更新情報

2017 05.01

◆2023年7月16日
小論『名色(=クオリア)が我執を生み出す』を掲出。
山口瑞鳳『評説インド仏教哲学史』を読み、氏が名色を「表象を実体視させ、執着を生む仕組み」と解釈していることを知り、わたしの考え(現象を実体視させ執着を生む仕組み)とほとんど同じだと勇気づけられた。以前から書いている脳科学や動物進化の視点も交えて、再度まとめた。
http://mujou-muga-engi.com/shouron/2307名色クオリア我執/

更新情報の更新を怠っておりました。申し訳ありません。
2019年5月以来、小論ブログ意見交換で、いくつかの新しい記事があります。それぞれの目次ページにリンクを張っておきました。

5月9日、2019年

小論に「政治的な…」というカテゴリーを追加。4月の末から、三つの記事を掲載してます。
◆ イタリア「五つ星運動」ベッペ・グリッロ氏の講演
◆ グローバル資本を敵として見定めるべきではないか 内山節講演を聞いて
◆ 市民活動は、政党アレルギーを克服すべき
ご批判下さい

3月24日、2019年

Samadhi Chan さんからメール拝受。 長野県松本から発信されているニュースレター『平和の種』に『釈尊(ブッダ)の教えと民主主義』という原稿を書いた。釈尊の教えによって世の中の苦を減らせないかという考え(『「苦」をつくらない サピエンス(凡夫)を超克するブッダの教え』)の短いエッセンスのような内容。「小論-釈尊の教えと社会変革」のページ

3月10日、2019年

匿名改め Samadhi Chan さん、にこさん、お二人から返信を拝受。意見交換のページ

3月7日、2019年

先日頂いた匿名の方のメールに返信しました。ちょっとディープですが、釈尊の教えから導かれる「自分」のいうものが、イメージしてもらいやすいかも。

3月1日、2019年

ご意見拝受。東京在住、匿名、男性より。「曽我さんへのご意見:洞察瞑想、十二因縁は同時、毎日が輪廻転生、他」。意見交換のページ。返事はまだです。

2月26日、2019年

にこさんから頂いていたメールに返事を送付。「他からの声」と他力。無常=無我=縁起として人をみることは、共感も慈悲も高める。意見交換のページ

2月25日、2019年

ベーシック・インカムについて、その背後にある思想や、わたしたちの考え方、社会のあり方にもたらす深い影響まで考察した新著『お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか?』を同志社大学の山森亮先生から頂戴した。その感想をブログに掲出。

2月21日、2019年

釈尊の教え(無常=無我=縁起)に反して主体性を説くかのような「困った経文」について、Karin Meyers の論文から多くを教えられ小論を書いた。それに対して、この論文をを紹介して下さったにこさんから感想を頂いた。意見交換のページ

2月10日、2019年

備忘メモを兼ねて。テレビで、ホンソメワケベラが鏡に映る自分を自分と認識している、との報道。ビックリ! それができるのは、類人猿でも一部に限られ、個体差もある、と聞いていた。それなのに、魚類でも自分を自分として認識できるのか!? 自分を自分として認識することは、我執が生じる条件であろうし、我執から派生するもろもろの執着の条件でもあるはずだ。それが進化史上、それほど一挙に遡るのか!? うちのネコはできないのに!?

2月7日、2019年

更新情報の更新が滞っていた。にこさん、小林瞳さんからメールを頂戴した。意見交換のページ。

あたかも主体的自由意志を説いて無常=無我=縁起を否定するような「困った経文」を考えるため、Karin Meyers の “Free Persons, Empty Selves  FREEDOM AND AGENCY IN LIGHT OF THE TWO TRUTHS“ を読んだ。「困った経文」を西洋哲学の自由意志と道徳的責任の枠組みにあてはめて読んだために、キイワードであるcetanA(思)が拡大解釈されていると書かれており、大変心強いサポートを得た。Meyers とわたしは、バックグラウンドも興味の分野もずいぶん違うのに、非常に近い考えで、自分の釈尊の教えの理解に自信が持てた。無常=無我=縁起であれば責任をどう考えるべきか、無常=無我=縁起であるのになぜ精進・努力が可能なのか、といった問題も考えることができた。小論のページ

12月2日、2018年

 きむきがんさん<劇団石(トル)>の一人芝居『在日バイタルチェック』を長野朝鮮初中等学校で見た。拙著『苦をつくらない』冒頭で、インドのカースト差別を題材に、差別される側より差別する側こそが、釈尊の無常=無我=縁起の教えを学び、自らの執着のレベルを下げ、苦の生産を鎮めるべきと書いたが、遠いインドのことより、この日本において、在日韓国・朝鮮人の人たちへの差別を考えねばならないと痛感した。ブログのコーナーに掲載

11月15日、2018年

にこさん、アマノさんとの意見交換が深まっている。
11月10日、曹洞宗安泰寺にネルケ無方和尚を訪ねた。安泰寺は、澤木興道、内山興正の歴史を受け継ぐ修行専門道場で、檀家を持たず、農作業や薪づくりなど自給自足で修行に励んでいる。その安泰寺を16年(17年?)もの長きに亘って預かっているのが、ドイツ人のネルケ無方師だ。旧ホームページの頃から何度か鋭いメールを頂き、意見交換をしてきた。一度行かねばという思いをようやく実現できた。山奥とは聞いていたが想像を超えていた。隔絶された集落からさらに沢沿いの細い道を登っていく。つづら折りのところでは、二度ハンドルの切り替えしを強いられた。たどり着くと、傾斜の緩やかな丘のようなところに手入れの行き届いた本堂と、思ったよりたくさんの修行僧が暮らせそうな建物があった。木にハンモックがつるされているのが安泰寺らしいと感じた。脱穀を終えたばかりだそうで、日当たりのよい部屋では籾を広げて乾かしていた。兵庫県の山陰側なので、もうしばらくすると雪が積もり、屋外の作業も里との行き来もできなくなる。雪解けまでの間、座禅と仏教の学問研究に明け暮れる。お弟子さんはほとんどが欧米人で、仏教の議論も英語で行っているそうだ。日常の支出はまかなえているものの、建物に大きな修繕が必要になったときなどはとても対応できない。後継者をみつけるのも難儀をしておられるようだ。形あるものはやがて壊れるのだから、そうなっても仕方がないのかもしれないが、曹洞宗としてはどう考えているだろう。禅の考え方は、わたしとは違うが、禅に取り組むユニークな道場として、できれば何らかの形で存続してほしい。自ら入れて下さったコーヒーを頂きながら一時間半ほどお話しし、一炷本堂で皆さんと座らせてもらった。安泰寺HP
11月25日(日)、飯田市松尾公民館でお話をする。13:30~松尾憲法を学ぶ会。翌26日(月)は、塩尻市市民交流センターえんぱーくでも。18:00~平和ネット塩尻の主催。お近くの方、冷やかしに来て下されば幸甚。

11月2日、2018年

小論「おおきなもの」を掲載。小論集「釈尊の教えと社会変革」のページ
宗教や国家など、「大きなもの」は、ひとつの世界観、価値観、行動規範を人々に強要し、人々を自分の下に統合しようとする。人々は、支配されると同時に、自らの寄って立つ基盤や生の指針、価値などを得ていた。しかし、「大きなもの」は時代が進むにつれて、絶対性を失い、相対化していく。人々は、準備不足のまま、放り出される。人々の対応は様々。「大きなもの」は昔と変わらず安泰だと自分をごまかす。崩れ行く「大きなもの」を支えようと狂信する。「大きなもの」に依存していた自らの立地基盤も価値も目的も規範も失い、右往左往する。その状況において釈尊の無常=無我=縁起が教えてくれるものは…。ご意見お待ちしています。
拙著『「苦」をつくらない』にアマノさんからから頂いていた疑問への返事もここに盛り込みました。

10月29日、2018年

有我論的に聞こえる「困った経文」について、にこさんとの意見交換が継続し、さらに深いものになった。
オーストラリア在住のアマノさんから拙著『「苦」をつくらない』について御意見拝受。「無常=無我=縁起」は、自分でもそう思っていたし理解する。しかし、学者やIT業界の人たちでも、宗教や死後のことでは非理性的。特に一神教の三つの宗教を信じる人には、どうすれば理解してもらえるのか、悲観的、との問題提起。
ともに意見交換のページ

10月18日、2018年

またまた更新情報の更新を怠っていた。
東大東洋文化研究所の馬場紀寿先生から『初期仏教 ブッダの思想をたどる』岩波新書を拝受。仏教の最新の研究成果は勿論、大きな歴史の動き、バラモン教、ジャイナ教など仏教外の思想との関連など大きな広い視野で、学問としての検証可能性を厳格に守りつつ到達できる最も古い仏教を探っている。学界の最新の研究成果と俯瞰する広い視点とを得られ、大変勉強になった。その一方で、わたしの、検証可能性などそっちのけで釈尊のそもそもの教えを考えたいスタンスとの齟齬もあり、そのあたりの感想を掲出した。
その中で、同著で言及されている「意思してから行為する」旨の経文は有我論的に聞こえると書いたところ、ご意見を頂戴し、いささか深い議論になっている(にこさんとの意見交換)。

10月1日、2018年

 更新情報の更新を怠っていた。拙著『「苦」をつくらない』に関して、小出裕章さん、根津公子さん、Libraさんからご意見を頂いた。小出裕章さんは、さん付けでお呼びするのは心苦しいけれどそうして欲しいと言われたのでそうするが、ご存知の反原発の先生です。根津公子さんは、子供たちの思想の自由を守る為に何度も処分を受けながら国旗に不起立を貫いた先生、Libraさんは昔のHPで鋭いご意見を頂いていた法華経信者の方です。意見交換のページからご覧になってください。

9月3日、2018年

 先月8月初旬に新しい本がでた。『「苦」をつくらない サピエンス(凡夫)を超克するブッダの教え』、高文研より。このサイトの「本論」をもとに大巾に筆を加えた。
世の中を覆う苦をいささかなりと低減するために、釈尊の教えに学ぶことはできないだろうか。戦争・搾取・格差・差別から身近な人とのいざこざまで、苦は、わたしたち凡夫がつくり出し、自分と人とを苦しめている。その原因は、執着だ。執着の根本は我執である。釈尊の教えの核心である「無常=無我=縁起」を、宗教というより人類(サピエンス=凡夫)共通の自己理解として普及させることができれば、苦の生産も少しは減少するのではないか。
そんな思いを、仏教経典のみならず、仏教に親しみの薄い人にも納得してもらえるよう、脳科学などにも触れながら本にした。
安泰寺のネルケ無方師が、YouTubeで紹介して下さった。
FacebookでFumiko_Miuraさんがコメントを送って下さったので、「意見交換」に掲載。

10月25日、2017年

 更新情報を滞らせていた。実は、先の衆議院選挙長野5区に立候補して、選挙戦を戦っていた。結果は、自民党現職2世議員にダブルスコアとつけられての次点。民進党新人が踏み絵を踏んで小池新党に行ってしまったので、安倍政権、小池新党に勝手をやらせるわけにはいかないと、出馬することになった。ブログのコーナーで、出馬の弁、敗戦後のお礼など、関連した記事を書いています。

 ともあれ選挙が一段落したので、また本文を完成させる作業に戻ります。

7月17日、2017年

 昨日は割と充実した日だったので、その報告をブログに掲出。特に、来月の飯田民主商工会での講演でなにを話すか。地域の可能性や課題をみんなで共有して、それに取り組んでいくことは、地域をより「美しく」また持続可能にすることであり、地域の自治や民主主義を深めることでもある。中小企業の皆さんや民商は、その取り組みの核として活躍して頂きたい、といった内容を考えている。

 今日は農作業の手伝いをした。生食用ブドウの房に袋をかぶせ、さらにその上に日焼け防止のためにチラシをB5位の大きさに切ってホチキスで傘にして留める。戦力外宣言をしているにもかかわらず、駆り出されてしまう。少しなら運動不足解消にいいのだけど、、、

7月8日、2017年

 苦を生まないために執着を鎮めよと釈尊は説く。では、執着のないイヌやネコの段階に退化すべきなのか。マズローの欲求5段階説を材料に、執着のないイヌやネコと、執着だらけの凡夫と、執着を鎮めた仏とはどう違うのかを検討する。マズローの5番目の自己実現欲求は苦を生む執着であるが、苦を生んでいることを厭い、苦を生まないありかたを実現しようとする執着が発心・精進だ。執着は取り除かれるべきでなく、発心・精進へと昇華されるべきである。小論に掲載。

7月1日、2017年

 一般社団法人協同総合研究所の理事になった。まだ理解は浅いが、資本(所有)と経営と労働の分裂する状況で、所有と経営も労働者が自ら行うことで最も弱い立場の労働者を守ろうとする労働者協同組合の取り組みと、ドイツやオーストリアのエネルギー自給の取り組みをヒントに考えた協同組合活動の、すそ野の広い可能性について、ブログに掲載

6月28日、2017年

 『サピエンス全史』下巻も読んだ。感想を掲出。

6月17日、2017年

 『サピエンス全史』ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 河出書房新社を読んだ。人類(ホモ属)には多くの種がいたにもかかわらず、ホモ・サピエンス種だけが残り、世界に君臨した。その理由は、サピエンスにおいて執着という仕組みが完成したのではないか、と思う。進化史上のプロセスを考察した。小論の「脳科学からのヒント」に掲出

6月12日、2017年

 先日、東京地裁のTPP反対訴訟への判決傍聴と「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」総会にいってきた。総会では、遺伝子組み換え作物がもたらす危険について、印鑰智哉さんの講演もあり、考えさせられた。その報告を掲載。

5月1日、2017年

 更新情報の更新を怠っていた。ブログをいくつか追加している。
ベーシック・インカムの関係。そして、中川村自衛隊協力会で述べた挨拶。自分たちの勝手な都合で自衛隊員を危険に晒す政府与党への怒り。北朝鮮情勢をみると、日米安保こそが日本を危険に追い込む元凶であること。それから、中川村がふるさと納税で過剰な返礼品を送らない理由。読む

4月18日、2017年

 ふたつの記事を追加。
ひとつは、中川村新入職員への言葉。森友学園事件や南スーダンの情報隠蔽などを意識して、税金で仕事をする公務員、行政の仕事は、きちんと手続きを踏み、情報を公開せねばならないこと。一方で定められたことを忠実に行って、アイヒマンになってはならないこと。行政の究極の目的、迷った時の判断基準を述べた。読む
もうひとつは、6月に中川村で長野県地域住民大学が開催され、岡庭前阿智村長、太田政男前大東文化大学長とお話をするので、その下打ち合わせと、無我と生きがい、目的、価値、主体性について、ややディープなメールを書いたので、それを掲載した。読む

2月15日、2017年

 3期12年になった村長の仕事が、5月で終了する。以降は、釈尊の教えの勉強にもう少し時間を割けるようになるだろう。1997年に始めた旧ホームページも、スマホ対応はできていないし、なにより美的センス皆無なので、これを機に刷新することにした。「日本で最も美しい村」連合の関係でお世話になっている(有)エクサピーコさんにデザインして頂き、技術的な相談にものって頂いた。感謝。内容はまだ旧サイトからの転載がほとんどで、それも十分ではないが、今後、新たな記事も含めて充実させていきたい。ご意見お聞かせ頂けるとありがたい。