釈尊の教え

日本テーラワーダ仏教協会、ヴィパッサナ瞑想会に参加して

~旧サイトからの転載~

2003年6月10日
曽我逸郎

 日本テーラワーダ仏教協会の「初期仏教宿泊実践会」に参加してきた。(2003,5,28~6,1 京都丹後、宝泉寺にて)
テーラワーダ仏教とは、スリランカやビルマなどに伝えられた上座部仏教のことである。(詳細は、日本テーラワーダ仏教協会HP参照)

仏教としての考え方は、日本に伝わる様々な「仏教」よりもはるかに自分の考えに近く、その意味では自分の仏教理解に自信を持つことができた。また、その瞑想の方法は、まさに私の求めている「自分の無我=縁起を知る行≒定」であるのかもしれないと感じた。同時に、自分の仏教理解に不足している多くの部分(主に実践的見地)にも目を開いてくれたように思う。宝泉寺の皆さん、スマナサーラ長老始め日本テーラワーダ仏教協会の方々に感謝するとともに、ここで振りかえっておきたい。

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① 一日のスケジュール

はじめに、一日のスケジュールの概略を書いておこう。
朝5時から約一時間皆でパーリ語の読経と慈悲の瞑想、さらに約一時間皆でヴィパッサナー瞑想、朝食の後各々自主的にヴィパッサナー瞑想、11時半昼食、その後再び各自でヴィパッサナー瞑想、夕方5時から皆で読経と慈悲の瞑想(約1時間)、皆でヴィパッサナー瞑想(約1時間)、その後2時間程質疑、終了後自主ヴィパッサナー瞑想、就寝。風呂は2日に1回午後に。夕食はなし。

② 指導者について、他

まず感じ入ったのは、指導者(アルボムッレ・スマナサーラ長老)との対話の時間の豊富さだ。毎日の夜の質疑の時間の他に、昼の自主瞑想の時間にも個別に長老に相談する事ができる。瞑想のやり方、瞑想中に起こった事、パーリ語経典の意味、四聖諦や八正道についてなど、なんでも訊くことができる。家庭内の悩みや仕事上の問題を相談する人もいたようだし、私は長年の疑問「輪廻と無我は矛盾するのではないか」などをぶつけた。(詳細後述)
日本の「偉い」人達は、一方的にスピーチするのが好きだけれど、その後質問や意見を求める人はめったにいない。それは「逃げ」だと思う。その点、スマナサーラ長老は対照的で、自分の決めたテーマを語るというより、なんでも質問して下さいというスタンスであった。これは、よほど自信がないとできないことだ。しっかりと仏教を学んできたという自信と、釈尊の教えはどんな問題にも適応できるという揺るぎない信頼が、背後にあるのだと思う。
スマナサーラ長老は、大変頭の切れる人で、その分皮肉屋でもある。辛辣であり、私も随分叱られた。しかし、それは自分の都合、感情で怒っているのではなく、なかなか最緊急の課題に取り組もうとしない私に対するが故だと思う。

【2003,12,11,加筆】
ここに書いている5月の瞑想会の後、8月にウィセッタ長老の瞑想会に参加し、大変親身な指導を頂いて、自己観察による定の片鱗を体験したり、得るところが多かった(小論集 2003,9,4, 「自分という現象について」参照)。先日再びスマナサーラ長老の瞑想会に参加したが、うまく定に入る事ができなかった。お二人の指導はまったく同一ではなく、私について言えば、ウィセッタ長老の指導の方があっているように感じる。
あたりまえのことだが、誰だって釈尊の如き完璧な指導者ではない。どんな人にも優れた点と短所がある。
上座部の教えをなにも知らず、その上宗教的とも言い難い我々日本人に、ほとんど孤軍奮闘で教えを説くスマナサーラ長老の御苦労・ストレスは想像するに余りある。しかし、スマナサーラ長老は、特別な位置におられる稀有な人材であるから、それを乗り越え、是非釈尊のような指導を目指して頂きたいと願う。

 以下、思った事、感じた事を個別に振り返ってみたい。

③ 慈悲について

朝夕の全体瞑想の前に、「慈悲の瞑想」というのを行う。自分自身、親しい人々、生きとし生けるもの、私の嫌いな人々、私を嫌っている人々が、幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように、願い事がかないますように、悟りの光が現れますように、と念じていく。(詳細は上記ホームページ参照)
夜の法話でこんな話があった。人は自分のことばかり考えて、人を傷つけ、自分も傷つき、苦しみの世界を作っている。なによりも先に、慈・悲・喜・捨の気持ちを育てる事が肝要だ、と。
私は、以前どこかに書いたとおり、本当の慈悲は自分の無我=縁起を本当に知った時に発動する、と考えている。その考えをぶつけてみた。すると「あなたは私の話を全然聞いていないね」と怒られた。「しかし、本当の慈悲は、我執が完全になくなってはじめて働くのではないでしょうか。それ以前の慈悲は、慈悲といっても質というか、レベルが違うのでは?」「そんな事はあたりまえだ。立場が違えば、その慈悲も違ってくる。釈尊の慈悲と私達の慈悲が同じ筈がない。」
納得のいく答えだった。考えてみれば、我々にとって慈悲は、いわば我執に対する解毒剤なのだ。我執の毒を幾分かでも中和しておかなければ、いくら修行しても「私はこんなに修行した」とかえって我執を強める事にもなりかねない。勿論そういう計算ずくでは慈悲にもならない事は言うまでもないが、、。
自分の無我=縁起を本当に知らないうちは繰り返して言い聞かさなければ薄れていくのであろうが、言語によって明確化して念ずる事によって、確かにわずかでも慈悲は生まれる。私の場合、虫や動物に対する慈悲の気持ちは元々ある程度はあったが、家族に対しては甘えがあり我侭であったと気付かされた。慈悲の瞑想という言語化された鋤で自分の気持ちを耕し柔らかくしておいて瞑想していく。その上で、自分の無我=縁起を本当に知った時、けして薄れる事のない本当の慈悲が働き出す。こういうことだと思う。

しかし、今の私は、無我=縁起を本当に知った後の慈悲などを問題にすべきではないのだ。今の私がいかに我執に充ちて人を苦しめ自分を苦しめているか、慈悲によればどうすべきか、そのことを個々の具体的場面で考えていくべきなのだと思う。私に実践的な見方の欠けていた点のひとつである。

長老は、慈悲の教えは生きとし生きるものすべての幸せを平等に望むことであり、その気持ちはどのような宗教の人にも必要だ、誰であれこの教えを伝えて、世界の不幸、争いを少しでも減らして欲しい、と言っておられた。

④ 輪廻について

「仏教は科学的である。魂や霊は認めない。」との法話があった。翌日「輪廻は無我と矛盾するのではないか?」と尋ねてみた。長年の疑問である。以下は、私の理解した長老の回答の概略である。
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釈尊の教えに借り物は何一つない。西洋の学者の誤りを日本の学者も鵜呑みにしている。輪廻も業も無我も因縁も、釈尊が独自に発見されたことだ。ウパニシャッドに書かれている死後の話は単純であって、釈尊の輪廻とは比べようもない。学者は、釈尊以前のインドの様々な思想についてもっときちんと調べるべきだ。
科学はあらゆる存在は波動だということを明らかにした。波動はプラスとマイナスがあって初めて成り立つ。であるのに、科学もあなたもプラスしか見えていない。マイナスを知らない。遠くの宇宙を見るのに、肉眼ではなにも見えなくても、X線で見れば様々な事が見える。肉眼で見えないからといって非科学的だということにはならない。
釈尊の悟りの三本柱を知っているか? 御自身の過去生を如実に見られたことが、まずひとつ。次が、生きとし生けるものが業によって輪廻していく様を見られたこと。最後が、苦と煩悩の生滅だ。(曽我注記:例えば大蔵出版 片山一良訳「パーリ仏典 中部(マッジマ ニカーヤ)根本五十経篇I」第4 恐怖経を参照)
初学の者が釈尊のおっしゃっている事をあれこれと詮索すべきではない。それは妄想にしかならない。そのまま受け入れるべきだ。
無が分かるようになるのは、さほど難しい事ではない。ヴィパッサナー瞑想を真剣にやれば、四日ほどでも分かる。生滅を知るにはもう少し時間がかかる。輪廻がわかるには、一生か、一生では足りないかもしれないが、、。
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この回答は、正直なところまだ私には納得できていない。けして「輪廻については釈尊は間違っている」と考えているのではない。「釈尊は輪廻を説かれなかったのに、釈尊後のある時点で輪廻が経典に紛れ込んだ」と想像している。
輪廻は当時のインドの既存の考えだったのか、釈尊だけのオリジナルだったのか、私には判断できない。これまでに読んできた本からは前者だったように聞いているが、それが間違った研究なのか、私には分からない。インド学、仏教学の研究に期待する。

長老は、「肉体には最低限の世話だけやけばいい、肉体は常にあれこれ不平を言うが、修行する気があれば容易に克服できる」とおっしゃった。肉体を言い訳の材料にさせない為の、これも実践的な指導なのであろうが、テーラワーダ仏教では、意識や感情や精神現象が肉体に縁起する側面をあまり重視しないように感じる。しかし、私は、「私」とは肉体に依存する現象だと思う。「私」とはそのつどの反応であるのだけれど、その反応の仕方は肉体、特に脳のニューロン間の信号伝達のパターンに依存していると思う。なにか反応する度に、ニューロン間の信号の伝わりやすさは変化し、全体の信号伝達パターンも変化する。そのようにしてそのつどの反応は業として後に影響を残す。しかし、「私」は脳の上での現象だ。死んでしまって、脳の上を信号が走らなくなれば、「私」という現象も、薪が尽きた火のように消える。肉体(脳)が機能を停止してしまえば、いかなる業もそこを離れて引っ越す事はできない筈だ。

とはいえ、この問題も、自分の無我=縁起を知ることに資する問題ではない。所詮周辺の問題だ。死後生があろうがなかろうが、どちらでもいい。なければそれで問題も終わるし、死後生があるならば、引き続き自分の無我=縁起を問い続けるだけである。今日眠って明日目覚める生活と変わるところはない。

⑤ 因縁について

スマナサーラ長老は、縁起という言葉をほとんど(or まったく?)使われなかった。かわりに「因縁」という言葉を使われた。「因縁というのは、細い糸が(顔を歪め両手の指を絡め合わせながら)グッチョグッチョにもつれあっているような状態で、容易には解くことができないのです。」と言われた。
それに対して、私は「私とはタマネギのように内部の縁の仕組みが層をなして重なり合っている芯のない現象だ」とつい最近書いた。私の縁起を長老の因縁と比べれば、脳天気にさえ聞こえる。どちらが事の深刻さを正しく捕らえているか、明白だ。
私の「縁起」と長老の「因縁」とは、ふたつの点で異なるように感じた。
1)私の「縁起」は、それを知る事で我執がなくなるポジティブな機縁。
長老の「因縁」は、執着を生み出すネガティブな根、解くべきもの。
2)私の「縁起」は、環境全体も眺めており、どちらかというと外面的。
長老の「因縁」は、心の働きから心の働きへの因縁を中心に考えている。
テーラワーダ仏教では、心から心への因縁、業を考えるから、輪廻が可能なのだろう。一方私は、業は肉体(脳)に痕跡を残す事で引き継がれると考えるので、死後生はないと思う。(まあしかし、この件は、先に書いたとおりどうでもいい。)

これまで私は、自分が世界の中で世界と共に縁起する無我なる現象であると本当に知ることが、悟りだと考えてきた。だとすれば、悟りの瞬間、世界はそれまでとはまったく違う現われをする筈だが、そのような記述が初期経典に見当たらない事が不審であった。
私のこの考えの背後には、自分を環境に縁起する単位体として捉える傾向がある。その傾向に基づいて、悟りとは、確固たる実体と思いこんでいる自分を世界に開いて、自分が世界の縁によって現象している現象であるという事を本当に知ることだと考えていた。しかし、その具体的方策<如何にして自分の無我=縁起を本当に知るか>には、手掛かりがなく、足踏み状態であった。
対してテーラワーダ仏教では、自分から自分への因縁を中心に考えている。自分を仔細に観察・分析し、自分の内の仕組みを見て、そこで何が起こっているのか、どのようにして因縁が働いているのかを観察して、自分が無我である事を知る。
釈尊においても、自分を見つめることこそが修行であって、自分から目をそらすこと(それには自然に目を向ける事も含まれる)は修行の寸断でしかなかったのではないか。考えてみれば、無我だ縁起だと一般論をいくら突き詰めても、「この私」の無我=縁起にはならない。「この私」が「この今」においていかに縁起し、いかに執着し、いかに無我か、具体的に見ていくしかない。ここでも実践的見地の不足を思い知らされた。

⑥ ヴィパッサナー瞑想について

ヴィとは「ありのままに・明瞭に・客観的に」、パッサナーとは「観察する・観る・心の目で見る」という意味だそうだ。(ホームページより引用。具体的方法についてもホームページ参照のこと)
初日、長老からその方法について指導を受けた。開口一番、ヴィパッサナー瞑想の目的は思考を停止することだと言われて驚いた。思考の停止を主張するのは、大乗の一部であり、部派仏教は論理的思考を重視するとの思い込みがあったのだ。
しかし、長老の言葉も、ヴィパッサナー瞑想の目的についてであり、テーラワーダ仏教が全体として思考を否定しているとは言いきれない。言えることは、入門者へのヴィパッサナー瞑想の手ほどきとしては、思考を停止する事が指導されたということである。ともかく、歩く時の足の動きの実感、足の裏で踏む実感、座禅の時の腹の膨らみ・縮み、膝の痛みやしびれなどを、評価を加えず、言葉でラベリングしながら客観的に観察するようにといわれた。
やってみると、私の場合、いつのまにか観察はお留守になって、ここに書いているような事をあれこれと考えてしまっている。「仏教について考えるのは、悪いことですか?」と尋ねてみた。「悪いことではない。まれには瞑想せずに学ぶだけであるレベルまで行くケースもある。ただ無駄が多い。100の努力をしても、2も進めない。それよりヴィパッサナー瞑想をしなさい。ヴィパッサナー瞑想中に考えてしまうと、それが例え仏教についてであれ、妄想である。妄想、妄想、とラベリングしてすぐに終わらせ、身体の実況中継にもどりなさい。」と言われた。

<div name=”autowork”>瞑想の時以外でも、同時に二つのことをせず、ひとつのことだけを意識しつつ実況中継しながら行うように、と言われた。やってみると、意識を待たずにしょっちゅう先に身体が自動的に働き出している事に気付く。障子の前まで歩いてきて、「障子を、、」と意識した時、気がつけば既に手が伸びている。歩く瞑想のとき方向転換をして再スタートする時、「右足を上げる」と意識した時には、もう左足に重心は移っている。</div>

 (2007,1,6,加筆;この観察は、リベットが実験によって確認した有名な事実、「身体を動かそうと意図する 0.35 秒前に、運動を指令する信号は既に発せられている」ことの簡便な追認だと思う。ダマシオ『無意識の脳 自己意識の脳』(講談社)p23「欠神自動症」に見られるとおり、意識や意図がなくても、私たちは行動する。健康な場合でも、耳を掻いたり、足を組んだり、コーヒーカップに手を伸ばしたり、私たちの行動のほとんどは、自動的に無意識のうちに起こっていると思う。)
(2008,1,6,さらに加筆;リベットの『マインド・タイム』を読んで、感想を小論に掲載した。)

 よーし身体の現象をとことん観察するんぞ、といくら意気込んでも、気がつけばあっという間に様々な妄想が始まっている。私という意識は、まるで飾りもののバカ殿さまのように無視されて、優秀な家来達がどんどん勝手にことを進めていくような感じだ。
以前こんな経験をした。川遊びの後舟を岸につけて全員が陸に上がった。下流側はロープで岸に舫ったが、上流側はまだ結んでおらず、水に流されて船首が岸を離れていった。それを見た私は、舟に飛び移り、船首に向かった。この時私は、アレ俺何をするのかな、と宙ぶらりんな気持ちで、舟の中の竿をとり、このあたりでやっと自分のしようとしていることに気付き、竿を岸の友人に伸ばし、友人は「ああ、なる程」という感じで竿の反対を掴んで引き合い、舟を岸に戻した。この時の印象は鮮烈で、人は自覚的意識に登らない下のレベルで結構複雑なことまで考えるのだと知った。
優秀な家来達がいつも正しく働いてくれるならそれでもいいだろう。しかし、私達はささいなことですぐ反射的にむっとしてしまう。私の場合、修行を終えたその日、京都市内まで帰ってきた駅の改札で、早速それは起こった。はしゃいだり、妬んだり、落ち込んだり、気分は、意識によらず自動的にめまぐるしく変化する。目にした瞬間、これは望ましい、これはおぞましいと判断する。利に走る。「自分」を過剰防衛し人を敵視して攻撃する。人を苦しめ、自分を苦しめてしまう。だから、いつも注意深く気をつけておれ、と釈尊は言われたのだろう。

これは私の想像にしか過ぎないが、おそらく身体の現象の観察から始めて、つどつど長老に報告し、瞑想がある段階まで進んだと判断されたら、次の観察対象、瞑想方法が指導されるのであろう。多分、身体の観察の先には、感情の観察や、執着の観察があって、無我(or ニルバーナ?)を知るまで導いていく確立されたプログラムがあると期待したい。(念住経がヒントになるか? 念はヴィパッサナー瞑想で重視されるサティ(気付き)である。))
また、これもなんの根拠もないことでほとんど勘に過ぎないのだけれど、無我を知る時にも、観察する明晰な意識はあるのではないかという気がしてきた。日本の禅宗等における忘我の境地的ななにも考えない三昧ではなく、明晰な意識が仔細に自分をチェックして無我であると結論づける。釈尊の悟りはそんなふうであったのではないかという気がする。自分で書きながらイメージできないのだけれど、、。

⑦ 大乗仏教について

部派仏教は、自分の内面がどのように現象しているか、その探求に専念したのではないだろうか? その為には、それ以外のこと(例えば自然の美しさ、世俗生活における不幸)に関心を向けることは否定されたと想像する。
大乗仏教の担い手は、おそらく維摩のような都市の新興商人層であったのだろう。彼等は、それ以前の時代の農業を中心とする共同体に生きた人達よりも桁違いに様々な外面の状況に気を配る必要があった。また、不浄観に見られるような、肉体を拒絶し、欲望を否定する考えにもなじめなかったと想像する。(商業は、基本的に世俗の欲望に答えることだ。)また、自分たちの財力に応じた善行・功徳を積みたいという欲求もあっただろう。(上座部では、完全な智慧を開かないうちは何をしてもかえって苦を増す、と考える。現代においても善や正義を標榜する行いによって夥しい苦が生み出されていることを思えば、あながちこの考えは間違いではない。上座部は、慈悲を説きながらも、具体的(世俗的)救済活動には消極的なようだ。)このような気分を背景に大乗仏教が興ってきたと想像する。彼等は、部派仏教に違和感を抱き、自分たちの力に自信を持ち(表現を変えれば、増上し)、ついに新しい仏教が開かれた。
そこでは、解脱より慈悲が上位に置かれ、無視されてきた自然が評価され、生を肯定する傾向も生じ、観音信仰のような現世利益中心の信仰さえ生まれた。思想的には様々に大変な発展を遂げたけれど、一方で、自分を観察することに専心して自分の無我を知るという段階的な修行実践の方法は端折られてしまったように思われる。

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上座部は、仏教の中で歴史上最も保守的な流れを汲むと自他共に認めるグループである。しかし、釈尊の教えそのままが二千数百年継承されてきたとは思わない。文献学者によれば、パーリ語経典が整備されたのは釈尊後数百年たったころだったそうだし、近世の植民地支配など様々な歴史の波を蒙り、それなりの変遷もあって今の教団があるはずだ。
しかし、今の私達は、釈尊に直接教えを請うことはできず、今得られるものの中からより正しそうなものを選び取り、学んでいくしか方法がない。この時代に得られる様々な「仏教」を並べて比較するなら、上座部仏教は学んでみるべき大きな対象であると思う。
私は、禅宗から仏教の門を叩いた。その後、学者の方々の本で中観を読み、さらに初期仏教も齧ってきた。しかし、自分の無我=縁起を知る実践的な方法について、壁にぶつかっていた。私にとって、今回の初期仏教実践会は、これまでの世界観的な仏教解釈から、実践的立場の仏教へと、視野を広げてくれたと感じている。

仏教に興味のある方は参加してみることをお薦めする。瞑想実践からも様々な体験ができるだろうし、なにより長老に質問することができる。仏教について疑問をぶつけられる先は他にはあまりないと思う。
ここに書いた事は、あくまで私の思ったこと(妄想?)であって、長老の言葉の忠実な記録では全くない。それは、自分で確かめて頂きたいと思う。