を首に下げ、足跡を残さないよう腰から刷毛を引きずって歩かねばならなかったそうだ。

 この状況を打破するために仏教への集団改宗を行ったのが、アンベードカル博士である。
 ガンディーより22歳年下のアンベードカルは、1891年に不可触民として生まれた。大変優秀だったために、教室の外でなら授業を聞くことを許され、藩王(マハラジャ)の支援を受けて合州国、イギリスに留学し、弁護士の資格を得て帰国する。ダリットの教育、啓蒙に力を注ぎ、ダリットへの水場の解放、ヒン ドゥー寺院への立ち入り容認など、具体的な要求で非暴力の差別撤廃運動を指導していく。英国統治下の1937年国民議会議員になるが、ガンディーの、差別には反対するもののカースト制度自体は必要とする考えとは対立した。特に、アンベードカルが主張した、ダリットがダリット代表を選出する分離選挙には、ガ ンジーは断食をもって抵抗し、アンベードカルは妥協せざるを得なかった。
 独立後、法務大臣に就任し憲法草案を起草。分離選挙は実現できなかったが、カースト差別の禁止や、差別による不利益を是正する措置の制度化などを盛り込むことができた。

 しかし、差別をなくせない根本原因はヒンドゥー教にあるとして、1956年、50万人のダリットと共にナグプールで仏教に改宗した。その場所が、今回の式典も行われた「改宗広場」である。アンベードカルはこの二ヶ月後に病死するが、その翌年出版された『ブッダとそのダンマ』は、今もインド仏教徒の聖典に なっている。

 アンベードカルの死後、改宗運動は一旦下火になってしまう。それを復活させたのが、佐々井秀嶺という破天荒な僧だ。その波瀾万丈の半生記は、『破天』(山際素男)などに詳しい。
 自分に誠実な人なのだと思う。数々の問題にぶち当たり、みずから多くの問題を引き起こしてきた。若い頃自殺し損ね、高尾山で助けられ出家。鹿児島のお寺 で修行してタイに移り、そこにもいられなくなってインドに渡る。日本山妙法寺に寄宿。夢に現われた竜樹菩薩(大乗仏教八宗の祖と言われる重要な人物)の命 を受けナグプールに移動。アンベードカルの取り組みを知って、仏教復興運動を開始。仏陀成道の聖地ブッダガヤの大菩提寺の管理をヒンドゥー教徒から仏教徒 に取り戻す運動や佐々井師が竜樹ゆかりと信ずる遺跡の発掘、ダリットの福祉向上や様々な祈願・相談にも応えるなど、多岐に渡る活動を展開し、インド仏教徒の篤い信望を集め、改宗の大きな潮流をつくった。
 週刊文春は「日本人僧侶」と書いているが、1988年にインド国籍を取得している。日本は二重国籍を認めないそうなので、元日本人ではあっても日本人ではない。

 式典会場の大群衆の中を我々日本人がぞろぞろと異動すると、合掌され「ジャイビーム!」と声がかかる。中には、私の手を両手でしっかりと握ってくれる人 もいる。同じ仏教徒が遠くからきてくれたことが嬉しくてしようがない、という様子だ。アンベードカルの肖像画や本を売る店がたくさん並んでいたが、とても 安い。一冊買ったが、背表紙の定価どおりだった。改宗儀式のテントでパスポートや財布の入ったザックを雑踏の中にしばらく放り出していたが、心配すること もなかった。仏教徒であることは不可触民階級出身であることとほぼ同義だと思うが、車には誇らしげに仏旗を掲げている。仏教徒になると不可触民への優遇制度が受けられなくなるが、それでも改宗する人は絶えない。
 長らく差別に虐げられてきた人々に、抵抗する勇気と団結する力、希望と自信をもたらしたアンベードカルと佐々井師の功績は、極めて偉大だと実感した。

 ところで、仏陀は、「人間(凡夫)が執着のままに反応して苦を生み出し、自分と人とを苦しめている」と発見し、苦をつくらないようになる方法を教えた。 だとすれば、差別されている側以上に、差別している側、世の中を支配している側の人たちにこそ、仏陀の教えは学ばれるべきではないか。我々は、自分たちを ものごとを冷静に計算して采配する賢い存在だと思いなしている。しかし、「執着のまま繰り返し苦をつくる愚かな凡夫であるから気をつけねばならない」とい う自己認識が広がれば、インドや日本のみならず、世界中が、もう少し穏やかな、苦の少ないものになるのではないか。どうすればそうできるのか。そんな問題 意識をもらったナグプールへの旅だった。
南天会HP:http://www.nantenkai.org/

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 記念式典の後には、佐々井師が竜樹(大乗仏教八宗の祖といわれる仏教史上の重要人物)ゆかりの遺跡として発掘に力を入れているマンセル南天鉄塔を訪れ、ムンバイのアンベードカルの廟や仏教遺跡などを回って帰国した。

 佐々井師にお会いしたのは、今回で3度目になる。最初は、インド帰化の後、久しぶりに日本に戻られた際、東京の護国寺で20mほど離れたところから。二度目は、今年お隣の大鹿村に来られた時、夜の集まりで短い時間だったが、間近に座って親しくお話を伺った。今回は、現地インドで、大勢の僧侶や在家の人たちに取り巻かれ、精力的に活動しておられる姿を見ることができた。
 前にも書いたが、佐々井師の仏教は、私とは正反対だ。私は、あれは違う、ここはおかしいと、問題点をあげつらってばかりいる。オウム真理教事件の反作用 もあるし、駒沢大批判仏教グループの松本史朗先生の本の影響も受けて、釈尊本来の教えを「仏教」から抽出しようとしてきた。ところが佐々井師は、真言密教 も日蓮もテーラワーダもこだわりなく「ごっちゃ」にしている。そして、人々の中に分け入り、人々の悩みや願望の相手もして、慕われ敬われている。それに比べて、私は、仲間もおらず、本かパソコンにひとりで向かってばかりだ。佐々井師のようには絶対になれない。だからこそ、憧れる。

2016年11月5日 曽我逸郎