「おおきなもの」を読んで にこさんから

2018 11.15|にこさん

にこさん
曽我から
2018 11.11
「おおきなもの」を拝読しました。

今地球上では宗教右派とか原理主義者といったグループが勢力を広げつつあります。これは文中で言うところの「無理やりのしがみつきなどといった一時的な揺れ戻し」ということなのでしょうか。

文章内の数直線の面白いところは、宗教の内容と宗教団体が別々に書かれていることです。世界の全てを包む神を信仰するはずの人々が、自分たちのグループ以外の人を排斥することがなぜありうるのかよく説明できます。(悲しいことにその中には仏教徒を自称する人々もいます)

つまり宗教右派とか原理主義者といった人は梵や造物主に自己を同一化しているわけではない。実際は「思想団体」レベルの小さなグループにいます。それなのにもっと大きな神や国家自身のようなふりをしています。この僭称は我執ですね。

自分の足が悪い時は足を叩くのではなくて気遣うものですから、同じように本当に世界全体に一致していたら、その一部である意見の異なる人を叩いたりしないはずです。たとえ選挙で選ばれた国家指導者でも、自分の意見を押し付けるならば僭称だと思います。

こうしてみると数直線の左側に正しく一致するのがいいんじゃないかと思えてきますが、世界や国家の中の人の意見が全部一致することなんてありえないので、それも幻想だと思いました。かと言って右側は我執があからさまに出ただけです。だから無我はこの直線上にあるものでは無いのではないか。この線からはみ出してしまうところがお釈迦様のすごいところでしょう。

政治のことはよくわからないのですが、ダンマパダの章句を思い出しました。(日本語の本が手元にありませんので英語で)
5. Hatred is never appeased by hatred in this world. By non-hatred alone is hatred appeased. This is a law eternal.
6. There are those who do not realize that one day we all must die. But those who do realize this settle their quarrels.

凡夫である私にできることは自分自身が無我を勉強してよく理解すること、周りの人に親切にすることくらいです。