イタリアの「五つ星運動」を立ち上げたベッペ・グリッロ氏の講演を聞いてきた。(2019年4月15日、参議院議員会館講堂、主催:一般財団法人デモクラシー未来財団)
ベッペ・グリッロ氏が元々コメディアンであることもあって、「五つ星運動」は、日本のマスコミでは安直に「コメディアンに率いられたポピュリズム政党」として紹介されがちだ。しかし、山田正彦さん(元農水大臣)は、「五つ星運動」を「大衆迎合のポピュリズムではなく、従来の政治のあり方とはまったく異なる新しいやり方で急速に支持を集めている」と高く評価しておられる。それを聞いて、興味を持った。
グリッロ氏は、写真でみた印象よりも精悍で野生的な印象だ。力強い大きな声で、通訳の方(おそらくイタリア人)が困るのではないかと思うくらい、まくしたてる。「五つ星運動」がどいう経緯で生まれたか、どういうやり方をしてきたかをごく簡単に述べた後、ほとんどの時間を質疑にあてるという形式だった。
以下、曽我が耳で聞いただけの報告なので、間違いがあればご容赦願いたい。(グリッロ氏と通訳の声がかぶることもしばしばあった。)
「わたし(グリッロ氏)は、コメディアンとして大物政治家を風刺したために、マスメディアから追放された。しかし、それによってかえって評判が高まった。各地の劇場で活動を続け、笑い、皮肉、風刺に加えて、経済やファイナンスやエネルギー、ごみの問題など様々な問題も取り上げた。
オリベッティ出身のマネージャーとの出会いによって「五つ星運動」が生まれた。
アメリカでつくられたお金を集めるための(ネット上の?)プラットフォームを人を集めるために使った。様々な問題について専門家ではない自分が、ネット上で考えを述べると、スティグリッツなどノーベル賞受賞者も含めた様々な人たちから意見が寄せられ、議論が深まっていくようになった。ネット上のやりとりから、現実に人と人とがつながり話し合う運動(meet up)へと拡大していった。」
(今書きながらネットで調べると、同じ地域の同じ興味を持つ人たちが繋がるためのプラットフォームサービス「Meetup」というものを見つけた。他にも同様のものがいくつかあるようで、グリッロ氏の言う「プラットフォーム」とはこういったもののことであろうか。「五つ星運動」は、投票や意見交換、政策学習などにさまざまなアプリを使っているという記事もあった。)
わたし(曽我)も、自分の考えを公開し批判にさらすことによって様々な意見が寄せられ、考えを深めることができた、という経験がある。釈尊の教えについて、HPで活発に意見交換した。より詳しい人から教えられたことは多いし、逆に「こんな初歩的な」と感じた質問に的確に答えることができず、自分の理解が浅いことを思い知らされたこともあった。
中川村HPの「村長からのメッセージ」に靖国神社に関する考えを書いたときには、「炎上」しかけた。感情的かつ断片的な、おびただしい数の言葉が届いたが、なかには靖国神社に関する「へえ~」という知識を与えてくれるメールもあったし、靖国神社を肯定、擁護する人たちにも対立する様々な考えがあることが分かった。
人は誰でも、なにがしか偏った情報しか知らず、思い込みに捕らわれている。そういう普通の人(凡夫)が、異なる視点を学び、考えを深めていくには、異なる意見の人と議論するしかないのだと思う。熟議ということだ。
しかし、これは、日本の政治ではほとんど起こらない。情報は隠蔽、改竄され、議論に不可欠な共通の土台がグダグダにされている。国会審議では、時間稼ぎと論点ずらし、はぐらかしばかりで、まともな答弁はない。何時間審議したとか、多数決とか、そういった「民主的手続き」を装う形式だけを踏んで、ことが強行されていく。
政党政治も、熟議とは相性が悪い。
緊急事態条項に反対するよう求める請願陳情を近隣の市町村議会に持ち込んだ際の委員会審議では、何人かの議員たちが自分の政党の公式見解を一方的に述べあうだけで、双方向の噛み合った議論にはならなかった。それでも発言する議員はまだましで、一言も発しないまま、採決では否定(緊急事態条項に反対することに反対)に手を上げる議員もいた。
党議拘束ではなくとも、自分で考えてものを言うことから逃げている。まともに議論をして思いがけない結論に陥り、政党の公式見解を踏み出すことを恐れるあまり、相手の意見を聞かず、ただ政党の見解を繰り返し、噛み合わないすれ違いの「議論しているふり」を繰り返している。
極端な悪しき事例は、小池百合子氏の希望の党の「踏み絵」事件だ。公認が欲しい候補者たちに、安全保障や憲法という、まさに政治の最も重要な部分で小池氏の考えを無理やり呑み込ませた。
政党政治のこのようなあり方に辟易していたので、立憲民主党から長野5区の総支部長の打診を受けた際、こう返答した。
「党の考えではなく自分の考えだと明確に断ったうえで、自分の考えを述べる。党の決定、方針であっても、従えない場合は従えない。除名して頂くか、みずから離党する。」 このような協議の上で、安倍政権の無茶苦茶な非道を抑え込むための、わたしにでき得る現実的で最も迅速な方法として、総支部長を受けることにした。
とはいえ、日本において、熟議の民主主義、すなわち、自分個人の考えを表明して批判にさらし、批判し合い、議論し合い、そこから学び合って、考えを深め合う政治のやり方を、実現できるのか…? そんな暗澹たる思いでいたところ、ベッペ・グリッロ氏の話を聞くことができた。
政党政治のあり方を変えようとするのではなく、我々普通の人々が気軽に考えを述べ、気安く批判し合い、議論して考えを深め合うことを楽しめばいいのだ。それが広がれば、政党政治のあり方も変わらざるを得なくなる。
これは、伊那谷ワイガヤ会でやろうとしてきたことでもある。それをもっと積極的に組織的に意識して拡大していく。迂遠なようだが、「五つ星運動」が支持を集め、イタリアの政治を瞬く間に塗り替えていったのは、この方法によるのだと思う。
グリッロ氏との質疑では、日本人が人前で積極的に政治を語るにはどうすればよいか、とか、日本人とイタリア人との国民性の違いといった質問もあり、氏は、主体性のなさにうんざりしたのか、あるいは、もともとの芸風がそうなのか分からないが、途中から辛辣さの度合いが増したように感じた。会場を埋める人たちの、日本の政治の現況に対する絶望感と焦燥感は、わたしとて同じだ。しかし、我々にしても、ともかくやり始めればいいのだ。野球ファンのサラリーマンが、朝のあいさつの代わりに、昨夜の試合のひいきのチームを自慢しあい、相手チームをからかい合うように、日常から気安く政治を口にできればいい。
立憲民主党の長野県第5区総支部長のポジションになったら、その立場を活用して、Meet up の集まりをたくさん開いていくこともできるかもしれない。一方的な演説、講演ではなく、参加者の間で議論が盛り上がるようにする。毎回テーマを絞って議論を深める方がいいだろう。安倍政権に反対する他政党もいっしょにできれば、野党共闘が深まり、広がっていく。選挙の時にだけ共闘を組もうとしても、後手後手になるばかりだ。平時から顔を合わせ意見交換する。市民グループや、テーマに関連する団体にも参加してもらう。専門家にも来てもらえれば、議論の深まりが増すだろう。政党の立場を利用して、政党政治の課題を克服する取り組みができればおもしろい。
想定できるテーマは、無数にある。例えば・・・
五つ星運動。ベーシック・インカム。現代金融理論(MMT)。少子化対策。食の安全。グローバル資本にどう対処するか。税制度。天皇制。安全保障。地位協定など日米関係。国家と地方自治。貧困・格差。性差別。外国人受け入れ。慰安婦・徴用工など戦時総括・・・。
次はこれでやろうという声が、参加者の中から次々に沸いてくるようになればすばらしい。
まず、野党の伊那谷の人たちの意見を聞いてみようと思う。
ご意見お聞かせ下さい。
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【補記】
「五つ星運動」に関しては、他にもいろいろ特徴的なやり方が話題になっている。例えば、選挙に出す候補者をネット投票で選出すること、当選しても2期までで降りること、議員報酬の半額をマイクロクレジットの基金として提供すること、などが定められている。これらのルールも、みんなで議論を重ねて決めたことなのだろう。「五つ星運動」という新たな政党を立ち上げたのも、既存政党にいくら働きかけてもことが動かないと皆が実感したためだという。
つまり、一番学ぶべき基本は、自分たち大衆がワイワイ議論してどうするのがよいか決めていく、という姿勢だと思う。
『幸せのマニフェスト 消費社会から関係の豊かな社会へ』(ステファーノ・バルトリーニ著 中野佳裕訳・解説 コモンズ)という本を読みかけている。「五つ星運動」の考え方の基本になっている本のひとつだという。まだ途中だが、なかなか奥深く面白い。
「人はもともと、助け合い支え合う関係性の中で生きており、そのことによって幸福感・満足感が得られる。ところが、だんだんと必要をお金で贖うようになり、お金の必要性が増し、稼ぐために多忙になり、関係性はますます希薄になっていく。その分、さらにお金に依存する度合いが高まる悪循環にはまっている。これは、資本にとっては思う壺で、GDPも上昇していくが、人々の幸福度は向上しない。では、どうすべきか」といったことが書かれている。現代文明に対するこのような深い分析・反省が背景にあるのなら、「五つ星運動」を単なるポピュリズムだと捉えるのは間違っているだろう。
最後に、質疑の中で印象に残った(気になった)発言をみっつ挙げておこう。
農業に取り組む青年からの「食べ物をつくる仕事なのに、農業は一番食えない。これはどうしたことか。今後どうなるのか」という質問に対して。
「農業は変わらないが、農民は変わる。イスラエルのイチゴ農場では、ロボットが赤外線で選果して収穫している。ロボットやAIが広がるだろう。」
わたし(曽我)としては、意外な答えだった。「五つ星運動」は、小規模家族農業、伝統的農業を守ろうとしているのだろうと思っていたからだ。
もっとも、この発言だけで、氏が(「五つ星運動」が)、資本をつぎ込み工業化された大規模農業を指向していると判断するのは拙速かもしれない。上にあげた『幸せのマニフェスト』の思想からすれば、大規模機械化農業を指向しているとは思えない。AIやデジタル技術が小規模家族農業にもたらす貢献に期待しているのかもしれない。ともあれ、「五つ星運動」がデジタル技術を高く評価していることは感じた。
このやりとりに続いて、イタリアのチーズやハムなど、地域の伝統に根差した中小企業を守っていく必要性を言及していたので、グリッロ氏(「五つ星運動」)の考えは、資本投下型の大規模生産ではないだろうと思う。
もう一つ、印象に残ったこと。
「世界にはたくさんの問題があるが、なにかひとつ解決できるとすれば、何か」との質問に。
「ひとつだけと言われれば、ベーシック・インカムだ。BIによって、他の革命も起こる。仕事、仕事の状況、経済へと革命が広がっていくであろうから。
もうひとつ挙げるなら、気候変動」
ひとつだけと言われて、ベーシック・インカムを挙げたのには、へぇと思った。わたしは、BIに大きな期待を抱きつつ、BIがもたらす劇的な変化には副作用もあるかもしれず、例えば、搾取する側が「なんちゃってベーシック・インカム」(BIを標榜しながら、それだけでは生存できない名目だけのBI)を福祉削減の口実にする危険性も心配している。BIの可能性を存分に発揮させつつ、副作用に配慮し、悪用を許さない制度設計が必要であろう。わたしは、こういういじいじした考えなのだが、グリッロ氏が、ひとつだけといわれた選択に即座にBIを挙げたことをうれしく感じた。
移民、難民について、ごく短い言及であったが、人口減少するイタリアで社会の維持を支えてくれていると、肯定的なニュアンスだった。連立与党を組む「同盟」は、反移民を明確にしているから、「五つ星運動」はどうなのかと思っていたが、この辺りは、政治的に複雑な事情がありそうだ。